第三百十五訓 他人の幸せをあまり羨みすぎるのはやめましょう
「さて……と」
と、俺が渡した紙袋を手に提げたルリちゃんが、駅の入り口の方を指さす。
「まだ終電じゃないと思うけど、そろそろ行った方がいいよね。明日は平日だし、ソータも学校でしょ?」
「あ、う、うん……」
紙袋の中に詰め込んだ小袋の事を気にしながら、俺はルリちゃんの言葉に頷いた。
「まあ……明日は二時限目からで、十時半くらいに大学に着けばいいから、朝はゆっくり出来るけど」
「うわ、いいなぁ~」
俺の答えを聞いたルリちゃんは、羨むような声を上げる。
「あたしはふつーに六時半起きだよ。やっぱり、大学生っていいなぁ」
「いや、そうでもないって……」
彼女の声に、俺は苦笑いしながら首を横に振った。
「大学は大学で大変だよ。必修科目で、ミリも興味ない講義を受けなきゃいけないし、講義によっては毎回レポートの課題が出されるし、ちゃんと勉強しとかないと単位もらえなくて、最悪留年するし……」
そう言ってため息を吐いた俺の脳裏に、この前会ったスーツを着た藤岡さんの姿が浮かぶ。
「それに……今は大学三年から就職活動しなきゃだしさ。『講義に出て単位を取る』『就職活動をする』、両方やらなくっちゃあならないってのが、『大学生』の辛いところだな」
「ふぅん……そうなんだ」
どこかのイタリアマフィアのリーダーのように嘯いた俺に、ルリちゃんは小さく頷いた。
「大学生も結構大変なんだね。てっきり、毎日合コンとかサークル飲みとかしてウェーイウェーイ言ってんのかと思ってた」
「ま、まあ……そういう奴らもいなくはないけどさ」
あまりにも偏ったルリちゃんの大学生の偏ったイメージ像に苦笑いを浮かべながら、俺は首を横に振る。
「ほとんどの学生はマジメに勉強してるんだよ。俺みたいにさ」
「あ、確かにそうだね。マジメかどうかは知らないけど」
「ぐ……そう言われると反論は出来ない……」
痛いところをつかれて顔を顰めた俺は、ふと気になって彼女に尋ねた。
「……っていうか、君は大学に行くの?」
「まあ……一応はね」
そう答えたルリちゃんは、フッと表情を曇らせる。
「……今までは、ホダカと同じ大学に行きたいと思ってたんだけど……やっぱり、別のところにしようかなぁって思ってる」
「あっ……」
少し寂しそうな彼女の声に、俺はハッとした。
「それはやっぱり……」
「……まあ、確かにこの前の事もあるんだけどさ」
ルリちゃんは、複雑な感情が混ざった微笑を浮かべながら言う。
「それ以前の問題で、単純にあたしの学力が足りないなぁ……って」
「あ、そっちね」
「あっさり納得されると、さすがにムカつくんですけど」
頷いた俺の顔を睨みながら、頬を膨らませるルリちゃん。
俺は、そんな彼女の顔に思わず吹き出しかけ、慌てて口元を隠しながら言葉を継ぐ。
「だ、だったら、俺の大学を受験すれば? ウチの大学なら、そんなに偏差値高くないから、そんなに勉強しなくても受かると思うよ」
「ソータの大学? 確か……大昇大学だったっけ?」
「あ、うん」
「……Fラン?」
「え、Fランじゃねえわっ! ……かろうじてだけど」
訊き返すルリちゃんに、やや顔面を引き攣らせながら叫ぶ俺。
そんな俺の声に、彼女は「あはは」と笑い声を上げ、それからニコリと微笑んだ。
「まあ、一応考えておくよ。誘ってくれてありがとね」
「う、うん……どういたしまして」
俺は、ルリちゃんの屈託のない微笑みにドキリとしながら、ぎこちなく頷く。
……と、彼女は、「……でも」と呟いて、表情を曇らせた。
「同じ大学に入ったら、ソータなんかの事を『本郷先輩』って呼ばなきゃいけないのはちょっと抵抗あるかも」
「オイイイイイイィィィッ! “なんか”ってなんだ、“なんか”って!」
「あはは。ゴメンゴメン。ジョーダンだよ」
声を荒げてツッコむ俺に軽い調子で謝ったルリちゃんは、「行こ」と言って歩き出す。
もちろん、本気で怒った訳ではない俺も、彼女の後に続いて駅の入口へと向かった。
その途中にはさっき見た噴水があり、その周りには相変わらず何組もカップルがたむろしていて、思い思いにイチャついている。
そんなリア充どもの事など見たくなかった俺は、噴水の反対側に顔を向け、歩くスピードを早め……。
「……うわっ!」
「……あ痛っ!」
なぜか立ち止まっていたルリちゃんの背中にぶつかってしまった。
「ご、ゴメン! 大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫」
気遣う俺にかぶりを振りながら、ルリちゃんは苦笑いを浮かべる。
「こっちこそゴメン……」
「どうしたの? 急に立ち止まったりして?」
彼女の浮かべる笑みにどこかぎこちなさを感じた俺は、訝しみながら尋ねた。
それに対して、ルリちゃんは噴水の方にチラリと目を遣り、それからぽつぽつと答える。
「いや、そんな大した事じゃないんだけど……ちょっと見とれちゃってさ」
「見とれたって……あの噴水?」
「それもあるんだけど……」
そう言った彼女は、小さく溜息を吐いた。
「噴水を見てるカップルの人たちがみんな幸せそうで、『うらやましいなぁ』って……」
「あっ……」
思わずハッとする俺をよそに、ルリちゃんは独り言のように言葉を重ねる。
「……実はさ、秘かな目標だったんだよね。――『ホダカの彼女になって、いっしょにここの噴水を見に来る』っていうのが……さ」
「ルリちゃん……」
「……でも、ダメだったなぁ」
彼女は、サバサバした顔で言うと、もう一度噴水の方……いや、カップルたちへ目を向けた。
「もう結構吹っ切ったつもりだったんだけど、ああいう幸せそうな人たちの事を見ると、やっぱり哀しくなっちゃうね」
「……」
俺は、何も言えず、ルリちゃんの寂しげな横顔をただ見つめる事しかできない。
――俺は、今の彼女にどんな声をかけられる?
そう自問自答するが……その答えは出なかった。
「はぁ……」
俺が懊悩している間に、ルリちゃんは小さく肩を落とし、ぽつりと呟く。
「……いつか、いっしょにあの噴水を見てくれるような恋人が、あたしにも出来るのかなぁ?」
「――ルリちゃん」
少し哀しそうで、だいぶ寂しそうな声を聞いた瞬間、俺は唐突に彼女の名を呼んだ。
「……ん? なに、ソータ?」
「あのさ……」
ゴクリと唾を飲み込んだ俺は、目を少し大きく見開きながらコクンと首を傾げるルリちゃんに切り出す。
「俺……俺じゃ、ダメかな? その……君といっしょに噴水を見る……恋人は――」




