第三十一訓 急に体を動かすのはやめましょう
クイズ大会は、どんどんと進んでいく。
出題されるクイズの傾向は、簡単な問題が2に対して、超難問が1という割合だった。
簡単な問題は、『ペンギンは何を食べているでしょうか?』といった、それこそ小学生でも即答できるレベルだったのに対して、難しい方の問題は『“ペンギン”という名前の語源は何でしょうか?』とか『最近、ニュージーランドで発見された、三百万年前に生きていたとされるペンギンの祖先の名前は何でしょうか?』といった、めちゃくちゃディープなものだったのだ……。
つうか、普通に生きていたら絶対に知る事なんか無いと思う。ペンギンの祖先の名前とか……。
ええと、確か……ユ、ユーディプテ……うん、もう忘れた。
それは、このクイズ会場に詰め掛けたほとんど全員が同じだったようで、出題された時点で、みんなで仲良く狐につままれたような顔をしていた。――俺の隣の解答席に座る立花さん以外は。
驚くべき事に、どんな超難問に対しても、他のふたりの解答者がフリーズするのを尻目に彼女は即座に解答ボタンを押し、しかもことごとく正解した。
どうやら、彼女のペンギンに対する知識は、相当に深いらしい。
――ならば、クイズ大会もぶっちぎりで優勝できるものと、誰もが思うだろうが……、
そうは問屋が卸さなかった。
「――さあ、クイズ大会もいよいよ大詰め! これは面白くなってまいりました~!」
司会のお姉さんが、興奮を抑え切れない様子で声を弾ませた。
彼女は、傍らに立てかけられた得点ボードを指さし、言葉を継ぐ。
「十問目を終えまして、現在のトップは、4ポイント獲得でいよいよ優勝にリーチをかけた、SAY☆YAさん&美沙姫さんのカップル! それを追うのが、3ポイントで並んだ弦田さんご夫妻と、颯大さん&瑠璃さんカップルです!」
……そう。
今、俺たちは思わぬ苦戦を強いられ、歌舞伎町カップル……もとい、SAY☆YAさんと美沙姫さんのカップルに優勝への王手をかけられた状態なのである。
理由は明白。
俺たちは、問題の三分のニに当たるイージー問題を全く取れていないのである。
と言っても、解答担当の立花さんのせいではない。
……ダッシュ担当の俺のせいだ。
先ほど述べたように、イージー問題は小学生でもすぐに分かるような易しい問題だ。その為、立花さんはもちろん、他のふたりもすぐに解答ボタンを押す。
そうなると、解答権を得られるかどうかは、走者側がいかに早く二百メートルを走り切るか次第となるのだが……俺が他のふたりに比べて速力・瞬発力ともに後れを取っているせいで、一向に解答権が獲得できないのだ。
――その上、
「ぜえ……はあ……はぁ……」
俺は、ランニングマシーンの手すりの上に肘をついてもたれかかり、荒い息を吐いていた。
「い、いや……めちゃくちゃキツいんですけど……」
肩を激しく上下させながら、俺は掠れた声で呟く。
――これまでの全ての問題で、立花さんが解答ボタンを押しているので、その度に俺は二百メートルを全力疾走していた。
つまり、十問目を終えたという事は、俺は既に二千メートルを全力疾走しているという事になる。
ここ最近、全く運動らしい運動をしていなかった俺にとっては、この無酸素運動の連続は拷問に近い。
すっかり息が切れて、呼吸するたびに肺とか腹筋とかが痛くなってるし、先ほどから脚の太股やふくらはぎあたりに、激しい疲労感とイヤ~な違和感を感じ始めている……。
「……ちょっと! しっかりしてよね……!」
そんな俺に、隣の解答席から、温かい声援……ならぬ、容赦ない叱咤が送られる。
俺は、色々な理由で顔を引き攣らせながら、立花さんに向かって力無く頷いた。
「だ……大丈夫……だよ」
「……全然大丈夫そうに見えないんですけど」
立花さんは、不安げな目で俺の事を一瞥する。
そんな彼女に向かって、俺は「ゴメン」と謝った。
「た……立花さんは、クイズの答えを解ってるのに……俺が、まさに足を引っ張っちゃってる感じになっちゃってて……ホント、ゴメン……」
「……今謝らないでよ。まだ、終わってないんだから」
立花さんは、俺の謝罪を聞いて少し驚いたような表情を見せた後、
「……それじゃ、まるでフラグ立ててるみたいじゃん」
と、口をへの字に曲げながらつっけんどんに言う。
そして、小さく息を吐くと、声を顰めて俺に囁いた。
「まあ……多分、次は難しい問題だと思うから、他のふたりはボタンを押せないと思う。だから、少しゆっくりめで走っても大丈夫だと思うよ」
「え……なんで分かるの? そんな事」
妙に確信めいた立花さんの言葉に驚き、俺は訊き返す。
そんな俺の顔を横目で見ながら、立花さんは答える。
「だって……さっきの問題まで、三題連続でイージーなやつだったから。そろそろ難しい問題が出る頃でしょ。多分」
「あ、なるほど……そういえば、そうだね」
立花さんの推測に、俺は感心しながら頷いた。
そして、ふと引っかかって首を傾げる。
「でも……もしもその予想が外れて、簡単な問題だったら……どうしよう?」
「そんなの、決まってるでしょ」
俺の問いかけに、立花さんは涼しい顔でそう言ってから、やにわに表情を一変させた。
そして、まるでベトナムからの帰還兵のような剣呑な光が宿った瞳で俺の顔を睨めつけつつ、ドスの利いた低い声で言葉を継ぐ。
「……その時は、死ぬ気で走れ。いいな?」
「りょ……了解いたしましたッ!」
彼女の声に本気の響きを感じ取った俺は、背筋を冷たいものが伝うのを感じつつ、最敬礼で応えた。
と、
「では! 第十一問!」
「……ッ!」
司会のお姉さんの声を耳にした俺は、ルームランナーの上で僅かに重心を落とした前傾姿勢を取り、立花さんが解答ボタンを押した瞬間に全力ダッシュが出来るよう、両脚と耳に神経を集中させる。
そして、司会のお姉さんの良く通る声が、運命の第十一問を読み上げた。
「……ペンギンの学名をお答え下さい!」
来たッ!
しかも、立花さんの予測通りの難問だ! 俺には一ミリたりとも分からねえッ!
“ピンポーン!”
そして、すかさず鳴るチャイム音。その音の源は、確認するまでもなく、俺の隣からだ。
モーター音を上げながら、ルームランナーのベルトがゆっくりと動き始める。
俺は、ルームランナーから転げ落ちないように、疲労で重たくなっている足を騙し騙し前に出し始めた。
「おーっと! やはり最初に解答ボタンを押したのは瑠璃さん! 他の二名の解答者は……まだボタンを押せない模様です~!」
司会の実況を聞いた俺は、走りながら安堵する。
さっきの立花さんの言葉の通り、この問題では、他のふたりの解答者はボタンを押さない……いや、押せないだろう。こんなマニアックな難問を答えられるのは、それこそ水族館のスタッフか専攻している学者先生……あとは、ド外れたペンギンオタクしか居ないだろう。
そして、俺の隣で解答席に座っている立花さんは、そのペンギンオタク……いや、もはやそれすら超えたペンギンキチ〇イ……略して“ペンキチ”である。彼女なら、ペンギンの学名くらい答えるのは容易い事だろう。
(……なら、少しゆっくり走っても大丈夫か)
そう考えた俺は、走るペースを落とした。正直、これ以上全力疾走したら、ふくらはぎあたりがヤバい事になりそうだったからというのもあった。
……だが、
“ピンポーン!”
「な……ッ?」
唐突に鳴り響いたチャイムの音に、俺はルームランナーの上で驚愕する。
慌てて横を見ると、美沙姫さんの解答席の赤色灯が光っており、その傍らのSAY☆YAさんが、ルームランナーの上で疾走を始めていた。
「おーっと! ここで美沙姫さんが解答ボタンを押したぁっ! 答えが解ったのか~ッ!」
「これ知ってるー! 昨日ヘルプで入った卓の偉そうなおじ様が教えてくれたやつ~!」
「な……んだと……ッ?」
美沙姫さんの嬉しそうな声を聞いた俺は、愕然とした。
なんてタイミングで、キャバ嬢相手に余計なウンチクを吹き込みやがったんだ、偉そうなおじ様ぁッ!
「ちょっと! 急ぎなさいよ! このままじゃ、解答権取られちゃう!」
「――ッ!」
焦燥で上ずった立花さんの声を耳にして、ようやく我に返った俺は、緩めかけていた足を再び全速力で動かし始める。
「痛っ……!」
その瞬間、ふくらはぎの筋肉が強張って悲鳴を上げるのを感じた俺は、思わず顔を顰めた。
……だが、ここで足を止める訳にはいかない。万が一、既に優勝にリーチをかけているSAY☆YAさんに追い抜かされて解答権を奪われてしまったら、敗北が確定してしまう……!
「う……うおおおおおおおおお――っ!」
俺は残り僅かな気力と体力を振り絞るように雄叫びを上げながら、しゃにむに両脚と両腕を動かす。
脚を前に踏み出す度に、太股とふくらはぎが鈍い痛みを発するが、そんな事に気を取られている暇など無い。
俺は歯を食いしばりながら、とにかくSAY☆YAさんよりも早く二百メートルを走り切る事だけに全力を注いだ。
そして――、
「おおーっと! 激しいデッドヒートの末、解答権を獲得したのは…………颯大さんだあああああっ!」
「……やった……ッ!」
興奮を隠せぬ様子の視界のお姉さんの声を聞いた俺は、速度を落とし始めたルームランナーの上で小さくガッツポーズを作り――、
「……あ、あが! あがががががががぁっ!」
その拍子に攣った、ふくらはぎの激痛に悶絶するのだった……。




