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第二百九十五訓 女の子の部屋を物色するのはやめましょう

 「ルリちゃんッ! 大丈夫――」


 無我夢中でドアの向こうに飛び込んだ俺は、上ずった声でルリちゃんに呼びかけながら、部屋の中を見回した。

 既に日は落ちていたが、空を覆う黒雲のせいで、部屋の中は真夜中のような暗さだ。

 それでも、徐々に暗闇に目が慣れていくにつれ、中の様子がぼんやりと見えてきた。

 だいたい六畳くらいの広さだ。床に敷いてあるカーペットは起毛素材らしく、足の裏にフカフカした心地よい感触が伝わってくる。

 部屋の真ん中には、ちょうど俺の部屋にあるものと同じくらいの大きさのローテーブルが置かれていて、その上にはファッション雑誌や本がぞんざいに積み重ねられていた。

 入ってきたドアの横には、どこか見覚えのある収納棚が置かれている。

 どうして自分がルリちゃんの部屋の中に置いてある収納棚に見覚えがあるのか引っかかった俺は、少しの間考え込むが――すぐ理由に思い当たった。


「……ああ、あの時にルリちゃんが送ってきた画像に映ってた棚か……」


 俺の脳裏に、ひとつの画像が浮かび上がる。

 ――三ヶ月前、俺たちがミクと藤岡さんと一緒に水族館に行った後、ルリちゃんがLANEのトーク画面に『おつかれ』というシンプルなメッセージと共に送ってきた、仲良く並ぶ二羽のペンギンの画像――。

 俺がカプセルガチャを回して当てた小さなペンギンキーホルダーと、館内のペンギンプールで催されたクイズ大会の景品だった実物大のケープペンギンのぬいぐるみが飾られていたのは、今目の前にあるこの棚で間違いない。

 ……でも、今棚の上に載っているのは、カプセルガチャの小さなペンギンキーホルダーひとつだけだった。


「……っと、そんな事はどうでもいい」


 一瞬、姿が見えない大きなペンギンのぬいぐるみの行方が気になった俺だったが、すぐ我に返って部屋の逆サイドに目を向ける。

 棚の反対側の壁面には、明り取りらしき大きな張り出し窓があり、薄いレースのカーテンがかかっていた。

 その前にはベッドが置かれ――その上にかけられた薄い毛布は、こんもりと盛り上がっている。


「……ルリ、ちゃん?」

「……」


 恐る恐る俺が声をかけると、毛布の下の盛り上がりがピクリと蠢いた。

 それを見た俺は、おずおずと手を伸ばし、かかっている毛布を少しずらす。

 布団の下から出てきたのは――


 ――立派な黒いクチバシを持つ、鳥類の顔だった。


「け……ケープペンギンンンンッ?」


 黒々とした目に見据えられた俺は、驚きのあまり裏返った絶叫を上げながら身を仰け反らせる。

 ――その次の刹那、張り出し窓の向こうが凄まじい光で真っ白になり、それとほとんど同じタイミングでバリバリバリという轟音が響き、窓ガラスをビリビリと震わせた。


「うわっ! ビックリし――うわああああああっ!」


 雷に驚いた俺の声が、更なる驚愕と恐怖で悲鳴に変わる。

 ――何かが不意に俺の腕を掴んだからだ。


「て……手ええええええぇぇぇっ?」


 慌てて目を向けると、毛布の下から一本の手が伸び、俺の腕をがっしりと掴んでいる!

 一瞬、さっきから虚ろな黒い瞳で俺の事を見つめているケープペンギンに腕を掴まれたと思って心臓が止まりかける俺だったが……毛布の下から伸びた手がペンギンのものではなく、ちゃんとした人間のものだと理解して、ホッと安堵の息を吐いた。


「なんだ……そこにいたのか、ルリちゃん」

「……うぅ」


 俺の呼びかけに、毛布の下から半分顔を出したルリちゃんは、小さな呻き声を上げる。

 右腕でケープペンギンのぬいぐるみを固く抱きしめ、左手で俺の腕を万力のようにきつく掴んだルリちゃんの顔色は、暗闇の中でもはっきり分かるほどに真っ白だった。


「……大丈夫?」

「……」


 思わず心配になった俺がかけた呼びかけに、ルリちゃんは固く目を瞑ったまま、無言で小さく首を横に振る。

 と――にわかに張り出し窓の外が騒がしくなった。

 雷鳴だけではなく、壁やガラス窓に激しく当たる無数の水音も、その喧騒に加わる。

 どうやら、夕立……いや、ゲリラ豪雨が降り出してきたらしい。

 その凄まじい雨音を聞いた俺は、自分が雨の用意をしてこなかった事に気が付いた。


「マジか……どうしよう。こんなに雨が降ってたら、駅まで戻れな――」

「……ダメ……っ!」

「……っ!」


 漏らした独り言を遮るように上がったか細いかすれ声と、自分の腕を掴む手の力が強くなった事に気づいた俺は、ハッとして振り返る。

 ベッドの上に戻した俺の目に、涙をいっぱいに浮かべたルリちゃんの瞳が映った。


「ソータ……行かないで……お願い……」

「ルリちゃん……」

「ひとりに……しないで……こわいよ……」


 毛布を体に巻き付けた恰好でぶるぶると震えているルリちゃんは、いつもとは打って変わって、まるで女の子のようにか弱かった……いや、“ように”じゃなくて正真正銘の女の子なんだけど。

 そんな彼女の様子を見ていた俺は、フッと口の端を緩めた。


「……言われなくてもそのつもりだよ」

「え……?」

「……どっちにしても」


 そう続けながら、俺は張り出し窓を指さす。


「このゲリラ豪雨の中じゃ、帰りたくても帰れないしね」

「あ……」

「俺の方こそ、お願いしていいかな?」

「お……お願い……?」


 ルリちゃんが、キョトンとした表情を浮かべた。

 そんな彼女にぎこちない笑みを浮かべながら、俺は言葉を継ぐ。


「……このひどい雷と雨が止むまで、ここで雨宿りしてても……いいかな?」

「あ……!」


 すぐに俺が言わんとしている事を察したルリちゃんが、表情をぱあっと輝かせ、何度も大きく頷いた。


「も……もちろんいいよ! ダメなはずないじゃん!」

「じゃ、決まりだね」


 彼女の快諾に、俺は満足げに微笑み――


 “ビカァッ! バリバリバリバリ――――ッ!”


「キャアアアアアアアアアアッ!」

「ギャアアアアアアアアアアッ!」


 その瞬間轟いた雷鳴に驚いたルリちゃんに掴まれていた腕を思い切り握りつぶされて、断末魔の絶叫を上げるのだった……。

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