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第二十二訓 人の事を待たせたら、きちんと謝りましょう

 と、立花さんが俺の顔を覗き込むように見上げながら尋ねてきた。


「で……アンタの方こそ、どうするの? 帰っちゃう?」

「え……?」


 彼女に訊かれた俺は一瞬迷ったが、フルフルと首を横に振った。


「……いや、俺も帰らないよ」

「あ、そう?」


 俺の答えを聞いた立花さんが、意外そうに大きく目を見開く。


「てっきり、いじけて帰るつもりなんだと思ってた」

「いじけてって……」


 立花さんの言葉にちょっとだけムッとしながら、俺はもう一度首を横に振った。


「まあ……君の言う通り、俺が帰った後にふたりの仲が進展しちゃったらマズいしね……」

「あら、そこはもう心配しないでいいって。あたしがバッチリ目を光らせておくからさ。あのふたりの関係は、あたしが一ミリたりとも進展なんてさせないよ! むしろ、進展どころか後退……いや、いっそ消滅させてやるからさ!」


 そうキッパリと言い切ると、立花さんは俺に向かってひらひらと、まるでハエを払うように手を前後に振ってみせる。


「って事で、アンタは安心して帰ってどうぞ~。お疲れ様でしたー」

「……いや、だから、帰らないって言ってんじゃん」


 冷たくあしらう立花さんに辟易しながら、俺は残る決意を更に固くした。

 ……何となく、彼女だけを残して、ミクたちについていかせるのは危険な気がする。さすがに彼女も、ミクを物理的に傷つけるような事はしないだろうが、藤岡の気を引こうとするあまりに、心理的に辛い思いを強いる事は充分に考えられる。

 だから、俺は残るべきだ。

 『藤岡とミクの関係発展を食い止める為』というよりは、むしろ『立花さんの行き過ぎた行動の抑止の為』に……!


「あっそ。まあ、勝手にすれば?」


 そんな俺の内心も知らぬ様子の立花さんは、そう言って俺の顔を一瞥すると、再びブスッとした表情を浮かべ、頬杖をつく。

 そして、つまらなさそうに入り口ゲート脇の大きな大型ディスプレイに目を向けると、それきり口をきかなくなった。

 ……気まずい。


「ええと……あのさ……」

「……」


 沈黙に耐え兼ねた俺がこわごわ声をかけるが、すぐ隣のベンチに座っている立花さんは、まるで何も聴こえていないかのように無反応のまま、水槽の中を悠然と泳ぐイルカやウミガメの映像を見つめているだけだった。


「……」


 俺は、そんな彼女に対して会話を試みる事を、速やかに諦めた。……まあ、他人に話しかけても反応が返ってこない事なんて、陰キャならば稀に良くある事で、すっかり慣れっこだ。

 しょうがないので、俺は尻ポケットに入れていたスマホを取り出すと、読みかけのマンガの続きを読もうとしてアプリを起動する。

 ……と、


「わぁ……!」

「……へ?」


 隣から微かな歓声が聞こえ、俺は横を見た。

 さっきはつまらなさそうに大型ディスプレイを眺めていた彼女が、今は少しだけ身を乗り出しながら、食い入るように画面を見つめている。

 その目は、さっきまでの死んだ魚のようなそれではなく、まるで宝石のようにキラキラと輝いていた。

 彼女の表情の変化に驚きながら、俺も大型ディスプレイに目を移す。

 そこには、行儀よく一列に並び、ヨチヨチ歩きで行進している大きなペンギンの姿が映っていた。

 ペンギンの映像と、それを無邪気な笑顔を浮かべながら見つめている立花さんの横顔とを見比べた俺は、ピンときた。


「あれ……? ひょっとして、立花さん――」

「――やあ。ふたりとも、待たせたね」


 思い浮かんだ推測が正しいか確かめようとして、俺が声を上げた瞬間、男の穏やかな声が聞こえてきた。

 それを聞いた瞬間、立花さんが目を大きく見開き、勢いよく声の方向へと振り向く。


「――ホダカ! 何やってたのさ、遅いよぉっ!」

「ごめんごめん。遅くなっちゃったね」


 立花さんの弾んだ声に、藤岡は困り笑いを浮かべながら頭を掻いた。


「いやぁ……トイレに行く途中で迷っちゃってさ。その上、トイレにズラーッと行列まで出来てて、結構待たされたんだよ」

「もう! 相変わらず方向オンチなんだから、ホダカは!」


 立花さんは、藤岡の言葉にぷうと頬を膨らませる。だが、それは嬉しくて緩む表情を誤魔化す為のポーズなのはバレバレだった。

 彼女は、俺の事を指さしながら声を荒げる。


「おかげで、こんな所で()()()()とふたりきりでずっと待たされて、居心地悪いったら無かったんだよ!」

「……」


 “こんなの”呼ばわりをされて、思わず頬を引き攣らせる俺。

 これも藤岡に対する照れ隠しなんだろうが、もう少しこう、何というか……手心というか……。

 ……いや、ひょっとして、照れ隠しじゃないガチの本音の可能性も微レ存……?


「はは……だから、ごめんって言ってるじゃないか。それに――」


 と、立花さんの訴えにタジタジとなりながら、藤岡がシャツの胸ポケットから何かを取り出した。


「ルリが怒ると思って、お詫びの品も取って来たよ。……まあ、トイレに行く途中にあったカプセルガチャなんだけど」


 そう言いながら、彼が立花さんに差し出したのは――可愛らしくデフォルメされたイルカのフィギュアが付いたキーホルダーだった。

 それを見た立花さんは、一瞬目を大きく見張り、それから藤岡に向けてニッコリと微笑みかけた。


「ま……まぁ、これで勘弁してあげる。ありがと、ホダカ!」

「ホントは別のを狙ったんだけど、あいにく小銭を持ってなくて。ごめん」

「ううん! 全然大丈夫!」


 立花さんは、謝る藤岡に向かってブンブンと首を横に振りながら、貰ったキーホルダーを、肩から掛けていたポシェットにいそいそと取り付ける。

 そして、キーホルダーを付けたポシェット藤岡に見せ、はにかみ笑いを浮かべた。


「……ね、ホダカ。似合うか――」

「お待たせしました~!」

「――ッ!」


 藤岡に尋ねかけた立花さんだったが、彼女の声は、チケットを買って戻って来たミクの声によって遮られる。

 その途端、立花さんの表情が硬く強張った。


「ごめんなさい。かなり混んでて、時間がかかっちゃいました。ホダカさん、待ちました?」

「お疲れ様。僕も、今戻ってきた所だよ」

「あ、そうなんですね! 良かった……」


 藤岡の言葉に安堵の表情を浮かべたミクは、俺と立花さんの方を向くと、申し訳なさそうな表情を浮かべながら言う。


「でも……そうちゃ――颯大くんとルリちゃんはずっと待ってたんだよね? ごめんね、遅くなっちゃって」

「あ……いや、大丈夫。お……お気になさらず」

「……」


 謝るミクに、俺は慌ててブンブンと首を左右に振る一方、立花さんはポシェットのイルカのキーホルダーを握りしめながら、ブスッとした顔をしてそっぽを向くのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] リズムの良いセリフが読みやすく、ちょっとしたアクシデント(携帯が…など)がとてもリアルで共感が持てました。 デートの行く末とホダカの幼馴染への思いが何なのか気になるところです。 [一言] …
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