第二百十五訓 駅前のロータリーで車を長時間停めるのはやめましょう
「久しぶりだね、本郷くん」
ロータリーの端に立って話していた俺たちの横につけるように停まったトールワゴンタイプの軽自動車の運転席から、相変わらずの爽やかな微笑みを浮かべた藤岡穂高が、俺に向かって声をかけてくる。
「あ……お久しぶりです、藤岡さん……」
そのにこやかな笑みに少しだけイラつきを感じつつ、俺はぺこりと頭を下げた。
だが、藤岡は、そんな俺の内心も知らぬげに、気さくに話しかけてくる。
「前に会ったのは、確か……君の家で心霊宿泊検証をした日だったから……もう二ヶ月ぶりくらいかな?」
「そうっすね……大体そのくらいですね。――っていうか、心霊宿泊検証って……もう少しこう……オブラートに包めというか、何というか……」
俺は、藤岡の言葉にぎこちなく頷きながら、僅かに頬を引き攣らせた。
と、俺の隣に立っていたルリちゃんが、満面の笑顔で藤岡に話しかける。
「ホダカッ! あたしも久しぶりッ!」
「おお、久しぶり……っていうか、この前実家の前で会ってから、まだ一週間も経ってないけど」
「何言ってんのさ! ホダカが高校卒業するまでは毎日顔を合わせてたんだから、その頃に比べたら全然久しぶりでしょっ?」
「まあ……そう言われればそうだね」
些か強引なルリちゃんの理屈の前に、思わず苦笑を浮かべた藤岡だったが、それでも穏やかな表情をキープしたまま小さく頷くと、俺たちに向かって手招きをした。
「まあ、こんな所で立ち話……あ、僕は座ってるけど……ええと、立ち話も何だから、乗ってくれるかな? ここはロータリーの中だから、五分以上停車し続けると違反切符を切られてしまうからね」
「あっ、はい! すみません! 今すぐ乗ります!」
「ごめん、ホダカ!」
藤岡の言葉でハッとした俺は、急いで車の後部座席のスライドドアを開けて乗り込む。そして、右側の席に詰めて座り、ルリちゃんに向けて声をかけた。
「ほら、ルリちゃん! 君も早く!」
「ううん、あたしはこっちー!」
……だが、ルリちゃんは俺の声にかぶりを振ると、当然のように前のドアを開け、助手席に腰を下ろす。
「えへへ、ホダカの隣ゲット~♪」
「あっ、そっすか……」
ウキウキのルリちゃんの声を聞いた俺は、思わず苦笑いを浮かべながら頷いた。
そんな俺をよそに、彼女は運転席の藤岡に顔を近付けながら尋ねる。
「ね、いいでしょ?」
「ああ、もちろん」
ルリちゃんの問いかけに藤岡はあっさり了承し、それから少し残念そうな表情を浮かべながら続けた。
「あいにく、今日はミクちゃんが居なくて空いてるからね。それに……正直、まだ運転に慣れてないから、隣に人がいてくれた方が僕も安心できるし」
「……あの、藤岡さん」
藤岡の言葉に引っかかるものを感じた俺は、おずおずと訊ねる。
「なんで……いないんすか、ミク?」
「あれ? 知らなかったのかい?」
俺の問いに、藤岡が怪訝そうな声で訊き返した。
「てっきり、ルリから聞いてると思ってたけど。ミクちゃんが来ない事……」
「あ、ルリちゃんからは聞いてたんですけど……来ない理由までは聞いてなくって」
「……あたしも、理由までは聞いてない」
ルリちゃんが、俺の声に続く。
う……何か、その声色に、微妙に不機嫌な響きが混ざっているような気が……。
だが、そんな不穏なルリちゃんの雰囲気にも全く気付かぬ様子で、藤岡は問いに答える。
「実は、今ミクちゃんは家族で田舎に帰ってるんだよ。ええと、お父さんの実家がある――」
「あ、北海道ですね。酪農をやってる……」
「そうそう」
俺の答えに、藤岡は大きく首を縦に振った。
「良く知ってるね、本郷くん。さすが、ミクちゃんの幼馴染だ」
「……子どもの頃から毎年、この時期には北海道に行ってましたから、アイツ……」
バックミラー越しに藤岡と目を合わせないで済むよう、ガラス越しに外を見ながら、俺はボツリと答える。
……そういえばアイツ、北海道から帰って来たら、必ずお土産を持って来てたな。それも、毎年決まって『白き恋人』だった。
今年も俺の家に持って来てくれるのかな、『白き恋人』。
なんか……速攻で母さんに食い尽くされそうだけど……。
……いや、
俺がアイツに告白なんかしたせいで気まずく感じちゃって、もう気安くお土産を持って来てくれる事は無いのかもしれない――。
「……どうしたんだい、本郷くん? 急に黙っちゃって?」
「あ……い、いえ。何でもないっす……」
藤岡の問いかけで我に返った俺は、ズキズキと痛む胸に顔を顰めながら、慌てて首を横に振った。
そして、俺たちが乗っている車の後ろに、何台か車が連なり始めているのを見て、慌てて叫ぶ。
「――って、そんな事より! ふ、藤岡さん、そろそろ出た方がいいかもしれないっす! 後ろに車がどんどん並んできて……」
「あ……! ホントだ」
俺の声にバックミラーから後ろを確認したらしい藤岡が、少し焦った様子で声を上ずらせた。
「マズいマズい……駐車違反は一点減点に反則金一万円……」
藤岡は、そんな事をブツブツ呟きながら右手でハンドルを握り、右足でアクセルを踏み込む。
と、次の瞬間――、
“ブオオオオオオオオ――ッ!”
というけたたましい音が車の前方から上がった。
「おおっ?」
「うわっ!」
「えッ? な、なに?」
ただならぬ轟音に、俺たち三人は仰天して叫ぶ。
「ど、どうしたの、ホダカ? 壊れたの、車……?」
「な、なんか、下側からすごい音が……今のって、エンジンの音っすか?」
俺とルリちゃんは、状況がつかめず混乱する。
……と、
「……あ、すまない、ふたりとも」
なぜか少し言いづらそうにしながら、運転席の藤岡が頭を下げ、座席の横のサイドブレーキを倒した。
「その……うっかり、サイドブレーキを戻すのを忘れてたんだ。だから、その……それで……」
「あ……そういう……」
「いやぁ……教習所でも時々やっちゃってたんだけど、どうもクセになっちゃってるみたいで……はは」
「……」
頭を掻きながら照れ笑いを浮かべる藤岡を見ながら、俺はこれからの道行に激しい不安に覚えるのだった……。




