第二百一訓 セレモニーの場では静かにしましょう
――けたたましい鐘の音が、俺の耳を打つ。
驚いて振り返った俺の目に映ったのは、荘厳なステンドグラスと、その前に立つ十字架だった。
俺は、自分が床に敷かれた赤い絨毯の上に立っている事に気が付き、訳が分からないまま周りを見回す。
赤い絨毯は、建物の入り口の扉まで真っ直ぐ続いており、その通路を挟むように木製の座席が整然と並んでいた。
そのアニメやマンガのシーンで良く目にするものと同じ光景を見て、俺は確信する。
(――間違いない。ここは教会の中だ)
自分がどこにいるのかが分かって、少しホッとする俺。
だが、同時に新たな疑問が頭に浮かんだ。
(……って、なんで俺、教会なんかに居るんだ……?)
俺は、理由が分からぬ不安感を抱きながら、背後を振り返る。
十字架が立つ祭壇の前には、花が飾られた司会者台のような台が置かれ、十字架のネックレスを首にかけた高齢の白人が穏やかな笑みを浮かべて立っていた。着ている黒い衣装と立ち位置から考えて、この人は恐らく神父様だろう。
(……じゃあ、今俺が立っている、この入り口まで続く赤い絨毯は――?)
俺は首を傾げながら、何気なく自分の体を見下ろした。
そして、自分が真っ白なタキシードを着ている事に気付いて驚愕する。
『え、えっ? これじゃまるで……結婚式の新郎みたいじゃん……』
狼狽のあまり、思わず漏らした俺の呟きは、先ほどよりも激しく鳴らされた鐘の音によって掻き消された。
それと同時に、入り口の木製の扉がゆっくりと開く。
その向こう側に立っていたのは――
『み……ミク……?』
純白のウェディングドレスを着て、薄いヴェールを頭に被った幼馴染だった。
飾り立てられたブーケを持ったミクは、驚愕している俺に向かって、真紅の絨毯を一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりと歩を進める。
彼女が横を通る度に、木製の座席に座っていた参列者たちの間から抑えた歓声が上がった。
よく見たら、その中に見知った顔が何人か混じっている。
後ろの方の席に座っているのは、四十万さんと葛城さんだ。何だか、四十万さんの横に座っている葛城さんの顔が緩んでいるように見える。まあ……好きな人の隣に座っているのだから、ふやけた豆腐みたいな顔になるのも無理はない。
……っていうか、OAコーナー担当者が三人ともここに居て、売り場の方は大丈夫なのか……?
真ん中くらいの席の端っこでにチョコンと座っているのは……一文字だ。――いや、こんな荘厳な場でカレーなんか食ってんじゃねえよ……。
最前列に座っているのは、父さんと母さんだ。パリッとした礼服に身を包んだふたりの目は、心なしか潤んでいるように見え……いや、めちゃくちゃ号泣してたわ。……って、このタイミングで大きな音を立てて鼻を噛むなぁ!
――と、そんな事を考えている間に、ミクがヴァージンロードを歩き切った。
俺が慌てて差し伸べた手を、ミクはベールの奥で微笑みながら握る。はにかんだ笑みを浮かべるミクの顔は……とても綺麗だ。
手を繋いだ俺たちは、祭壇の方に向き直り、並んで立った。すると、ミクは俺だけに聞こえる声でそっと囁きかける。
『……とうとうこの日が来たね』
『あ……ああ』
俺は、つないだ手から感じるミクの体温に胸を高鳴らせながら、ぎこちなく頷いた。
そんな俺の手を少し強く握りながら、ミクは更に言葉を続ける。
『これから……ずっと一緒だね、私たち……』
『そ、そうだね……』
『私……幸せです』
『お、俺も……幸せだよ、マジで……!』
俺は、ミクの言葉に大きく頷きながら声を弾ませた。
――どうやら、何だかんだあった結果、俺とミクは晴れて結ばれたらしい。
つまりここは、俺とミクが永久の愛を誓う結婚式の場――!
『これからも……』
ベールの奥で心なしか目を潤ませて、ミクは言葉を続けた。
俺は、彼女の言葉を一言一句聞き逃さぬよう、全身の神経を耳に集中させる。
『ふつつか者ですが、宜しくお願いします――ホダカさん』
『……へ?』
俺は、耳にしたミクの言葉の意味が解らず、思わずポカンと口を開けた――次の瞬間、
『……あれ?』
一瞬前まで祭壇の前に立っていたはずの俺は、参列者席に座っていた。
『え……? な、何? い、一体何が……?』
俺は、あまりの異常事態に脳の処理が追い付かず、目を白黒させながら、先ほどまで自分が立っていた祭壇の方に目を向ける。
そこに居たのは、ウェディングドレス姿のミクと――その隣に立つ、白いタキシード姿の藤岡穂高だった。
『え? あれ、なんで……? え、ウソだろ?』
結婚式の主役から一転して、タダの参列客Aに降格された格好の俺は、事態が理解できずに冷たくて堅い木の椅子の上で狼狽する。
そんな俺をよそに、結婚式は祭壇の前で粛々と進み、ふたりが永久の愛を誓った。その声は幸せに満ちていて、こちらに背を向けたふたりがどんな顔をしているのかは、見えずとも分かる。
『ソレデハ……』
という神父の片言の言葉に促され、ふたりは互いに向かい合った。
誓いの言葉を交わした新郎新婦が次に交わすのは――。
『や……』
飛び出さんばかりに目を見開いた俺は、椅子に座ったまま、掠れた呻き声を上げた。
出来る事なら、今すぐにふたりの間に割り込んで式を妨害したい――そう願うものの、なぜか俺の身体は金縛りに遭ったかのように強張り、指一本動かせない……!
椅子の上でもがく俺の前で、藤岡はミクの顔にかかっていたベールをゆっくりと上げる。
『や、やめ……』
俺は必死に叫ぼうとするが、喉が潰れてしまったかのように締まり、やはりまともに声が出ない。
四苦八苦する俺の前で、藤岡と見つめ合っていたミクが、僅かに顔を突き出し、静かに目を瞑った。
それに応えるように、藤岡が自分の顔をミクの顔にゆっくりと近付ける。
『やめ……やめ……!』
ふたりの顔の距離が徐々に近づいていく。
十センチ……七センチ……五センチ……三センチ……。
『やめ――!』
……二センチ……一センチ……!
俺は、その瞬間を見るまいと目を固く瞑りながら絶叫した。
『やめてくれええええええああああああああああああ――っ!』




