第二十訓 自己紹介はきちんとしましょう
「…………は?」
俺は、爽やかな笑顔でこちらに手を振りながら近付いてくるメガネの若い男と、その横に並んで歩きながら憮然とした表情を浮かべている少女の姿を凝視しながら、思わず間の抜けた声を漏らした。
なぜここに、ミクの彼氏である藤岡穂高と、今日藤岡が一緒に出かける予定だったはずの、彼の幼馴染の立花瑠璃が姿を現したのか、全く理解できずに当惑する俺。
その横で、ミクは輝くばかりの笑顔で、ふたりに向かって大きく手を振っていた。
……まるで、ふたりがここに来るのをあらかじめ知っていたかのように――。
「……な、なあ、ミク。こ……これは一体――」
「ホダカさん!」
激しく狼狽えながら、とりあえず説明を求めようとした俺の声は、ミクの弾んだ声によってあっさりと掻き消される。
ミクは、藤岡の事が待ちきれないと言わんばかりに、彼の元に駆け寄った。
「あ……待っ――!」
ミクを引き止めようと咄嗟に伸ばした俺の手は、彼女の肩を掴む事が出来ず、虚しく空を掻く。
そして、俺は手を前に伸ばした間抜けな格好のまま、ミクの背中を見送るしか出来なかった。
「おはようございます、ホダカさん!」
と、藤岡に向かって、嬉しそうな声で挨拶するミク。俺からは背中しか見えないが、どんな顔をあいつに向けているかは明らかだった……。
「やあ。おはよう、未来ちゃん」
ミクの挨拶に、藤岡も穏やかな微笑を浮かべて答える。
初めて間近で聞く藤岡の声は、思ったよりも低くて落ち着いていて、何というか……大人の余裕というのを感じさせられた。――確か、浪人も留年のしていない大学三年生だったから、俺とはひとつしか違わないはずなのに……。
何とも言えない劣等感と敗北感が、俺の胸をじりじりと蝕む。
――と、藤岡がチラリと俺の方を見た。
眼鏡の奥で、少し茶色がかった瞳からの穏やかな視線が、呆然としていた俺の虚ろな視線と交錯する。
「……ッ!」
その瞬間、人見知りな俺は思わず視線を逸らしかけるが、『ここでたじろいではならない』となけなしの根性を総動員して、精一杯の虚勢を張って見つめ返した。
すると藤岡は、穏やかな笑みを浮かべたまま俺に軽く会釈してくる。
と、
「あ、ごめんなさい!」
ミクが慌てた声を上げ、くるりと俺の方に振り返った。
そして、藤岡の事を手で示しながら、はにかんだ笑顔で俺に告げる。
「そうちゃん! この人が、この前話した、ええと……私の、そのぉ……」
「はじめまして。藤岡穂高です」
何故か顔を真っ赤にして言い淀むミクに代わる様にして、藤岡が自分で名乗った。
そして、優しげな顔立ちに照れ笑いを浮かべながら、イケボで言葉を継ぐ。
「未来さんとお付き合いをさせて頂いています」
「……っ!」
「今後もよろしくお願いします。ええと……」
「あっ!」
少し困った様子の藤岡を見たミクが、慌てて声を上げた。
そして、俺の方を手で示しながら言う。
「ホダカさん。えっと、この人がそうちゃ……本郷颯大くん。幼稚園の頃からの幼馴染です」
「よろしく、本郷くん」
ミクの言葉に小さく頷いた藤岡が、ニコリと微笑んで、俺の方に向かって手を差し出してくる。
俺は、どう言葉を返そうかと一瞬躊躇したが、
「…………ヨロシク」
今にも消え入りそうな声で答えながら、申し訳程度に頭を下げ、しぶしぶ手を差し伸べて藤岡の握手に応じた。
俺の手を握り返す藤岡の手の力は、その優男風な見た目とは違って、意外と強かった。
「本郷くんの事は、ミクから良く聞かされていますよ。とても仲が良い幼馴染だって」
「は……はぁ、そうっすか……」
「もう、幼馴染と言うよりは、弟みたいだとも言ってましたよ」
「お……弟ぉっ?」
半分抜け殻のようになって、藤岡の言葉を聞き流していた俺だったが、思わず裏返った声で叫んだ。
「お……弟って……! い、一応、俺の方が年上なんですけどぉっ!」
「えへへ……ゴメン、そうちゃん」
驚愕のあまり、声を上ずらせて荒げる俺に謝ってきたのは、ミクだった。
彼女は、ぺろりと小さく舌を出しながら言う。
「なんか、一緒にいる時間が長すぎて、“友達”って言うよりは、もう“家族”の方が近いなぁと思ってて……でも、“お兄ちゃん”だと何だか違和感があって、どっちかと言うと“弟”だなぁって……」
「か……か、家族……」
ミクの言葉を聴きながら、俺は眩暈を覚えた。
そんな俺の様子にも気付かぬ様子で、藤岡は小さく頷きながら言う。
「あんまり、未来ちゃんが本郷くんの話ばっかりするから、時々嫉妬を覚えたりもしましたよ。ははは」
「もう! だから、いつも言ってるじゃないですか!」
愉快そうに笑う藤岡に、少し困ったような顔をしたミクが言った。
「そうちゃ……颯大くんと私の間には、そんな感情なんて全然無いって!」
「……んがッ!」
ミクの言葉に、俺は思わず白目を剥き、大きく仰け反る。
一方、ミクは頬を膨らませると、藤岡に抗議するような口調で言った。
「それに……それを言うなら、ホダカさんだって――」
「え? あ、いや、僕の方こそ……」
ミクの抗議に苦笑しながら首を横に振りかけた藤岡だったが、ふと何かに気付いたように目を見開くと、「ああ、そうだ」と呟き、俺の方に視線を向ける。
「紹介が遅れてしまいました。彼女が僕の――って、おい」
藤岡は、そこで一旦言葉を止め、後ろを振り返った。
そして、さっきから自分の背中に隠れるようにして立っているもうひとりに向かって声をかける。
「何を恥ずかしがっているんだい、いつもの君らしくもない」
「……別に、恥ずかしがってなんかいないもん」
藤岡の呼びかけに応えたのは、まるで焼きたての餅のように頬を膨らませた立花瑠璃だった。
一週間前とは打って変わって、フリル多めの白いブラウスと膝下丈の水色のスカートという、女子力高めの格好をした立花さんは、絵に描いたような仏頂面を浮かべている。
そんな彼女を困り顔で見た藤岡は、苦笑交じりの顔をしながら、俺とミクに向かって言った。
「すまないね。何だか知らないけど、急に機嫌が悪くなってしまったようで……」
「は、はあ……」
「いえ、全然大丈夫です!」
藤岡の謝罪の言葉に対し、未だに事情を把握していない俺が曖昧な声を上げる一方、ミクはブンブンと首を横に振った。
そして、立花さんにニッコリと微笑みかけながら会釈する。
「はじめまして。私は、ホダカさんとお付き合いしてます、沢渡未来って言います」
「……」
「確か……ルリちゃんだよね? よろし――」
「――誰もアンタの事なんて聞いてないし! ていうか、人の名前を馴れ馴れしく呼ばないでももらえませんッ?」
穏やかなミクの挨拶に、立花さんはキッと眦を上げながら、金切り声で返した。
「――ルリ!」
「……ふんっ!」
見かねた藤岡の声に、立花さんはブスッと頬を膨らませながら、ぷいっとそっぽを向く。
そんな彼女の様子に困った様子の藤岡だったが、気を取り直すように苦笑いを浮かべると、今度は俺の方に向き直った。
「ええと……本当にすまないね。いつも、初対面の人の前だとこんな感じなんで、あまり気にしないで……」
「あ……ううん、大丈夫です」
「本郷くんもびっくりしましたよね? すみません」
「あ……いや……」
藤岡の謝罪に、俺は曖昧に首を横に振った。
まあ、彼女の気性は先週の日曜日の段階で予習済みだったおかげで、そんなに驚いてはいない訳だが。
そんな事は知る由も無い藤岡は、もう一度「申し訳ない」と頭を下げた後、改めて口を開いた。
「藤岡くんにもきちんと紹介しないといけませんね。――彼女は、立花瑠璃。僕の幼馴染です」
「あ……知って――」
「え?」
「あ! い、いやいや、何でも無いっス!」
思わず『知ってます』と口走りそうになった俺は、慌てて首を左右に振る。
立花さんと俺が既に知り合いだという事と、その経緯がふたりにバレたら、この上なくややこしい事になる……。
そう考えた俺は、わざとらしく咳払いをすると、さりげなく立花さんに目配せをしつつ、ぎこちなく頭を下げる。
「は……ハジメマシテ」
「…………ハジメマシテ」
まるでコマ送りのスローモーション映像のような動きでの俺の挨拶に、立花さんもまた、ロボットのようにカクカクした会釈を返すのだった……。




