第百八十七訓 女の子を起こす時は気を遣いましょう
「……はっ!」
俺は、脳内で再生される、俺が逮捕された世界線のニュース速報にしばしの間悶絶してから、ようやく我に返った。
慌ててテレビに目を向け、現在時刻を確認する。
「……やっべえ! もう四分過ぎてんじゃん! ま、マジで早く起こさないと、終電が行っちゃう……」
再び、『……番組の途中ですが、ここで速報をお伝えします。警視庁によると……』というニュースキャスターの冷静な声が、頭の中に流れ始める。
その幻聴を、頭を思い切り左右に振って無理やり掻き消した俺は、こっちの危機的状況など知らぬ様子で眠りこけているルリちゃんを見下ろし、さっきよりも強い口調で声をかけた。
「る、ルリちゃん! いい加減に起きて! もうそろそろ駅に向かわないと、マジで終電逃しちゃうって!」
「すぅ……すぅ……」
「……火事だ―ッ! 早く起きろぉ!」
「むにゃ……かじ?」
「っ! そう、火事だよ火事! だから、早く起きて――」
「えへへ……かじならとくいだよぉ……とくにりょうり……」
「だ――っ! そっちの“家事”じゃねえっ! ファイヤーな方の“火事”だっつうのおっ!」
ルリちゃんのとぼけた寝言に、思わず声を荒げる俺。
……ダメだ、この手でも起きない。
アニメやマンガだと、こういう時に「火事だ!」って叫べば、大概は目を覚ますはずなんだけど……。所詮はフィクションか……。
「って、そんな場合じゃないか……」
俺は、現実から逃避しかけた意識を戻すと、ローテーブルに突っ伏してままのルリちゃんの後頭部を再び見下ろした。
……どうやら、聴覚へのアプローチをこれ以上続けても、この寝坊助の目を覚まさせる事は出来ないらしい。
こうなったら……。
「……」
覚悟を極めた俺は、ごくりと唾を呑むと、相変わらず健やかな寝息を立てているルリちゃんの背中に向け、そろそろと慎重に手を伸ばす。
まるで、爆弾処理でもしているような気分だが、触れたら最後、一歩取り扱いを間違えれば変態紳士扱いされて(社会的な意味で) 生命が絶たれる恐れすらある。ぶっちゃけ、俺みたいなモテない陰キャ男にとって、女子高生の身体はタイマーの作動した時限爆弾とそう変わらない危険なシロモノなのだ。
「後で怒んなよな……これは、決して疚しい気持なんかじゃなくって、君を起こす為に行うやむを得ない措置なんだからな……」
そう、寝ているルリちゃんに向かって念を押すように囁きかけながら、俺は彼女の肩にそっと手を置いた。
俺の掌から、彼女の肩に触れた感触が伝わる。
な、なんか柔らかいし……それに……温かい……。
こ……これが……女の子の身体……!
(い、イカンイカンッ! り、臨兵闘者皆陣列在前ンンッ!)
俺は心の中で忍者のように九字を切って、危うく乱れかけた心を落ち着かせると、そっと彼女の肩を押した。
「る……ルリちゃん? ほ、ほら起きて。もう、終電まで時間が無いから……」
そう、ルリちゃんに声をかけながら、恐る恐るゆっくりと肩を揺する。
……だが、
「んん……」
微かな呻きを上げたものの、ルリちゃんが目を覚ます気配は無く、その後も何度か同じようにして起こそうとしたものの、結果は同じだった。
(……もうちょっと強めに揺すらないとダメか)
そう判断した俺は、小さく溜息を吐くと、さっきよりも力を込めて彼女の身体を揺する。
「――ほら、ルリちゃん! いい加減に起きなって! 帰れなくなっても知らないよッ!」
「んむぅ……なぁにぃ……?」
声のトーンを上げた俺に強く揺すられた事で、深い眠りの中にあったルリちゃんが、不明瞭な声を上げながらもぞもぞと体を動かす。
ここが好機と見た俺は、彼女の身体を更に強く揺すった。
「さあさあ、起きて起きて! マジで終電に乗り遅れちゃう――」
「うぅ~ん……待ってよママ……あと五分だけ寝かせてぇ……」
「いや! 俺は君のママじゃないし!」
まだ眠りの世界に半分浸かったままのルリちゃんに呆れ声でツッコんだ俺は、チラリとテレビ画面に目を向ける。
今の時間は……ゲッ! 0時11分ッ?
「だ、ダメだってっ! あと五分なんて寝てられないよ! 今すぐここ出ないと帰れなくなるってぇ!」
「ん……うるさいなぁ……」
俺の必死の叫び声がようやく届いたのか、ルリちゃんは舌足らずな声で文句を言いながら、ムクリと身を起こした。
「分かったよう……言う通りにすればいいんでしょぉ……?」
「ふぅ……ようやく分かってくれた……?」
ゆらゆらと立ち上がったルリちゃんに、俺は安堵の声を上げる。まあ……目はまだ八割がた閉じたまんまで、完全に覚醒してはいないようだけど、そのうち意識もはっきりしてくるだろう……。
「じゃあ、早く――」
「んん……はいはいぃ……わかったよぉ」
促す俺の声に寝惚け面で頷いたルリちゃんは、覚束ない足取りで数歩歩き――、
「むにゃ……ちゃんとおふとんでねるからさぁ……」
そう言うと、俺のベッドの上に身を横たえ、タオルケットを頭から引っ被った。
「は……?」
至極自然な動きでベッドにインしたルリちゃんを目の当たりにして、一瞬呆気にとられたが、
「い……いやいやいやいや! 全然分かってねえよ! そうじゃなくってぇ!」
状況を把握するや、慌てて声を荒げる。
「いや、俺は、『早く起きて家に帰れ』って言ってんの! 『ちゃんとベッドで寝なさい』なんて言ってねえって! いや、起きなさいって!」
俺はそう叫びながら、タオルケットに身を包んでミノムシのように丸まったルリちゃんの身体を必死で揺さぶるが……、
「むにゃむにゃ……Zzz……」
「い、いや、寝るなっつーのっ! つうか、だから“Zzz……”は古いって言ってんだろーがぁ!」
そんな必死の努力も虚しく、ルリちゃんは俺のベッドの上で健やかな寝息を立てるのであった……。