第百八十六訓 法律はきちんと守りましょう
「あ……っ!」
ローテーブルに突っ伏して、すーすー寝息を立てているルリちゃんを呆れ顔で見下ろしていた俺だったが、何の気なしに点きっぱなしのテレビに目を遣り、左上の“23:51”と現在時刻が表示表示されているのを見た瞬間、思わず声を上げた。
「って……呑気に寝てる場合じゃないじゃん! 終電が……!」
ルリちゃんの終電の時間が迫っている事を思い出した俺は、オロオロと狼狽える。
ええと……ルリちゃんが言ってた終電の時間って、確か……。
『大丈夫。電車は0時25分が終電だから。お茶を飲む時間くらいはあるでしょ』
――そうだった。ルリちゃんは、確かにそう言ってた。
だったら、やっぱり早く起きてもらって、さっさと淹れたコーヒーを飲んでもらわないと……。
そう計算した俺は、寝入っているルリちゃんに向けて、恐る恐る声をかけた。
「あ……あの~、ルリちゃん? コーヒー出来たよ~? そろそろ起きな~」
「すー……すー……」
「お、おーい、ルリちゃーん。起きて下さーい。早く飲まないと、コーヒー冷めちゃうよ~」
「むにゃ……むにゃ……」
「い、いや……マジで起きないと時間無くなるから……。コーヒー飲む時間も……終電の時間も……」
「Zzz……」
……ダメだ。いくら声をかけても、返ってくるのは寝息と寝言とZzzだけ……って、『Zzz』って、さすがに表現が古くないか?
「……って! そ、そんな呑気な事を言ってる場合じゃないか……」
テレビCMが終わって、次の番組のオープニングが流れ始めた事に気付いて、慌ててテレビに目を向けると、液晶画面に表示された現在時刻は“0:00”になっていた。
「や、やっべえ! いい加減に起こさないと、マジで終電を逃しちゃうぞ……!」
それを見た俺は、更に焦りを募らせながら、相変わらず呑気に寝こけているルリちゃんに目を戻す。
……でも、何度声をかけても全然起きる気配が無いしなぁ……。
そうなると……こういう時は……声をかけてもダメだったら、どうすれば……。
「……あ」
途方に暮れかけた俺は、ふとある事を思い付いた。
――そっか、声でダメだったら……身体を揺さぶってみるとか……?
そう考え付いた俺だったが、慌てて首をブンブンと左右に振った。
「……って! い、イヤイヤ! そ、それはさすがにちょっと……!」
マズいだろ!
起こす為とはいえ、俺みたいな陰キャ大学生が、勝手に女子高生の娘の身体に触れて揺さぶるなんて……!
……まあ、ルリちゃんは女子高生という感じはあんまりしない、もっと子どもっぽ……ゲフンゲフンッ!
と……とにかく、ルリちゃんも一応女の子な訳だし、触れたりするのは憚られるというか……。というか、下手したら痴漢扱いされて、手が後ろに回る事態になる可能性も微レ存……?
「さ……さすがに、二十歳になって早々、犯罪者として実名報道されたりしたくないしなぁ……」
俺はそう独り言ちると、伸ばしかけた腕を一旦引っ込め、諦めの息を吐いた。
「しょうがない。もっと大きな声出して起こすか……。まあ、最悪それでも起きなかったら、このまま朝まで放置する方向で――」
そう呟きかけた俺だったが、ふとある事を思い出して、眉を顰めた。
あれは……一ヶ月前くらいに観たテレビのワイドショーだ。どっかの変態親父が、SNSか何かで知り合った女子高生を家に泊めて逮捕された――そんな内容だった。
その時に、コメンテーターとして出演してた売れっ子弁護士が、確かこう言っていた……。『法律上、未成年者は判断能力が備わっていない者となります。ですから、たとえ善意であっても未成年者を家に泊める事は、親の同意がない限り犯罪になります』――と。
「い、いやいやいやいやっ! そ、それやべーヤツじゃんッ!」
その事に思い当たった瞬間、俺は顔からサーッと血の気が引いていくのを感じながら、上ずった声で叫んだ。
マズい、ヒッジョーにマズい!
もちろん、俺はルリちゃんに何をするつもりもない。わざわざ俺の事を心配して様子を見に来てくれた彼女が終電を逃したら、快くベッドを明け渡して泊めてあげるつもりになっていたのだが、これは正に『たとえ善意であっても未成年者を家に泊める』犯罪行為に他ならない……。
確か、あの時変態親父が捕まってたのは……誘拐罪とか未成年者リャクシュ? ――とか、そういう感じの名前が付いた罪だった気がする……。
『えー、ここで緊急速報です。警視庁は、昨夜に未成年の女子高生 (17)を家に泊めたとして、赤発条のアパートに住む自称大学生の本郷颯大容疑者 (20)を未成年者誘拐の容疑で逮捕しました。本郷容疑者は、「チェリーの俺に、そんな事する度胸なんて無いです!」などと、意味不明の供述を繰り返しており――』
「いやマズいマズいマズいってぇ!」
滑舌の良いアナウンサーが読み上げるニュース速報が脳裏に流れ、俺は頭を抱えて身悶える。
……も、もうなりふり構ってなんかいられない! とにかく、ここで呑気な寝息を立てて爆睡しているルリちゃんを、今すぐに起こさないと、俺の人生が終わってしまう!
そう考えながら、彼女の肩にそーっと手を伸ばす俺だったが――ここで再び、脳内ニュース速報が再生される。
『えー、ここで緊急速報です。警視庁は、昨夜遅くに女子高生 (17)の身体を無断で触った痴漢の疑いで、赤発条のアパートに住む自称大学生の本郷颯大容疑者 (20)を逮捕しました。本郷容疑者は「寝ていた女子高生を起こそうとしただけで、やましい気持ちは無かった」と、容疑を否認しており――』
「ああああああああ! どないせーっちゅうねんッ!」
肩を揺すって起こしても犯罪者、放置して一泊させても犯罪者――どちらにしても破滅しかない究極の二択を迫られた俺は、激しく懊悩しながら「Oh No!」と叫ぶのであった……。