第百八十二訓 B級映画の出来に期待するのはやめましょう
結局――その日は中番 (早番と遅番の間のシフト)扱いで、夜の八時でバイトを上がった。
実は、早番で六時に上がった葛城さんに、「せっかくなんで、これから飲みに行きましょう!」と誘われたのだが、丁重にお断りした。
「実はスマホを家に置いたままでバイトに来てしまって、上がった後に連絡が取れないので……」というのが、葛城さんに伝えたお断りの理由だったが、「さすがに、昨日の今日でパーッと飲みに行こうという気にはなれない」――というのが本音だった。
葛城さんは、俺に断った時に少し残念そうな顔をしたものの、すぐに「分かりました。じゃあ、またの機会に!」と言ってくれた。
その後にすぐ、「今日はゆっくり休んで下さい」と付け加えてきたので、多分、俺はよっぽど生気の失せた酷い顔をしていたんだろう……。
そんな訳で、いつもとは少し違う時間でバイトを上がった俺は、駅へ向かう道を歩きながら、これからどうしようかと思案する。
夜の八時過ぎだが、腹はあまり減っていなかった。……というか、今日は朝からあんまり食欲が湧かない。いわゆる『飯も喉を通らない』という状態らしい。
なので、一度はそのまままっすぐ家に帰ろうとした俺だったが、駅に向かって歩いているうちに、なんだかそれも嫌になった。急いで帰っても、どうせ待っているのは、誰も居ない殺風景な自分の部屋だ。
……まあ、もしかしたら、今でも時々ラップ音を鳴らしてくる先住者の幽霊が待っててくれているのかもしれないが、目に見えない地縛霊に一方的に待ち構えられて嬉しがる趣味など、俺には無い。
なので、少し思案した末に、俺は直帰するのをやめ、駅ビルの中の映画館に入る事にした。
取り立てて観たい映画があったでもないのだが、今の時間帯ならレイトショー料金で、昼間よりも安い料金で観られるというのが大きい。……まあ、『映画なら、ひとりで入っても怪しまれない』という点もあったのだが。
映画館の電光掲示板に並ぶ上映ラインナップを見上げた俺が選んだのは、『地獄の番鮫・ケロべロシャークの逆襲~バミューダトライアングルは燃えているか~』というパニック映画だった。
……そのセンスの欠片も無いクソダサいタイトルと、三つの頭を持つ巨大な鮫が巨大客船の船首にかじりついている、無駄に迫力のあるキービジュアルから、隠しきれない地雷臭がプンプン漂ってくる。
だが――否、だからこそ、俺は敢えてこのタイトルを選んだのだ。
B級サメ映画特有の見え見えのバカっぽさこそが、今の俺の沈むところまで沈み切った気分を晴らしてくれるのでは……と期待したからだ。
今の俺に必要なのは、胸に沁みる感動も、迫力あるアクションも、崇高な人間賛歌も、ましてやラブロマンスなどでは断じて無い。
二十年前のゲームのムービーシーンかと見まごう程のチープなCGで繰り広げられる、ツッコミどころ満載なクソ展開なのだ。
そのクソっぷりで、今の俺の心を鉛のように重くさせる憂鬱を少しでも紛らわせてくれ……そう願いながら、俺は映画館の入場ゲートを潜ったのだった……。
◆ ◆ ◆ ◆
それから二時間半後――。
「観なきゃ良かった……」
赤発条駅で電車を降りた俺は、自宅アパートに向かう道を歩きながら、十数回目の悔恨の声を漏らした。
「何だよ、あのラストさぁ……。台無しじゃねえかよ、まったく……」
そうぼやきながら、俺は忌々しげに溜息を吐く。
――さっき観た映画『地獄の番鮫・ケロべロシャークの逆襲~バミューダトライアングルは燃えているか~』の本編は、期待を裏切らなかった。――もちろん、この場合の“期待を裏切らなかった”とは、“クソっぷりが”という意味である。
水棲生物のクセに軽々と空を舞う三頭鮫――ケロべロシャークのビジュアルと動きは、今どきのリアルなCGとは程遠い、まるで中学生が学校配布の超低スペックタブレットでプログラミングしたような出来だったし、出演した俳優や女優の演技も、高校の文化祭の出し物かと見まごう程の大根っぷりだった。
そのくせ、目玉要素を増やそうとしたのか、日本語吹替にアイドルや芸人を起用していて、それが内容の酷さに一層の拍車をかけていた。――まあ、それが画面に映る登場人物の大根演技と妙にマッチして、逆に違和感を感じさせないという偶然の奇跡が起こったりしていたのが、逆に面白かった。
と、そんな感じで、『ツッコみ疲れる程のクソ映画を観たい』という俺の願望は概ね満たされた――最後のエンディングを観るまでは。
この映画の主人公は、冴えないルックスで引っ込み思案な上に、機械いじりが趣味という――いわゆる“ナード”と呼ばれる、アメリカスクールカーストの底辺に位置するカテゴリの大学生だった。
そんな彼が、スカした陽キャどもが次々とケロべロシャークに食われていく中、持ち前の機転と技術と知恵を駆使して生き延び、遂にケロべロシャークをガビガビのクソCGによる大迫力 (婉曲表現)のアクションシーンの末に仕留めた時には、妙な感動さえ覚えたものだ。
だが、全てが終わった後――彼がケロべロシャークとの戦いを経て培った勇気を振り絞って、秘かに想いを寄せていたクラスメイトに告白したところで……実はそのクラスメイトに子どもとイケメンな旦那がいるという残酷な事実が判明してしまう……。
そして、あまりにシビアな現実に頭の処理が追い付かず、呆然とする主人公の生気の抜け落ちた顔を大写しにして表示される“~Fin~”の文字……。
それを見た瞬間、俺の浮かびかけていた気持ちは、再び地の底まで落ち込んだのだった……。
まあ……意図は分かるよ。
あのまま、主人公の告白をヒロインが受け入れてハッピーエンドじゃ捻りが無いしさ……。奇をてらったラストもB級映画あるあるだし……。
「でも……よりにもよって、今日の俺が観るべきもんじゃ無かったなぁ……」
俺は、そうぼやきながら、失望の溜息を吐いた。
……多分、俺は主人公に感情移入していたんだと思う。パッとしないルックスに引っ込み思案な陰キャ――まるっきり俺って感じのキャラ設定だったから。
だからこそ、主人公には、俺が果たせなかった片思いの成就を果たして、非の打ちどころの無いハッピーエンドを迎えてほしい……映画を見ているうちにそう祈っていたんだ。
なのに、よりにもよって、あんな結末だなんて……。
「あぁ、観なきゃ良かった……。千五百円であんなクソ映画を観るくらいだったら、朝までヒトカラでもした方がマシだった……」
俺は、何回目かも分からない程に繰り返した悔恨の言葉を吐きながら、自宅アパートの外階段に足をかける。
そして、カン、カンと足音を鳴らして金属製の階段を昇りながら、ポケットをまさぐって鍵を取り出そうとした。
――その時、
「居たああああ――――っ!」
「へっ?」
唐突に頭上から降って来た絶叫に驚き、俺は慌てて顔を上げる。
そして、見上げた俺の目に映ったのは――
「え……? な、何でここに居るの……?」
階段の上から仁王立ちで俺の事を見下ろしている、見慣れた女の子の姿だった。
「ルリ……ちゃん……」




