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第百八十一訓 辛い時は仕事で気を紛らわせましょう

 「……ホントに大丈夫、ホンゴーちゃん?」

「え……?」


 いつものようにビックリカメラのOAコーナーで品出しをしていた俺は、唐突に背後からかけられた声に振り返り、力無い笑みを浮かべてみせる。


「いや……ですから大丈夫ですって。さっきからずっとそう言ってるじゃないっすか、四十万さん……」

「全然大丈夫そうに見えないから訊いてんの」


 手にしたハンドラベラーで、インクのパッケージに素早く値段ラベルを打ちながら、四十万さんが言った。

 そして値付けしたインクを棚に乗せながら、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。


「よく見たら、目の下にすごいクマが出来てるし……今日は様子がおかしいよ、キミ。――昨日、何かあったでしょ?」

「い、いや、別に……何でもないですってば……」


 俺は内心でドキリとしつつも、表面では平静を装ってしらばっくれてみせた。

 四十万さんは、そんな俺の顔をジッと見つめながら、低い声で訊ねる。


「ひょっとして……失恋でもした?」

「うっ……!」


 ピンポイントで図星を指され、思わず返す言葉を失った俺の反応に、四十万さんは色々と察したようだ。


「いや、当たり(ビンゴ)かい……」


 そう呟きながら大きく溜息を吐いた四十万さんは、俺の事を気遣うように訊ねる。


「……どうする? 辛いんだったら、もう上がっちゃっても大丈夫だよ?」

「あ……い、いえ……」

「っていうか、本当なら、今日は休みだったはずだもんね、ホンゴーちゃん」

「ま、まあ……」


 俺は、四十万さんの言葉にばつの悪い思いを覚えながら、ぎこちなく頷いた。

 ――そうなのだ。

 本来なら、今日は休みの予定だった。

 昨日――土曜日にミクと花火を観に行った後は、そのまま実家に泊まるつもりだったのだが、ミクに告白して無惨に玉砕したショックがデカすぎて、その日のうちに自宅アパートに逃げ帰ったのだった。

 そのままベッドに潜り込んで、夢の世界に逃避しようと思ったものの、眠ろうと目を閉じると、これまでミクと過ごした思い出のあれやこれやや告白の時の辛い記憶が次々フラッシュバックして、一睡も出来ないまま朝を迎えてしまう。

 そんな俺の沈んだ気持ちは、起きた後も変わらなかった。

 ふと気を緩めるとミクの事が頭にちらついて、何も手に付かない有様で、あのままずっとひとりきりで部屋に居たら気が狂ってしまいそうだった。

 ――だから、手を動かしたり接客したりして少しでも気が紛れればと思って、急遽予定を変更してバイトに来た……という次第である。


「遅番で来たら、休みのはずの君がいたからビックリしたよ」

「スミマセン。じ、実はシフトを一日間違えちゃいまして……」


 本当は、休みなのを知っていた上でバイトに来た訳だが、正直に言うのが何だか憚られて、俺は『間違えた』と嘘を吐いた。


「そう、早番の葛城さんに伝えたら、バイトに入ってもいいって言われたんで……」

「にしても、だったら私が打刻する前に、事務所で教えといてほしいもんだよねぇ」


 俺の弁解を聞いた四十万さんは、不満げに口を尖らせると、「その上さぁ……」と言葉を継ぐ。


「ホンゴーちゃんはホンゴーちゃんで、まるで生気のない顔で存在感を消してるんだもん。まったく……見かけた瞬間、思わずファブローゼを探しちゃったよ」

「いや……幽霊扱いじゃないっすか、それ……」

「いや、冗談抜きに幽霊みたいだったんだって、ホントに」

「……スミマセン」


 眉間に皺を寄せた四十万さんの表情から、その言葉が冗談でも大げさでも無い事を悟った俺は、申し訳なさを感じながら頭を下げた。

 そんな俺に、四十万さんは苦笑を向け、肩を竦める。


「ま……ウチは日曜日でもそこそこ忙しいから、人手が多ければそれに越した事は無いけどね」


 そう言って苦笑を浮かべた四十万さんは、「でも……」と言葉を継いだ。


「無理はしないでね。本当にしんどくなったら、いつでも上がっていいから。今日は、私もカツラギくんもいる訳だし――」

「あ! お、お呼びですか、四十万さんっ?」


 四十万さんの声を聞きつけた葛城さんが、棚の向こうからひょっこりと顔を出す。どうやら、ちょうど向かいのコピー用紙の棚で面陳でもしていて、俺たちの会話を聞きつけたらしい。

 そんな彼に、四十万さんは苦笑しながら答えた。


「あぁ、ゴメン。別に呼んだ訳じゃないんだけど」

「あっ……そ、そうなんですか……」


 四十万さんの答えを聞いた葛城さんの表情がみるみる内に曇る。そんな彼の表情の変化を見た俺は、ピンと来た。


(……あ、この人、今のは偶然じゃなくって、ずっと棚の向こうで聞き耳立ててた感じだわ。俺と四十万さんの会話に加わりたくて――というより、四十万さんと話したくてって感じか……)


 俺はそこで、社員食堂で人事の檀さんと一緒になった時に交わした会話を思い出す。


『本郷くん、それとなく葛城くんの事をフォローしてあげてよ。香苗先輩とうまくいくようにさ』


 その時に檀さんから言われた言葉が、俺の頭を過ぎった。


(そういえば……葛城さん、四十万さんの事が好きらしいんだっけ……)


 そう思い出した俺は、棚の向こうで頬を染めながら俯く葛城さんと、そんな彼を見て不思議そうに首を傾げている四十万さんの顔をチラリと見る。

 ……やれやれ、ぶっちゃけ、他人の恋愛をどうこうするような気分じゃないんだけどなぁ。

 そう考えながら、俺は途切れかけた会話を繋ぐ為に口を開く。


「……で、でも、珍しいっすよね! 俺と四十万さんと葛城さん……三人が揃うのって!」

「え? あぁ……そういえば」

「た、確かにそうですねっ!」


 俺の言葉に、四十万さんと葛城さんが同時に頷いた。


「確かに、三人の出勤が被らないようにシフトを組んでるからね、私。全員揃ったのって、カツラギくんがここに配属されてから初めてじゃない?」

「あ、い、いえっ! 確か……七月の頭くらいに一回、みんな揃った日がありましたよ!」

「あ……そう言われたら、確かに!」

「あの日は、三人いたおかげで、とても仕事が進んだんですよね。品出しも速攻で終わらせちゃって、古くなったプライスも全取っかえできて……」

「だよねぇ。やっぱり、三人体制だと仕事が捗るよね。夜もふたり居ると全然違うし……。もうひとりOA担当増えないかなぁ……」

「そうですよね……」


 俺の一言をきっかけにして、四十万さんと葛城さんの会話が弾み始めた。

 ……まあ、内容は仕事の事ばかりではあるけど、葛城さんが四十万さんと話せて楽しそうだから良しとしよう。


(にしても……)


 と、俺は会話のオブザーバーに徹しながら、葛城さんの事をこっそりと一瞥する。

 四十万さんと談笑する彼の顔は、いつもとは打って変わって、キラキラという効果音が見えるような満面の笑顔だった。

 どうやら、葛城さんが四十万さんの事を好きなのは間違いないようだ。


「……いいなぁ」


 失恋ホヤホヤの俺は、そんな片思い真っ最中の彼の事が素直に羨ましくなって、ふたりには聴こえないようポツリと呟くのだった……。

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