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第百七十三訓 美味しいものはゆっくりと味わって食べましょう

 それから――

 無事に犬のウ〇コチェックを終えた俺とミクは、土手の草の上に並んで腰を下ろした。


「そうちゃん……上着、ごめんね。後で洗って返すから」

「ん?」


 草の上に敷いたパーカーの上にチョコンと座ったミクに、申し訳なさそうな顔でそう言われ、俺は苦笑しながらかぶりを振ってみせる。


「あ、いや、別にそんな気にしなくていいって。さっきも言ったけど、そんな汚れて困るモンでも無えし」

「でも……」


 俺の言葉を聞いても気がかりそうに表情を曇らせるミク。……いや、ホントに気にしなくていいんだけど。むしろ、ミクの尻に敷かれて、俺のパーカーも「本望だ」と喜んでいるに違いない。

 ……つーか、ミクの尻に接触してるなんて、正直ちょっと羨ましいぞコノヤロー。


「そ、そんな事よりさ!」


 俺は、心の中に浮かんだ(よこしま)でヒワイな思いを誤魔化すように、わざとらしく弾ませた声を上げながら、右手に持っていたりんご飴を掲げてみせる。


「やっと座れた事だし、早速食おうぜ! 実は、あの人混みでもみくちゃにされてたせいで、結構腹が減ってんだ、俺」

「あ、そうだね。実は……私も」


 俺の言葉にミクも頷きながら、ペロリと舌を出した。

 うーん、めっちゃカワイイ!


「……どうしたの? 変な顔して」

「あっ! い、いや、何でもない!」


 ミクに不思議そうな表情で顔を覗き込まれた俺は、慌てて締まりの無い笑みを引き締めながら左右に首を振る。

 そして、「い、いただきまーす!」と声高に言いながら、真っ赤なりんご飴にかぶりついた。

 シャリッとした歯ごたえと共に、甘酸っぱいりんご飴の味と風味が口の中に広がる。


「いただきまーす」


 そんな俺の横で、ミクもりんご飴を頬張った。

 その途端、その顔が幸せそうに綻ぶ。


「やっぱり美味し~いっ!」


 そんな感動の声を上げながら、ミクは夢中でりんご飴にかじりつき、あっという間に芯まで残さず平らげてしまった。


「あぁ……美味しかったぁ……」


 ミクは、恍惚とした様子でそう呟くと、手元に残った串をじっと見つめる。

 当然ながら、串の先に刺さっていた真っ赤なりんご飴はもう無い。


「うぅ……」


 何も刺さっていない串の先に寂しそうな目を向けるミク。

 そんな彼女の横顔にこっそり萌えながら、俺は自分のりんご飴をそっと差し出す。


「……ほら。俺の食いかけで良かったらどうぞ」

「ふぇっ?」


 俺の申し出に、ミクは目を丸くしてビックリし、それから慌てた顔でブンブンと首を横に振った。


「い、いや、いいよぉ! それ食べちゃったら、そうちゃんが食べる分が無くなっちゃうじゃない!」

「いや、俺はもう食べたから大丈夫だよ」

「もう食べたって、たった一口じゃん……」

「いや、三口は食べたって。だから、もう充分」


 ミクの言葉に軽くかぶりを振った俺は、ふと意地悪心が芽生えて、スッと手を引っ込めてみた。


「まあ、そこまで言うならいいんだけどさ。やっぱり、お前にあげるのはやめて、食べちゃおっかなぁ~?」

「あ……っ!」


 俺が大口を開けてりんご飴にかぶりつく振りをしてみせたら、ミクがこの世の終わりみたいな顔をする。

 それを見て、俺は思わず噴き出した。


「ぷっ! あははは……冗談だって」

「え、そ、そうなの?」

「そうだよ」


 俺は笑いながら頷くと、再びミクに向けてりんご飴を差し出す。


「まったく……そんな顔をするくらいなら、最初から遠慮しないで受け取っとけよ」

「うぅ……イジワル」


 ミクは恨めしげな目で俺の事を睨みながら、その一方でしっかりとりんご飴の串を受け取った。

 そして、恐る恐るといった調子で俺に念押しするように訊ねる。


「……本当にいいの?」

「うん」

「……あとで後悔したりしない?」

「いや、しねえって」

「……後になって食べたくなっても返せないよ?」

「だから、大丈夫だって! 後で返せなんてみみっちい事は言わないから、安心して食えって!」


 念押しにもほどがあるミクに、俺はさすがに焦れて、少しだけ声を荒げた。

 そんな俺の言葉にようやく納得したらしいミクは、口元を緩めながら、


「ごめんね。ありがと」


 と言ってから、りんご飴を一口齧る。

 次の瞬間、その顔に満面の笑みを浮かべた。


「んん~っ! 美味しーっ!」

「それは何より」


 ミクの笑顔に、思わず俺の頬も緩む。

 そして、夢中でりんご飴を頬張るミクの様子に少し呆れながら窘めた。


「……ていうか、もっと落ち着いて食べて大丈夫だぞ。誰も取ったりなんかしないからさ――って、もう食い終わったんかい……。いくら好きだからって、がっつきすぎだろ」

「ふぁっふぇ、おいふぃいんふぁふぉん、りんふぉあふぇ」

「……いや、何言ってるか分からんわ。口の中のモンを飲み込んでから喋りな」

「う……」


 俺のツッコミに、ただでさえりんご飴で膨んだ頬を更に大きく膨らませたミクは、もぐもぐと口を忙しく動かしてから、バツ悪げに言い直す。


「……だって、美味しいんだもん、りんご飴……」

「まあ……美味しかったんならしょうがないか」


 ミクの表情に苦笑を浮かべながら頷いた俺は、ふと無意識に言葉を続けた。


「っていうか、お前――」

「……ん?」

「ひょっとして、藤岡……さんの前でも、そんな感じなのか?」

「え、ええっ?」


 唐突な俺の問いかけに、ミクはビックリした様子で目を丸くする。

 ……そして、ビックリしたのは、俺も同じだった。


「……あ! ち、違う! 悪い、今の無し!」


 無意識とはいえ、自分から藤岡(ミクの彼氏)の名前を話題に出してしまった事に激しく狼狽しながら、俺はブンブンと手を左右に振る。

 ――と、ミクは、僅かに目を伏せながら、小さく首を左右に振った。


「……ううん、違うよ」

「……へ?」

「私……」

 そう言いながら、ミクは俺の顔をじっと見つめる。

 そして、静かな声で言葉を続けた。


「ホダカさんの前じゃ、こんな感じじゃないよ。今の私がこんな風なのは、そうちゃんの前だから……」

「み、ミク……」


 それって、どういう――?

 俺が、心臓を高鳴らせながらそう訊き返そうとした、その時――


 “ピ~ン ポ~ン パ~ン ポ~ン♪”


 激しく音割れしたチャイムの音が、河川敷に立てられたスピーカーから流れてきた。


『え~、ご来場の皆様、大変お待たせいたしました~。これより、第四十七回大平花火大会を開催いたします~!』


 花火大会の開催を告げるアナウンスの声と共に、リズミカルなBGMが流れ始める。

 次の瞬間、腹に響く爆音が響き渡り、すっかり藍色になった空に大輪の花が次々と咲き始めた。


「あ……」

「そうちゃん! 始まったよ! 花火観よっ!」


 思わず空を見上げた俺の横で、ミクが弾んだ声を上げる。


「わぁ……綺麗だねー! あ、ほら、また上がった! 今度は星形だよ!」

「あ、う、うん……」


 次から次へと上がる花火に歓声を上げるミクの横で、俺はさっきのやり取りの事が気になりつつも、コクンと頷いた。

 そして、子どものようにはしゃぎながら空を見上げるミクの横顔を見ながら、俺は、


「……綺麗だな」


 と、聞こえないように潜めた声でこっそりと呟くのだった。

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