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第百六十八訓 親とは小まめに連絡を取りましょう

 それから、日はあっという間に流れ――八月最初の土曜日になった。


 八月第一週の土曜日は、毎年恒例の『大平花火大会』の開催日である。

 ――そう、

 この前、LANEでミクと一緒に観に行くと約束した、運命のイベントだ……。


 その日、俺は早番でバイトに出た後、少し早めに上がり、その足で直接実家へ向かう。

 電車を乗り継いで実家に帰ったのは、四時半を少し過ぎた頃だった。


「ただいま~」

「あら、お帰り~、颯くん!」


 いつものようにドアを開けて玄関に入った俺を、いつもの調子の母さんが迎えてくれる。


「久しぶりねぇ。元気だった?」

「いや、久しぶりって……」


 俺は、母さんの言葉に呆れ声を上げた。


「この前の誕生日会から、まだ一ヶ月も経ってねえじゃん」

「いやねえ。一ヶ月は、『まだ』じゃなくて『もう』よ」


 台所で夕ご飯の下ごしらえをしていたらしい母さんは、エプロンで手を拭きながら不満げに頬を膨らませる。


「もうっ! 颯くんたら、全然電話してくれないんだもの。こっちからかけても出てくれないし……」

「うっさいなぁ……」


 俺は、母さんの小言を鬱陶しがりながら、履いていた靴を脱ぐ。

 そして、上がり框に上がりながら、素っ気なく言葉を続けた。


「俺もこれで色々と忙しいんだよ。バイトとか、バイトとか……バイトとか」

「バイトしかしてないじゃない」


 今度は、母さんが呆れ声を上げる。


「夏休みなんだからさ、もっと……今どきの若者らしい出来事とか無いの? お友達と一緒にどこそこへ行ったとか。――ほら、この前のお誕生日会に来てくれた……一万字(いちまんじ)くんだっけ? あの子とか」

「……一万字(いちまんじ)じゃなくて一文字(いちもんじ)。何勝手に一万倍に多重影分身させてるんだよ。つか、アイツが一万倍に増えたら、地球が終わるよ」


 そう言いながら思わず想像してしまった俺は、背筋に冷たいものが走って、ぶるりと身を震わせた。

 そして、眉間に深い皺を刻みながら、母さんに抗議する。


「つうか、誤解すんなし。アイツは別に友達なんかじゃないし。ただの大学の知り合いであって、それ以下ではあってもそれ以上じゃ断じて無いんで。ここ重要、テストに出るから忘れないで」

「あらあら、そうなのぉ?」


 俺の言葉を聞いた母さんが、残念そうな顔で嘆息した。……って、何をあからさまにガッカリしてんだよ。あんなキャラの主張が激しい奴が息子の友人で嬉しいのかよ、母さん……。

 と、ヒクヒクと頬を引き攣らせる俺に、母さんが再び目を輝かせながら詰め寄ってきた。


「――じゃあ、ルリちゃんの方は? あの後、何か進展あった?」

「いや……何だよ、“進展”って」


 俺は、期待に満ちた目を向けてくる母さんに辟易しながら、キッパリと首を横に振る。


「だから、ベクトルのズレた期待すんなって。俺とあの()が付き合ったりする事なんて絶対に無いから」

「あぁ、そっかぁ~」


 俺の答えを聞いた母さんは、なぜかにんまりと満面の笑みを浮かべた。


「そうよねぇ。颯くんは、ずっとミクちゃん一筋ですもんね」

「……いや、もう忘れたのかよ?」


 俺は、母さんの言葉に悪意が含まれていない事は理解しながらも、ムッとするのを堪えられずにジト目を向ける。


「ミクは、もう彼氏持ちのリア充だって事をさ」

「いやいや……」


 だが、母さんは、俺の言葉に対して意味深な微笑みを浮かべながら、小さくかぶりを振った。


「案外、そうでもないかもよ?」

「……は?」


 母さんの言葉に、思わず俺は首を傾げる。


「そうでもない……って、どういう事だよ? 何か知ってんの?」

「いやぁ、そういう訳じゃないんだけどね……」

「……?」

「でも……彼氏がいる女の子が、何も意識してない男の子とふたりきりで花火大会に行こうとしたりしないんじゃないかしら?」

「そ……それは――」


 俺は、母さんの問いかけに言い淀んだ。

 同時に、俺の心の中に微かな光明が差す。

 ミクが今日の花火大会に俺を誘ったのは、この前俺がやらかした告白の返事を面と向かってするつもりなんだと、今までずっと思い込んでいたのだが……ひょっとして、それとは違う可能性もあるんじゃないか?


(――ひょっとして、あの日の俺の告白が、『雨垂れ石を穿つ』という(ことわざ)よろしくミクの心に届いたんじゃないか?)


 ……ふと、そんな考えが俺の心の中に浮かんだ。


(……確かに、花火大会なんて、恋人同士がイチャイチャする為の定番イベントじゃないか。それなのに、藤岡じゃなくて俺の方を誘ったって事は、ひょっとして――)


 そんな淡い期待が脳裏を過ぎった途端に、心臓が急にバクバクと音を立て始める。


「え……? ま、マジ? マジでその線……ある?」


 俺は、盛んに目を瞬かせながら、うわ言のように呟いた。

 ――と、その時、


 “ピ~ン ポ~ン♪”


「――っ!」


 と、玄関のチャイムの音が高らかに鳴り、俺はびくりと身体を震わせながら、咄嗟に壁の時計に目を遣る。

 時計の長針は、ちょうど9の数字を指そうとしているところだった。

 あれ? 待ち合わせの時間は、確か午後五時だったはず……。


「あ、はいは~い」


 不意打ちのチャイムに、緊張と驚きで頭が真っ白になっている俺の横を通って、母さんは暢気な声を上げながら玄関へと向かう。

 数秒後、ガチャリと音を立てて開く玄関のドア。

 そして――、


「あらあらまあまあ! キレイな浴衣ね~っ!」


 という母さんが上げた感嘆の声の後に――ずっと聞き焦がれていた声が、俺の鼓膜を震わせた。


「こんにちは、真里さん。……そうちゃん、もう来てますか?」

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