第百六十三訓 他人の気持ちには敏感になりましょう
俺は目を白黒させながら、慌てて檀さんに向かってかぶりを振った。
「お、俺が四十万さんをす、好き……い、いやいや、違いますって!」
「うふふ、図星を指されたからって必死になっちゃって」
檀さんは、俺の言葉もどこ吹く風といった様子で、ニマニマと薄笑む。
「大丈夫だって。私は口が堅いから。君が香苗先輩にホの字なのは、私の胸の中にしまっておくから、安心して」
「い、いや、絶対信用できねえ! つか、うっかり口を滑らせる定番フラグじゃないっすか、それ! ――って、いや、だから、そうじゃなくって!」
いかにも“頼れるお姉さん”というような顔をしながら胸を叩く檀さんに、俺は再び首を左右に振った。
「だから、違うんですって! 俺が好きなのは、四十万さんじゃないんですっ!」
「えぇ~?」
俺が激しい口調で否定すると、檀さんは訝しげに首を傾げる。
「だって、とっても仲が良いじゃない、君と香苗先輩」
「え? そ、そうっすかぁ?」
檀さんの言葉を聞いた俺は、思わず当惑の表情を浮かべた。
「いや……別に、そんなに仲が良い自覚も無いんですが」
「でも、いつも売り場で楽しそうにお話してるじゃない?」
「あ……いや、あれは、四十万さんが一方的に絡んでくる感じで、俺はしょうがなく付き合ってあげてるというか……。まあ、イヤとかそういうのでは無いんですけど、一応仕事中なんで……」
「あら、そうだったの?」
俺の答えに、檀さんは目を丸くする。
「私はてっきり、君からも積極的に話しかけてるんだと思ってたわ」
「いやぁ……俺、全然会話の引き出し無いんで。見ての通りの陰キャっすから……」
「あ……ゴメンなさい」
「……いや、真顔で謝らないで下さい。余計に心に深い爪痕が……」
神妙な表情で深々と頭を下げた檀さんに、俺は顔を引き攣らせながら懇願した。
そんな俺の事を横目で見ながら頬杖をついた檀さんは、残念そうに大きく息を吐く。
「なぁんだ。てっきり、本郷くんも香苗先輩の事が好きなんだと思ってたから、OAコーナーで愛憎入り乱れるドロドロの昼ドラ展開が拝めるかなぁっと期待してたのに」
「な、なにロクでも無いもんを期待してるんすかッ!」
思わず反射的に声を荒げた俺だったが、ふと引っかかって、檀さんの発言の内容を思い返す。
「……『本郷くん“も”』って、え……?」
引っかかった箇所を反芻した俺は、その言わんとする意味をようやく察して、あんぐりと大口を開けた。
「え? まさか……葛城さんが、四十万さんの事を――?」
「あら? ひょっとして気付いてなかった?」
驚く俺の顔を見て、檀さんの方もビックリする。
「いやぁ……あんなに分かりやすいのに……。一番身近な所でいっしょに仕事してるのに、今まで気付かなかったの、君?」
「えぇ……マジっすかっ?」
俺は、檀さんの呆れ交じりのジト目に狼狽えながら、過去の葛城さんとのやり取りを思い返してみる。
『本郷さんと四十万さんって、ひょっとして、つ――!』
……ああ、なるほど。
一週間ほど前に葛城さんが言いかけた言葉の続きは――多分、『付き合ってるんですか?』だったんだな。
確かに……そう言われてみれば、思い当たる節が無いでもない。
時々、葛城さんから、自分が休みの間の四十万さんの様子を妙にしつこく訊かれてたりする事があったけど……それはつまり、好きな四十万さんの事が気になってしょうがないという葛城さんの気持ちの現れだったという事か……。
だから、俺と四十万さんが仲良いように見えて、付き合ってるんじゃないかと心配になって――。まあ、実際のところは俺が一方的に四十万さんから絡まれてるだけなんだけどね……。
「そうだったんすね……全然気付かなかったっすわ」
「いや、鈍過ぎでしょ」
感嘆する俺に呆れ顔を浮かべた檀さんだったが、「まあ……」と続けた。
「当の本人からして、葛城くんの気持ちには気付いてないみたいだから、しょうがないかもね」
「あ、そうなんすか?」
ビックリした俺は、思わず檀さんに訊き返す。
「四十万さんもなんすか?」
「みたいね。あの調子だと……」
檀さんは、俺の問いかけに苦笑しながら頷いた。
「もう、私もどかしくって……。口を開けば『彼氏欲しい』って言ってるクセに、すぐ近くに有望株がふたりもいる事に全然気付いてないんですもの」
「……いや、葛城さんの方はともかく、俺までラインナップに加えるのやめてもらっていいっすか?」
「あ、そうだったわね。君には別に好きな人がいるんだっけ? ――で、その“好きな人”って、私が知ってる娘な――」
「い、いや! 俺の事はどうでもいいんでッ!」
せっかく逸らした“俺の好きな娘”の事がぶり返されそうになって、俺は慌てて葛城さんの事へ話を戻そうとする。
「じゃ、じゃあ……葛城さんは、ずっと自分の気持ちを隠したまま、普通を装って四十万さんと一緒に仕事をしてるって事なんすか……」
「まあ、そういう事ね」
「好きな相手に自分の気持ちが伝わらないのって、結構辛い状況っすよね、葛城さん……」
「なんか、妙な実感が籠ってない?」
「あ、いや……別に」
首を傾げる檀さんに尋ねられた俺は、曖昧に言葉を濁した。
正直、葛城さんの事が他人事とは思えない。
なぜなら――ミクへの気持ちを隠していた、ついこの前までの俺と同じだと思ったからだ。
俺が、ミクと会う度にずっと感じていた、胸を締め付けられるような切ない痛み……それと同じものを、葛城さんも抱いていたのか……四十万さんと働いている間ずっと。
「そりゃ、キツいだろうなぁ……」
俺は、思わず葛城さんに同情を感じて呟いた。
――その時、
「だったらさ」
と、檀さんがしんみりする俺に、少し真面目な顔をしながら言った。
「本郷くん、それとなく葛城くんの事をフォローしてあげてよ。香苗先輩とうまくいくようにさ。“ダブルゴー”の相方としてね」
「あ……そうですね。了解っす。俺なんかがどれだけ役に立つかは分かりませんけど……って」
檀さんの言葉に頷いた俺だったが、ふと引っかかって眉を顰める。
「最後の“ダブルゴー”って……何すか?」
「あぁ、それね」
俺の問いかけに、檀さんはしたり顔を浮かべながら答えた。
「ほら……本“郷”颯大くんと葛城“轟”くん、両方に“ゴー”が付くじゃない。だから、“ダブルゴー。私が命名したの。上手いでしょ? 褒めて褒めて!」
「い、いや、褒めませんよ! 何勝手に変なユニット名を付けてくれちゃってんすか……」
俺は、ドヤる檀さんに呆れ顔でツッコむのだった。