第百六十一訓 ムキになって言い返すのはやめましょう
「あら、休憩中?」
売り場を葛城さんに任せて休憩に入り、社員食堂で遅めの昼食を摂っていた俺に、唐突に声がかけられた。
「お疲れ、本郷くん」
「あ……お疲れ様っす」
箸を止めた俺は、スマホに落としていた目を上げて、声をかけてきた女性社員に軽く会釈をする。
「檀さんも、今から休憩っすか?」
声をかけてきたのは、人事の檀美空さんだった。
「うん、まあね」
俺の問いかけに軽く頷いた檀さんは、社食のレタスサラダとミニうどんのセットを載せたお盆をテーブルに置くと、当然のように俺の隣に腰を下ろす。
「ここ、座っていいかしら?」
「……そういうのは、普通は座る前に訊くもんだと思うんですけど」
「まあまあ、そう固い事言わないで」
俺の咎め立てにも涼しい顔で、檀さんはテーブルの脇に置かれたドレッシングをサラダにかけた。
檀さんは、一見すると図書館の司書や喫茶店のウェイトレスの格好が似合いそうな、長い黒髪に眼鏡のおとなしそうな外見の綺麗な女の人だ……外見だけは。
彼女の中身は、こんな清楚な見た目とは正反対で、強気でグイグイ来る――いわゆる陽キャである。
そう、ナチュラルボーン陰キャな俺が最も苦手とするタイプだ。
そんな美人で天敵な檀さんが隣に座ってくるこの状況で、“彼女いない歴=陰キャ歴=年齢”なこの俺が、心穏やかでいられるはずも無い。
俺は、内心でドギマギしながらも、努めて平静を装って、止まっていた箸を動かす。
と、その時、
「……あれ、珍しいわね」
檀さんが、俺の手元を覗き込みながら、意外そうな声を上げた。
「今日は、いつもの菓子パンじゃなくてお弁当なんだ?」
「あ……は、はい……まあ」
俺は檀さんの視線に気まずさを感じながら、弁当箱の中の真っ黒な唐揚げをひとつ箸で摘まみ、口に放り込む。
一方、俺の弁当箱の中身を見た檀さんは、訝しげに首を傾げた。
「このお弁当、本郷くんが作ったの?」
「あ……えっと……」
檀さんの問いかけに、俺はどう答えようかと一瞬悩んだ末――首を縦に振る。
「ま、まあ……そうっす」
……言うまでもなく、それは嘘だ。
この弁当は、昨日のルリちゃんが特訓で作った料理の余りものを詰め込んだものだ。
だが……檀さんにその事を正直に答えてしまいでもしたら、生粋のゴシップ好きな彼女が食いつかないはずが無い。
ここは、嘘を吐いてでもリスクを回避すべき――俺は、そう判断した。
「ふぅ~ん……そうなんだ」
俺の答えを聞いた檀さんは、弁当箱の中をしげしげと見つめる。
そして、顔を上げると、少し眉を顰めた。
「……本郷くん、普段は料理とかしない人?」
「う……え、ええ、まあ……」
俺は、檀さんの問いかけにおずおずと頷いた。
……まあ、唐揚げにハンバーグにコロッケ、そして、いなり寿司というラインナップの弁当が、いなり寿司以外のどれもが焦げて、火事の焼け跡みたいな見た目になっているのを見れば、檀さんが何を言いたいのかは薄々察しがつく。
でも――、
「いや……確かに見映えはちょっと悪いですけど、味はちゃんとしてますよ」
昨日、真剣な顔で料理を作っていたルリちゃんの姿が脳裏を過ぎった途端、なぜか俺はムキになって言い返し、半信半疑といった顔の檀さんの前に、スッと弁当箱を差し出す。
「俺の言葉が信じられないんだったら、一口食べてみて下さいよ」
「え? いや、別にそこまでは……」
「いいから。一口だけ」
断ろうとする檀さんに、俺はなおも勧めた。
すると、檀さんは少し困ったような顔をしながらも、
「……じゃあ、一つだけ」
と答えて、弁当箱に箸を伸ばし、中に入っていたコロッケを半分に切って摘み上げる。
そして、間近で見た、キツネ色を超えてヒグマ色になったコロッケの衣に一瞬頬を引き攣らせたものの、意を決した様子で口の中に運んだ。
バリバリと音を立てながらコロッケを咀嚼する檀さん。
「……」
俺は、その様子を固唾を呑んで見守る。
……すると、
「……うん、確かに」
と、口の中のものを飲み込んだ檀さんは、そう呟いて小さく頷いた。
「本郷くんの言う通りね。見た目はアレだけど、食べたら意外とイケ……るとまでは言えないけど、思ってたよりはちゃんとコロッケしてるわ」
「でしょっ?」
檀さんの言葉を聞いて無性に嬉しくなった俺は、思わず顔が綻んだ。
「意外と悪くないっすよねっ? 檀さんもそう思いますよね?」
「うん、そうだね」
「いやぁ~、良かったっす!」
俺は、檀さんの肯定の言葉が無性に嬉しくて、ウンウンと何度も頷く。
「あんなに一生懸命作ってくれたんですもん。俺以外の人にもそう思えるって事は、あの娘の努力も無駄じゃ――」
「……一生懸命作って“くれた”? ――あの娘ぉッ?」
その時、唐突に俺の言葉を遮った檀さんの眼鏡のレンズが、やにわに鋭い光を放ったのが見えた。
「……あ」
眼鏡の奥から覗く檀さんの瞳が、まるで獲物を見つけた雌ライオンのそれのように爛々と輝いているのを見て、俺は己の失言に気付が、もう遅い。
彼女は、興奮した声で俺に問い質した。
「ねえ、本郷くん! ひょっとして、これを作ったの、君じゃないのっ?」
「う……」
「え? 誰誰? 私が知っている人? っていうか、“あの娘”って、まさか――」
生き生きとした顔で矢継ぎ早に質問を繰り出してきた檀さんは、そこでおもむろに小指を立ててみせる。
そして、芸能人に群がる芸能記者のような下世話な顔をしながら、俺に尋ねた。
「もしかして、君の彼女っ?」
「い、いや……違いますって!」
俺は、身を乗り出す檀さんから逃れようと身を反らしつつ、勢いよく首を左右に振る。
「あ……あの娘……ルリちゃんは、別にそういうのじゃないっすからぁ!」
と、必死で否定しつつも、ある程度のところまでは説明しないと檀さんは収まらないだろう――と観念する俺であった……。