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第百五十九訓 他人との距離感をきちんと意識しましょう

 「じゃあ……」


 と、赤発条駅の改札口の前で振り返った立花さんは、俺に向かってチョコンと頭を下げてきた。


「その……今日は、色々と付き合ってくれてありがとうね」

「あ……うん。こちらこそ」


 そんな彼女に、俺も頭を下げ返す。


「たくさん料理を作ってくれてありがとう。おかげで、数日は買い出ししないで食い繋げられそうだよ」

「……なんか、嫌味にしか聞こえないんだけど」


 俺の言葉を聞いた立花さんが、不機嫌そうに眉を顰めた。


「っていうか……ごめんなさいね。あんなにたくさん失敗作ばっかり作っちゃって……。もしアレだったら、食べないで捨てちゃってもいいからさ」

「いやいや! そんな事しないって!」


 まだ、メンタルがさっきの落ち込みから回復し切ってていないのか、どこか元気の無い立花さんに、俺は慌てて首を左右に振る。


「まあ……確かに火を通し過ぎなのは確かだけど、味自体はちゃんとしてるから、ありがたく頂戴するよ」

「……おなか壊さないように気を付けてよ」


 俺の言葉にそう答えた立花さんだったが、なんとなく、少しだけさっきよりも表情が和らいだように見えた。

 それを見て、俺はホッとしながら、彼女に向かって忠告の言葉をかける。


「でも、藤岡さんに作る時は、オリジナリティを出そうなんて考えないで、ちゃんとレシピに従って作りなよ。味付けも、火を通す時間も。そうしないと、また今日みたいな事になるからさ」

「……分かってるって」


 立花さんは、不満げに頬を膨らませた。


「あたしだってバカじゃないもん。今日とこの前とで、さすがに学習したよ」

「それならいいけどさ」


 むくれる立花さんの顔に噴き出しそうになるのを堪えながら、俺は言葉を継ぐ。


「頑張りな。……藤岡さん、喜んでくれたらいいね」

「うん!」


 俺の激励の言葉に、立花さんは嬉しそうに頷いた。


「マジでがんばる! 絶対、ホダカをあたしに振り向かせてみせるんだから!」

「その意気だ」


 俺は、立花さんの威勢のいい言葉に微笑む。

 ……と、急に立花さんの表情が曇った。

 彼女は、少し顔を俯かせながら、少しトーンを落とした声で俺に言う。


「……って、ゴメン。あたしばっかりはしゃいじゃって……」

「え? どうしたの、急に?」

「だって……ソータの方は……」

「あぁ……」


 彼女の表情と声で、何を言いたいのかを察した俺は、昼間の事を思い出した。

 だが、胸の中が鈍い痛みで疼くのを感じながらも、俺は軽くかぶりを振ってみせる。


「……俺の事は別にいいよ。立花さんも、気にする必要なんて無いって」

「でも……あの時、あたしがミクさんに連絡なんかしなければ……」

「だから、君のせいじゃないって」


 沈痛な表情を浮かべる立花さんに、俺は苦笑しながら言った。


「あの時、君がミクに電話しようがしまいが、アイツが俺よりも藤岡……さんの方を選んだ事実は変わらないんだからさ。むしろ、本人の口から直接聞く前に知れて良かったよ……ウン」


 と、半分は自分に言い聞かせるように答えた俺は、半ば無理矢理に笑顔を拵えて、「それに……」と言葉を継ぐ。


「もし、君が首尾よく藤岡さんの心を取り戻せたら、また状況が変わって、俺にもチャンスが巡ってくるかもしれないしさ。だから、君には頑張ってほしいんだ」

「そっか……そうだよね」


 俺の言葉を聞いた立花さんは、何度も頷きながら顔を綻ばせた。


「ソータ! あたしがんばるね! ソータの為にも!」

「うん……」


 ――なぜだろう? なぜか、その言葉を立花さんの口から聞いた時、俺の心が少しざわめいた。

 だが……俺は、その心の動きを気付かなかった事にして胸の奥に押し籠めながら、


「――期待してるよ」


 と短く答えた。

 それに対し、「おう! 期待してて!」と威勢よく答えた立花さんは、改札口の天井から吊り下がっている電光掲示板に目を遣ると、少し焦った声を上げる。


「あ……そろそろ電車が来るから、もう行くね」

「あ、うん」


 立花さんに小さく頷いた俺は、軽く手を挙げて言った。


「気を付けて帰りなよ。もう遅いから、道草とかしちゃダメだぞ」

「何さ、それ。あたしは小学生か」


 俺の言葉にムスッとした立花さんだったが、気を取り直すように肩を竦めると、俺の真似をするように片手を挙げて、軽く左右に振ってみせる。


「じゃあね、ソータ。なんか進展があったら、またLANEするから!」

「うん。分かったよ。じゃあな、立花さ――」

「――ちょっと待った!」


 改札口に向かいかけた立花さんが、俺の声を遮るように叫ぶや、くるりと踵を返した。

 そして、なぜか怒った顔で俺に詰め寄る。


「な……何? ど、どうしたの? 立花さ――」

「それだよ、それ!」

「そ、それ……?」


 何の事か分からず、目をパチクリさせる俺の口に指を突きつけながら、立花さんは怖い顔で捲し立てる。


「だから、それ! ソータさ、いっつもあたしの事“立花さん”って呼ぶじゃん!」

「え? あ、ああ……」


 俺は、何が“それ”なのか解らず、怪訝な顔をしながらおずおずと頷いた。


「そう言われれば、確かにそうだけど……それが何か?」

「『それが何か?』じゃないよッ!」


 キョトンとする俺の顔を睨みながら、立花さんは更に声を荒げる。


「何で、あたしが“ソータ”って呼んでるのに、アンタはいつまで他人行儀に苗字呼びしてんだよっ? あたしたち、もう友達でしょ。違う?」

「と、友達?」


 思いもかけない単語を聞いた俺は、思わず目を丸くした。


「ど、どちらかというと、“共謀関係”の方に近いんじゃないかと……」

「確かにそうだけど! でも……いっしょに水族館に行って、いっしょに家に泊まって、いっしょにご飯を作ったんだから、これはもう友達でしょうが! 違うッ?」

「い、いえッ! 違わないっス!」


 俺は、立花さんの剣幕に気圧されて、慌てて何度も首を縦に振る。

 それを見た立花さんは、「ヨシ!」と満足げに頷くと、自分の事を指さした。


「じゃあ、もう“立花さん”なんて堅苦しい呼び方するのは禁止ね! これからは、あたしの事は“ルリ”って呼ぶんだよ。いいね!」

「え、えぇ……?」


 俺は、立花さんの言葉に困惑の声を上げる。


「いやぁ……呼び方なんてどっちでもいいんじゃな――」

「よくないッ! とにかく、これからは名前呼びすること! 分かったッ?」

「な……何で、そんなに呼び方になんてこだわるんだよ……」

「なんか、よそよそしくって嫌なのッ!」


 立花さんは、激しく首を左右に振りながら声を荒げた。


「いいから名前で呼べええっ! 『呼び方なんてどっちでもいい』んだったら、名前呼びでもいいじゃん!」

「う……で、でも、女の子を名前で呼ぶのは、その……なんか恥ずかしいっす……」

「何を思春期の女子みたいな事を言ってんのさ、ハタチ越えた大人の男なくせに! ……ていうか、アンタ、ミクさんの事は名前で呼んでんじゃん!」

「いや……ミクは幼馴染だから、多少はね……」

「と・に・か・く! 四の五の言わずに名前で呼べっつってんのっ!」


 胸倉を掴まんばかりの勢いで、頑なに名前で呼ぶ事を強要してくる立花さん。

 俺は、そんな彼女に根負けして、しぶしぶ頷いた。


「わ、分かったよ。分かりましたよ。これからは、立花さんの事を名前で呼――」

「だから、“ルリ”ッ!」

「う……」


 すぐさま彼女に怖い目で睨まれた俺は、激しい気恥ずかしさを感じながら、おずおずと言い直す。


「わ、分かったよ……る、ルリ……ちゃん……」

「うん!」


 立花さん――もとい、()()()()()は、俺の口から自分の名前が出た事に満足した様子で、満面に笑みを浮かべた。


「それでいいよ! これからは、ずっとソレで! また苗字で呼んだら、タイキックしてやるからね!」

「りょ、了解っす」


 ミク以外の人を下の名前で呼んだ経験なんて全然無い俺は、大いに戸惑いつつ、ぎこちなく頷く。

 そんな俺に、ルリちゃんはおもむろに右手を差し出した。


「じゃ……改めて、()()()()()よろしくね、ソータ!」

「あ……う、うん。よろしく……る、ルリちゃん……」


 俺は、気恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じながら、彼女が差し出した手をおずおずと握り返す。


 ――握った彼女の掌は、なんだか熱かった。

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