第百五十四訓 “好き”には二種類ある事を知りましょう
『……ねえ、ミクちゃん?』
スマホのスピーカーから、躊躇いを含んだミクの声が聞こえた。
その声に、立花さんは慌てて応える。
「は、はい、何がですか……?」
『わ、私さ…………颯大くんに何て答えればいいと思う? あの……こ、告白に対して……』
「……!」
今にも消え入りそうなミクの声に、左胸の心臓が拍動を速めるのを感じた俺だったが、深く息を吐いて何とか心を落ち着かせた。
そんな俺の顔を心配そうな目で一瞥した立花さんは、「どうって……」と、おずおずと口を開く。
「それは……あたしに訊かれても……」
『そ、そうだよね……』
立花さんの答えに、ミクは慌てたような声を上げた。
『ゴメン……確かに、ミクちゃんに尋ねたところで意味無いよね。私が、自分で考えて決めないと……』
「……っていうか」
心なしか、ミクの言葉を半ば遮るように立花さんが上げた声に棘があるように感じる。
俺は不安を覚えて、思わず立花さんの顔に目を向けるが、彼女はそんな俺の視線にも気付かぬ様子で、スマホに向かって話しかけた。
「――迷ってるんですか? ソータの告白にどう応えるかを?」
「う……うん」
「それって――」
立花さんの口調が、更に鋭さと厳しさを増す。
「ホダカの事を振って、ソータの方に乗り換える可能性もあるって事ですかッ?」
「……ッ!」
半ば怒声に近い立花さんの問いかけを聞いた瞬間、横で訊いていた俺の心臓が飛び出しかけた。
ミクが――ホダカから俺に乗り換える……?
俺の告白を……想いを、受け入れてくれる……?
『そ……』
――だが、
そんな俺の淡い期待は、僅かコンマ数秒で打ち砕かれる。
『そうじゃ……そういう事じゃないんだけど……』
「……ッ!」
“そういう事じゃない”……つまり、ミクがホダカから俺に乗り換えるつもりは――無い。
つまり……そういう事だ。
「あ……」
俺の顔に浮かんだ絶望の表情に気付いた立花さんが、息を呑んだ気配がした。
一方のミクは、そんなスマホの向こう側で起こっている惨状に気付きようはずも無く、迷いながらポツポツと言葉を紡いでいく。
『颯大くんの事は好きだよ。でも……その“好き”は、家族みたいな関係の“好き”で……ホダカさんに対するような……男の人としての“好き”とは、やっぱり違うの……』
――「そうちゃ……颯大くんと私の間には、そんな感情なんて全然無いって!」――
……そういえば、俺たち四人で水族館に行った日、最初に藤岡と顔を合わせて紹介された時にも、ミクはそんな事を言っていた。
そうか……ミクにとって、俺はあくまでも“家族”みたいなモンだったんだな……。
「……ふぅ」
俺は小さく息を吐くと、ローテーブルに両肘をついて、両手で額を覆った。
そして、帽子の庇のようにした両手の陰で、そっと目を閉じる。
そうしないと、立花さんに俺が泣きそうになっているところを見られてしまいそうだったから……。
……と、その時、俺の手の甲に、柔らかくて温かいものが触れるのを感じた。
「……!」
俺は目を瞑っていたが、その柔らかくて温かいものが何なのかすぐに分かった。
「……ミクさん」
そっと包み込むように、俺の手を握った立花さんは、静かな声でミクに呼びかける。
「それじゃ、何を迷っているんですか? ソータの告白に対して?」
『それは……どう伝えて、断ろうかなって……』
「……そんなの、ミクさんの素直な気持ちを、そのまま正直に伝えればいいと思いますよ」
『でも……それじゃ、颯大くんが……』
「大丈夫ですよ」
立花さんが、少し突き放すような口調で言った。
「ソータは、ミクさんが正直な気持ちを伝えれば、絶対に分かってくれるはずです。だって……いい奴ですから、コイツ」
その言葉を聞いた時、彼女が俺の手を握る力が少しだけ強くなる。
その事に気付いた瞬間、嵐の海のようにぐちゃぐちゃに乱れていた俺の心が、スッと凪いだように感じた。
『……そうだね』
一方のミクも、立花さんの言葉に感じるところがあったのか、さっきよりも落ち着いた声が返ってくる。
『ルリちゃんの言う通りだね。そうちゃんだったら、分かってくれるよね……』
「……だと思います」
立花さんの答えを聞いた俺も、額に手を当てたまま小さく首を縦に振った。
と、
『じゃあ――』
ミクが、気を取り直したような声を上げる。
『この後すぐ、颯大くんに連絡を取ってみるよ!』
「「……へっ?」」
ミクの言葉に、俺と立花さんは思わず間の抜けた声を上げた。
それから、俺は慌てて顔を上げ、立花さんに向かって激しくかぶりを振る。
(ダメ! 今すぐ連絡はマズい! 何とか理由を付けて別の日にさせて! ちょっと心の準備が欲しいし!)
口パクとジェスチャーで立花さんに伝えると、彼女は小さく頷いて、スマホに向かって言った。
「あ、え、えーと……ソータ、多分今日は都合が悪いっぽいです。あた……じゃ、じゃなくて、その……た、確か、ひ……人に会うって言ってました……ハイ」
……まあ、嘘は言っていない。すごくたどたどしいけど。
『あ、そうなんだ』
だが、ミクはあっさり騙さ……信じたらしい。
『じゃ、今日はやめておくよ。颯大くんが空いてそうな日に……私の返事を――』
「あ……電話とかLANEよりは、直接伝えた方が……」
『うん。もちろん、そのつもり』
立花さんの言葉に、ミクはキッパリと答えた。
『こういう大事な事を、電話とかメッセージで済ませるのは、せっかく直接告白してくれた颯大くんに対して失礼だもの。――ちゃんと会う日を決めてから、面と向かって、私の返事を伝えるよ』
「そうですか……それが……いいと思います、ハイ」
そう迷い迷い言いながら、気がかりそうにこっちを見てくる立花さんに、俺は観念した顔で軽く頷く。
――どうせ爆死するのなら、最期にミクの顔を見てから潔く散りたいよね……うん。