第百四十七訓 誤解が解けたらキチンと謝りましょう
「ええと……」
四十万さんを見送った俺は、再び自宅のドアを見上げた。
そして、少し躊躇ってから、おずおずと手を伸ばしてドアノブを握る。
「お、お邪魔しま~す……」
自分の家なのだから「お邪魔します」がおかしいのは分かってはいたものの、何となく言わずにはいられない。
緊張しながら、キィ……という軋み音を立てて開いた扉の隙間に身体を滑り込ませるようにして中に入った俺は、恐る恐る部屋の奥を見回した。
と、
「……おかえり」
台所から、立花さんの声が返ってくる。
「あ……た、ただいま……です」
俺は、聴こえてきた彼女の声に険が含まれていない事にホッとしつつ挨拶を返し、おずおずと声の上がった方を見ると、台所の隅に置いてある米袋の前で屈んでいる立花さんの後ろ姿が目に入った。
「え、ええと……なにやってんすか、立花さん……?」
「……見て分からないの? お米を炊こうとしてるんだよ」
計量カップで掬った米を炊飯器の内釜に注ぎながら、立花さんは淡々と答える。
「もう、十二時近いからね。お昼ご飯を作ろうと思ってさ」
「え、ええ……だ、大丈夫なの?」
「……どういう意味?」
立花さんは、思わず訊き返した俺の事を横目で睨むと、米袋の中に計量カップを突っ込んで、米を更に一掬いして内釜に入れた。
そして、米を入れた内釜を持って立ち上がりながら言葉を継ぐ。
「ていうか……そもそもソータは、あたしが何をしにアンタん家まで来たと思ってんのさ?」
「あ、あぁ、そういえば……料理の練習の為だったっけか……」
「そーゆう事」
台所の流しに内釜を置いて、蛇口から水を注ぎながら、立花さんは頷いた。
「まあ、凝った料理は夕ご飯の時に作るとして……お昼は簡単なものにするね。朝ごはん食べてないんでしょ、ソータ」
「ま、まあ、食ってないけど……って、ちなみに、簡単なものって?」
「おいなりさん」
立花さんは、俺の質問にそう答えると、ドヤ顔を見せながら尋ねてくる。
「アンタ、好きでしょ? おいなりさん」
「う、うん……まあ」
立花さんの問いかけに、俺はおずおずと頷いた。
そして、さっき立花さんが部屋に入ろうとした時の事を思い出す。
「あぁ……だから、レジ袋の中に油揚げが入ってたのか……」
「……」
何の気なしに呟いた俺の声に、米を研ぐ立花さんの手が一瞬止まった。
角度の関係で、玄関にいる俺の位置からは、台所に向かって立つ立花さんの顔は良く見えないが、彼女が何となく躊躇したのが雰囲気で分かる。
彼女は、無言のままでそそくさと内釜に水を入れて炊飯器にセットし、炊飯ボタンを押してから、玄関に立っている俺の方に身体を向けると、チョコンと頭を下げた。
「あの……さっきはゴメン」
「へっ……?」
急に立花さんから謝られた俺は、戸惑いながら首を傾げる。
「ど、どうしたの、急に? ていうか、何の事?」
「いや、だから……」
訊き返した俺に、逆に当惑した様子で、立花さんは言葉を継いだ。
「何の事って……し、シジマさんとソータがそういう事してたんだって、変な誤解をしちゃった事……だよ」
「あ、ああ……その事ね……」
立花さんの答えを聞いた俺は、ようやく合点がいき、それからふるふるとかぶりを振る。
「いや、別に立花さんが謝る事なんかじゃないよ。っていうか、いきなりあの状況を見たら、誰だってそういう事なんだと思うだろうし……。むしろ、俺の方こそ……変な誤解を招くような事をしちゃってゴメンなさい」
……まあ、一番の戦犯は、飲み過ぎた挙句に終電を逃した四十万さんなのだが、かといって、俺に責任が全く無いとは言えないしな……。
ていうか、今日立花さんが家に来るって事を忘れてたのは、完全に俺の落ち度だし。
そう考えながら、俺は立花さんに恐る恐る訊ねる。
「……ていうか、誤解は解けましたか……?」
「……まあ」
俺の問いかけに、立花さんはコクンと首を縦に振った。
「さっき、あの女の人――四十万さんからも説明されて、あたしの考えてたような事は無かったって納得できた。まだ完全にシロとも信じ切れないけど……まあ、推定無罪って感じ」
「推定無罪……っすか」
立花さんの言葉に、俺は安堵と一抹の不安が入り混じった複雑な表情を浮かべる。
そして、さっきから気になっていた事を、躊躇いつつ口にした。
「あ、あの、ちなみに……」
「ん?」
「四十万さんは……どんな話をして、君の事を説得したんでしょうか……?」
「……聞きたい?」
「あっ……」
俺の問いに対し、意味ありげな視線を返してきた立花さんに不穏なものを感じた俺は、一瞬逡巡してから、慌ててかぶりを振る。
「あ……や、やっぱいいっす……。なんか、聞いたら後悔しそうな……」
「あらそう?」
俺の反応を見た立花さんは、少し残念そうな顔をしながら首を傾げ、それからウンウンと頷いた。
「まあ……その方がいいかもね。結構な言われようだったもん、ソータ」
「えぇ……マジで……そんなに?」
「そんなにだよ」
頬を引き攣らせる俺の顔を見ながら、立花さんは愉しそうにクスクスと笑う。
そんな彼女を前にして、表面では憮然とした表情を浮かべてみせた俺だったが、
(……まあ、誤解は解けたみたいだし、結果オーライかな?)
と、心の中では安堵の息を吐いたのだった。
――四十万さんが、一体何を立花さんに吹き込んだのかは、めちゃくちゃ気にはなったけど。