第百四十訓 終電の時間はちゃんとチェックしましょう
俺と四十万さんは、それから二時間半ほど『烏義賊』で飲んだり食ったりした後、ネットの口コミサイトで見つけた、『ぼんじりが美味い』と評判の焼き鳥屋に移って、更に飲んだり食ったりした。
居酒屋はもちろん、焼き鳥屋に入るのも生まれて初めての経験で、最初のうちは緊張していた俺だったが、四十万さんが何かと気を使ってくれたおかげで、それなりに楽しむ事が出来た。
だが、楽しみながらも、誕生日会の時と同じように、酒が回って昏倒しないかと秘かに心配していた俺だったが、低い度数の酒をちびちびと飲む分には大丈夫そうで安心した。
まあ、焼き鳥屋で調子に乗って注文した日本酒は、さすがにアルコールが強すぎて、三分の一も飲めなかったけど……。
そんなこんなで、すっかり満腹&ほろ酔いになって焼き鳥屋を出た頃には、既に夜中の十一時半を過ぎていた。
俺は、焼き鳥屋の暖簾の前で夏の夜の生温い風に顔を撫でられながら、お会計を終えて店から出てきた四十万さんにぺこりと頭を下げる。
「あの……四十万さん、ごちそうさまでした。めちゃくちゃ美味しかったです」
「そうだねぇ。ぼんじりも美味しかったけど、私はせせりの方が気に入ったなぁ」
俺のお礼に、四十万さんは舌なめずりしながら頷いた。
と、俺は少し不安になりながら、おずおずと尋ねる。
「……って、本当にいいんですか? 奢ってもらっちゃって?」
「あー、全然いいよ~」
俺の問いかけに、四十万さんは柔和な笑みを浮かべながら、首を横に振った。
「誘ったのは私だしね~。それに、さすがにまだ学生のバイトくんと割り勘って訳にはいかないでしょ~、立派な社会人としては」
そう言ってエヘンとばかりに胸を張った四十万さんは、ふと俺の顔を覗き込み、気遣うような声で訊ねてきた。
「ていうか、むしろ、もっと遠慮しないで食べちゃっても良かったのに。大丈夫? お腹空いてない?」
「あ、いや、大丈夫っす。っていうか、だいぶ腹パンパンっすよ……」
四十万さんの問いかけに苦笑しながら、俺は膨らんだ腹を擦ってみせる。
その言葉に偽りは無かった。胃の中にみっちりと食ったものと飲んだ酒が詰まっているのが分かる。胃袋が他の臓器を圧迫しているようで、息をするのも苦しいくらいだ。
おまけに、酔いもだいぶ回っているようで、どうも視界がぐらぐらして定まらない。
ていうか……さっきから、眠気が押し寄せてきていて、油断するとすぐ上下の瞼がくっつきそうになる……。
ああ……早く家に帰って横になりたい。
と、ふと俺はある事が気になり、四十万さんに尋ねた。
「……って、そういえば、四十万さんは終電大丈夫なんですか? もう、結構いい時間ですけど……」
「え、終電~?」
俺の問いかけに、四十万さんは、キョトンとした顔で首を傾げるが、すぐにニヤリと笑って頷く。
「うふふ、全然大丈夫~。私は立派なオトナだからぁ、終電逃すなんてドジは踏まないよ~ん」
「……あの、四十万さん?」
四十万さんの言葉に、何となく違和感と不安感を覚えた俺は、恐る恐る彼女に声をかける。
「……ひょっとして、酔っぱらってます?」
「えぇ~? 酔っぱらってるぅ? 私がぁ? ウソおぉ~? キャハハハ!」
……間違いない。完全に酔いが回っている。
「ちょっと、大丈夫なんですか? そんな状態で、ちゃんと家に帰れます?」
「失礼だなぁ~、ホンゴーちゃん! 私は全然酔っぱらってなんかないってばぁ、きゃきゃきゃ!」
「いや、そのテンション、どっからどう見ても酔ってますって……」
俺は呆れた声でそう言いながら、まるで『ムーミ〇』に出てくるニョ〇ニョ〇みたいにユラユラと上半身を揺らし始めた四十万さんの腕を掴んだ。
「ほら、しっかり立って下さい! ……いや、ホント大丈夫っすか?」
「だぁからぁ、大丈夫だって言ってんじゃ~ん! ホンゴーちゃんは心配性だなぁ」
四十万さんは、不満げにフグのように頬を膨らませると、俺の腕を振り払う。
そして、肩から提げていたハンドバッグから自分のスマホを取り出した。
「ホンゴーちゃんなんかに心配されなくっても、私はちゃんとお家に帰れますよ~! ちゃあんと終電の時間も調べてあるしぃ」
そう言いながら、彼女はスマホの液晶画面に指を走らせ、自信満々で俺に見せる。
スマホの液晶画面に表示されていたのは、時刻表アプリの終電検索結果だった。
四十万さんは、その一番上の表を指さす。
「ほらね~! 終電は0時13分でしょお? まだまだ時間に余裕あるじゃ~ん」
「…………いや」
俺は、タコのように真っ赤な顔をして得意げに胸を張る四十万さんに、おずおずと言った。
「あの……ソレ、出発駅が間違ってるっす……」
「……へ?」
四十万さんは、俺の指摘に目をパチクリと瞬かせ、それからスマホの画面を見直し、「あ……ホントだ……」と呟く。
そして、少し気まずげな表情を浮かべながら、俺に尋ねる。
「ね、ねえ……ホンゴーちゃん……。ここの駅って、何だっけ……?」
「……赤発条駅っす」
「あ、あぁ、そうだったねぇ……。えと、赤発条、赤発条……っと」
四十万さんは、先ほどまでとは違う原因で頬を赤くしながら、そそくさと乗り換えアプリの出発駅の入力をし直し、もう一度検索ボタンを押した。
そして、数秒ほど経って表示された検索結果に目を落とす。
――そして、数秒後……
四十万さんは、さっきまでとは打って変わった青い顔色になりながら、震え声で俺に言った。
「ホンゴーちゃん、どうしよう……。終電……行っちゃったよぉ……」