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第百十九訓 お酒は二十歳になってから

 「……おい、ソータ。聞こえてるか?」


 と、立花さんに薬を塗ってもらった頬を、何だかフワフワした気分で恐る恐る撫でていた俺に、父さんが訝しげに声をかけてきた。

 その声を耳にしてハッと我に返った俺は、慌てて頷く。


「あ……ああ、ゴメン父さん。なに?」

「さっきから、飲み物を注ぐからグラスを出せって言ってるのに、全然聞こえてない風だったぞ」

「え? あ……ごめんごめん。ボーっとしてた」


 俺は謝りながら、テーブルの上に伏せられたグラスをいそいそと手に取った。


「おまたせ……じゃ、オナシャス」


 そう言いながら、はにかみ顔でグラスを差し出した俺。

 父さんも照れ笑いを浮かべながら、黒い瓶を持ち上げ、その口をグラスに当てて静かに傾ける。

 トクトクと音を立てて、瓶の口からグラスに注ぎこまれるのは、濃い赤色をした液体――。


「……って! ちょ、ちょっと待て!」

「ん?」


 慌てて俺が上げた制止の声に、父さんがキョトンとした表情を浮かべる。


「どうした、颯大? どうかしたか?」

「い、いや……どうかしたかじゃなくって……」


 俺は、グラスになみなみと注がれた赤黒い液体を凝視しながら、父さんにおずおずと訊ねた。


「……これ、何?」

「何って……見て分からないか? ワインだよ。赤ワイン」

「あ、赤ワインッ?」


 父さんの答えに、俺は思わず目を剥く。


「な、何してくれてるんだよ、父さん! ワインって……酒じゃんか!」

「……酒だが? それがどうした?」


 声を荒げた俺を前に、父さんは首を傾げた。


「だって、お前ももう二十歳じゃないか。もう、大手を振って酒を飲めるんだから、別にそんなに驚く事も……」

「い、いや! だからっつって、成人したての息子に何の断りも無くワインを飲まそうとすんな!」


 俺は、シレっとした顔の父さんに向かって激しくかぶりを振る。


「しかも、よりにもよってワインとか、いきなりハードル高いでしょうが! 確か、ワインってビールとかよりもアルコール度数が高いんじゃなかったっけかッ?」

「あぁ……まあ、確かに」


 父さんは、俺の言葉にあっさりと頷くと、手に持っていたワインボトルのラベルを覗き込んだ。


「ええと、このワインは……12度だな」

「じゅ、12度……!」


 ……って、そもそもどのくらいの強さなんだろう?


「ははは、なーに、大した事無いよ。ビールが5度だから、たったの2.5倍くらいだよ」

「いやいやいやいや!」


 涼しい顔で言い放った父さんに、俺は血相を変えて、首がもげそうなほどに激しく左右に振る。


「やべーじゃん! 絶対やべーやつじゃん! ビールでもぐでんぐでんに酔っぱらう人もいるっていうのに、その2倍以上のアルコール度数(戦闘力)があるなんて……! それを、今まで酒を飲んだ事のない俺に飲ませようだなんて、フ〇ーザ様にヤ〇チャをけしかけるようなもんだぞ、マジで!」

「はっはっは、大げさだなぁ、本郷氏は」


 捲し立てる俺に苦笑したのは、母さんから頼まれた仕事を終えて、自分の席に戻った一文字だった。


「確かに、ワインはビールやストゼ〇よりも度数は高いけど、だからってそんなにビビる事も無いさ。一杯くらいなら、全然平気だよ」

「全然平気って……お前な」


 したり顔で語る一文字に、俺はジト目を向ける。


「まるで、飲んだ事があるような顔をして、適当な事を言いやがって……」

「適当じゃあないよ。だって、ボクは実際に飲んだ事があるからね」

「な、ナニッ?」


 涼しい顔で頷いた一文字に驚愕する俺。


「お、お前……まさか、未成年のクセに酒を飲んでるのか?」

「……? 何を言っているんだい? ボクはとっくの昔に成人済みだよ」

「な、ナニィッ?」


 俺は、初めて耳にする事実に驚愕した。


「おま……まさか、俺より年上……?」

「デュフフ、そういう事になるねぇ」

「マジかよ……まさか、あんなFラン大学に入るのに、わざわざ浪人までして……?」

「は? 浪人なんてしてないが」

「してない……? じゃあ、留年の方――?」

「留年もしてないよ。失敬だな、キミは」


 俺の問いかけに、憮然とした様子で、その下膨れた頬を更に大きく膨らませる一文字。


「ボクはキミと同期の、浪人も留年もしてないピチピチの二十歳だよ。ただ、生まれた月が四月だから、キミよりも三ヶ月くらい早く成人したってだけだよ」

「あぁ……そういう事か」


 一文字の答えに、俺は納得した。と同時に、拍子抜けする。


「……何だ。年上っていうからビックリしたけど、たったの三ヶ月だけかよ」

「“たったの”とは何だい」


 俺の言葉を聞いた一文字は、更にムスッとして、不満げに唇を尖らせた。


「三ヶ月といってもバカにはできない。何せ、アニメ1クール分だよ。つまり、キミはボクよりもアニメ一作品分も短い人生を送っているという事さ。これを大きいと言わずに何と言おうか」

「いや、喩えがイマイチ分かりづらいわ」


 いかにもオタクくさい一文字の喩えに、俺は呆れ声を上げる。

 だが、そんな俺の反応も意に介さぬ様子で、一文字はドヤ顔を向けてきた。


「まあ、ボクは心が広いから、キミがボクに対して敬語を使ったり、人生の後輩としての尊崇の念を抱いたりしなくても、別に気にしないから安心してくれたまえ、デュフフ」

「いや……たった三ヶ月早く生まれただけの同級生に、敬語も尊崇もする訳がねえだろうが」


 俺は、不気味な笑い声を上げる一文字に思いっ切り冷たい視線を浴びせながら言う。

 ……だが、一文字は、そんな俺の辛辣な言葉にも堪えるどころか、更に顔を緩ませた。


「そうとも! 何せ、キミとボクとは、年齢の差などとうに超越した心友……いや、もはやソウルメイト(魂の友)と称されるに相応しい関係だからね! ブヒュヒュヒュヒュ!」

「駄目だコイツ、早く何とかしないと……」


 すっかり自分の言葉に酔った様子で不気味な笑い声を上げている一文字に死んだ魚のような目を向けた俺は、自分の目の前に黒い装丁のノートが現れてくれやしないかと、心の底で秘かに(こいねが)うのだった……。

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