第百十八訓 役割分担は適材適所を心がけましょう
「さてと!」
誕生日会定番の儀式が終わり、遮光カーテンを開けて明るくなった部屋で、パンパンと軽く手を叩いた母さんが、明るい声でみんなに言った。
「多少のトラブルはあったけど、みんなで颯くんのお誕生日をお祝いした事だし、ご飯にしましょ!」
「いや、言うほど多少か……?」
母さんの言葉に、先ほどのロウソクの火の熱気と熱風に晒されてヒリヒリする頬を擦りながら、思わず異議の声を上げる俺。
「二十歳の誕生日だからって、どこかの誰かさんの、ケーキにロウソクをニ十本挿した暴挙のせいで、危うくヤケドしかけたんですけどね、今日の主役……」
「あ、あはははは。そうは言っても、それは結果論でしょ結果論!」
「結果論の意味解ってないだろ、アンタ……」
カラカラと笑う母さんにジト目を向ける俺。
そ、そんな俺の言葉を窘めるように、父さんが声をかけてきた。
「まあまあ、いいじゃないか。ちょっとしたハプニングってやつだろう、あのくらいの事」
「あのくらいって……普通に重要インシデントだし、一歩間違えたら普通にアクシデントなんですけど……」
「いや、まあ……それは確かにそうかもしれんけど……」
ジト目を向けた俺に、父さんは返す言葉に困った様子で頭を掻く。
と、その時、母さんが慣れた手つきでバースデーケーキをナイフで切りながら、父さんに向かって声をかけた。
「お父さん、みんなのコップに飲み物を注いでもらっていいかしら?」
「あ……う、うん、分かったよ」
父さんは、母さんの指示に頷くと、テーブルの真ん中にあるペットボトルを取ろうと手を伸ばした。
ちぇっ……父さんが困ってるのを悟って、うまく助け舟を出したな、母さん。
俺は、(これが夫婦の阿吽の呼吸ってやつか……)と、妙なところで感心してしまう。
そんな俺の内心をよそに、ケーキを各々の皿に取り分けていた母さんが、ハッとした顔をした。
「……あ、いっけない! お肉も焼こうとしてたのに、すっかり忘れてたわ!」
「あ、真里さん。私が焼きますよ!」
母さんの言葉に、意気揚々と立ち上がったのは、ミクだった。
「ミクちゃん、ありがと。じゃあ、お願いしてもいいかな?」
「はい! もちろんです!」
「お肉は、真ん中の引き出しのチルド室の中だからー」
「はーい!」
母さんの言葉に気安い返事を返したミクは、きびきびとした足取りでキッチンの方へ向かう。
と、今度は一文字が勢いよく手を挙げた。
「ところで、御母堂様! ボクは何をすれば宜しいですかなっ? 皆さんに料理を取り分けるなどいたしましょうか?」
「あ、それは別にいいかな……。一文字くんは……ええと、じゃあ、とりあえず、みんなの前に取り皿を配ってもらえる?」
「了解いたしました!」
明らかに、一文字に対する指示は考えていなかったであろう母さんが適当に口にしたお願いにも、嬉々として取りかかる一文字。
父さんとミクに続いて、一文字まで仕事が与えられたのを見て、何となく焦りを感じた俺は、母さんにおずおずと訊いた。
「ええと……母さん、俺は何をしたらいい?」
「あら? 颯くんは何もしなくていいわよ。あなたは、今日の主役だもん。そのまま座ってて~」
「え、いや……」
俺は、母さんの答えに戸惑う。
「座ってもって言われても……いくら主役だからって、何もせずに座ってるだけって、何か気まずいんですけど……」
「あの……あたしも……」
俺の言葉に続いて、躊躇いがちに手を挙げたのは、立花さんだった。
「な、何かする事ってありますか?」
「あー、ルリちゃんも別に……」
と、少し困った様子で口にしかけた母さんだったが、ふと俺の方に視線を向けると、少しだけ口角を上げる。
……その母さんの含み笑いに、何とも言えない嫌な予感を覚える俺。
そんな俺の内心をよそに、立花さんに大きく頷きかけた母さんは、テレビの隣の戸棚を指さした。
「じゃあ、あの上から二番目の引き出しに塗り薬が入ってるから、取ってきてもらえるかしら?」
「塗り薬? まあ、はい、分かりました」
母さんの指示に怪訝そうな表情を浮かべながらも、立花さんはコクンと頷き、言われた通りに引き出しからチューブタイプの塗り薬を取り出した。
「ええと……これでいいですか?」
「うん、それそれ!」
取り出した塗り薬を見せた立花さんに、母さんは満足げに頷くと、おもむろに俺の事を指さす。
「じゃあ……それを、颯くんの頬っぺたに塗ってくれる?」
「は……?」
「は、はぁっ?」
思いもかけない母さんの言葉に、立花さんと俺は一瞬唖然とした。
それから、立花さんが目を吊り上げて母さんに尋ねる。
「な、なんでですかっ? なんで、あたしがシュータの頬っぺにコレを塗らなくちゃいけないんですかッ?」
「いやぁ、さっきから、颯くんが頬っぺたを擦ってるのが気になっちゃってね。多分、ロウソクの火を消した時に、軽くヤケドをしちゃったんじゃないのかな……って」
「「あ……」」
母さんの言葉に、立花さんは気まずげに目を伏せ、俺は無意識に頬に当てていた手を慌てて下ろした。
そんな俺たちの反応を見ていた母さんは、にんまりと微笑むと、更に言葉を継ぐ。
「……だから、薬を塗ってあげた方がいいかな~って。でも、私はケーキを切ってて手が離せないし、ミクちゃんにはお肉を焼いてもらってるから、手が空いてるルリちゃんにお願いしよっかなって思ったんだけど」
「はいはーい! 私は、今お肉を焼くのに忙しいんで、ルリちゃんに塗ってもらって~!」
母さんの言葉に続いて、キッチンの方からミクの弾んだ声が返ってきた。
そのウキウキした声を聞いて、俺はミクの……そして、母さんの意図を悟る。
……このふたり、これが俺と立花さんをくっつけるチャンスだと考えてやがるんだ……!
「いや……」
だが、そうは問屋が卸さないとばかりに、大きくかぶりを振った。
「別に、ガキじゃねえんだから、立花さんに塗ってもらわなくても大丈夫だよ。自分で塗るからさ」
そうキッパリと言った俺は、立花さんに向かって手を伸ばす。
「ありがとう、立花さん。それ貸して」
「……」
……だが、立花さんは、俺の言葉に無言のままでチューブのキャップを外すと、指の上に塗り薬を出した。
そして、俺の傍らに膝をついて、塗り薬を付けた指を俺の顔の前まで伸ばしながら言う。
「……ほら、横向いて。そのままじゃ上手く塗れないから」
「え?」
俺は、立花さんの行動に驚きながら、慌てて首を左右に振った。
「い、いや。だから、いいって。自分で塗るから――」
「いいから! 横向いてって言ってんの!」
固辞する俺に、声を荒げる立花さん。
そして、僅かに頬を染めて、ぼそりと言葉を継ぐ。
「……ソータの頬っぺたがヤケドしちゃったのは、あたしのせいなんだから、このくらいやるよ……ううん、やらせて」
「……へ?」
「……さっきの事、あたしもちょっとは悪いと思ってるんだからさ……」
「あ……」
立花さんが囁くように口にした言葉に、俺は思わず虚を衝かれた。
そして、大きな黒い瞳を上目がちにした立花さんの顔が思いの外近い事に気が付くと、急に頬が熱くなった。
俺は慌てて目を逸らすと、努めて平静を装いながら、小さく頷いた。
「そ、そういう事なら……お、オネガイシマス……」
そう答えて、何故かドギマギしながら頬を立花さんの方に向ける。
「あ……う、うん」
それに、どこか歯切れの悪い返事をした立花さん。
彼女の指が、俺の火照った頬に触れる。
……立花さんの指先は、思ったよりも柔らかくて、少し熱くて――、
「い、痛ちちち……」
塗り薬は、ヤケドした頬には少し刺激が強かった……。




