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第百十四訓 印象を良くする為に身なりを整えましょう

 「そういえば……」


 俺は、ふとある事に気付いて、キョロキョロと周りを見回す。


「父さん……どこに行ったんだ?」


 さっきまで、テーブルに取り皿を並べたり、人数分の割り箸やスプーンを用意したりしていた父さんが、いつの間にか姿を消していた事に気が付いたのだ。

 俺の問いかけに、一文字は訝しげな顔をしながら、フルフルと首を横に振る。


「いや……ボクも気付かなかったな。君のお父さんがいなくなっている事なんて」

「どうしたんだろ? まだ準備も終わってないっつうのに……」


 俺は、眉を顰めながら首を傾げた。

 と、その時、二階の方から階段を下りてくる足音が聞こえてくる。

 多分、父さんの足音だろう。


「いつの間に二階に上がってたんだ……?」


 俺は、少し不満げに呟いた。

 父さんめ……俺と一文字が誕生日会の準備に追われている間、ちゃっかりサボってたのかよ……。

 俺は、ガチャリと音を立てて開いたリビングの扉に向かって、抗議の声を上げる。


「何バックレてんだよ。まだ、片付けは終わってな――」

「ああ、すまんすまん。ちょっと部屋で着替えててな」


 そう弁解しながら部屋に入ってきた父さんの姿を見て、俺はあんぐりと口を開けた。

 さっきまではヨレヨレのTシャツとスウェット姿だった父さんが、小洒落たYシャツと糊の効いたジャケットにスラックスという、少し時代遅れのスカした格好をしていたからだ。


「なに、そのカッコ……。今からどっか出かけるの?」

「いや、別にどこへも出かけないよ。だって、これからお前の誕生日会だろ?」

「い、いや……じゃあ、何でそんな余所行きの格好をしてるんだよ?」

「え? は、ははは、いやだなぁ」


 父さんは、俺の言葉に目を逸らしながら、わざとらしく笑う。


「べ、別にいつもと変わらないよ? ひとり暮らしをし始めて、もう忘れたのか、颯大」

「いや、すぐバレる嘘を吐くんじゃねえよ。アンタ、休みの日はいっつも、さっきみたいなだらけた格好だったじゃねえかよ」


 俺は、呆れながら言った。


「まったく……ミク以外の女子が居るからって、色気づかないでくれよ。もういい年齢(トシ)なんだからさ……」

「べ、別に色気づいてる訳じゃないぞッ!」


 父さんは、俺の言葉に慌てて首を横に振る。

 そして、少し声を潜めた声で言った。


「ただ……父さんがだらしない格好をしているせいで、あの子のお前に対する印象が悪くなったらいかんと思ってだな……」

「は、はぁっ?」


 父さんの言葉に、俺は目を白黒させる。


「べ、別にどうでもいいじゃん! 俺が立花さんにどう思われようとさ!」

「いや、そんな事は無いだろ」


 父さんは、真顔でかぶりを振った。


「どうでも良くなんか無いさ。なにせ、これから()()()()()()()()になるかもしれないんだ。初対面の印象は良くしておくに越した事は……」

「な、何を勘違いしてんだよ!」


 俺は、とんちんかんな事を言う父さんに、思わず声を荒げた。


「さ、さっきも言ったじゃねえかよ! あの子……立花さんとは、別にそういうアレは全然無いって!」

「そうなのか……」


 父さんは、俺の言葉を聞いて、あからさまにガッカリした顔をする。

 その一方で、一文字はしたり顔でコクコクと頷いた。


「まあ……そうだろうね。本郷氏には、女の子とそういう事になりたいとかいう度胸も甲斐性も無さそうだからねぇ」

「お前にだけは言われたくねえよ、この三次元女性アレルギー男が」


 俺はムッとして、一文字の憎たらしい顔を睨みつける。

 そして、顰め面を浮かべて、父さんに尋ねた。


「つうかさぁ……母さんといいアンタといい……何でみんなして、俺と立花さんをそういう関係にしたがるんだよ?」

「あぁ、母さんもなのか」


 父さんは、少しびっくりした顔をして、それから、「だろうなぁ……」と深く頷く。

 俺は、父さんの納得したような反応を訝しみながら尋ねた。


「……『だろうなぁ』って何だよ?」

「あぁ……いや」


 父さんは、俺の問いかけに苦笑を浮かべ、言葉を継ぐ。


「母さんなら、そう思うだろうなぁ……って」

「はぁ?」

「なんとなく似てるんだよ」

「似てる? 似てるって、誰と誰にさ?」


 俺は、父さんの答えにますます混乱しながら、更に問いを重ねた。

 すると、父さんは「そりゃあ……」と言いながら、キッチンを指さす。


「あの()と、若い頃の母さんとが、さ」

「へ?」


 父さんの答えを聞いた俺は、思わず目を丸くして訊き返した。


「……マジ?」

「マジさ」


 コクンと首を縦に振った父さんは、微笑を浮かべながら言葉を続ける。


「――もちろん、顔は違うよ。……でも、お前と話している時の雰囲気とか性格とかは、わりと付き合ってた頃の母さんと被るなぁって思ったよ」

「ウソでしょ? 立花さんが、あの母さんと……?」


 父さんの口から出た意外過ぎる言葉に、俺は唖然とした。

 どっちかというと、立花さんはいつも何かしら怒っているイメージで、いつもニコニコしていている母さんとは、どうしてもイコールで繋げられない。

 あ……いや、母さんが時々見せるガチギレモードは、少し立花さんと似ているかも……。

 父さんは苦笑をこらえながら、キッチンの方に聞こえないように声を潜めて言った。


「……あれでも、若い頃の母さんは、めちゃくちゃ性格が強かったんだぞ。父さんは、いっつも母さんに振り回されて、それはそれは大変だったよ……」

「……マジで? あの母さんが……」


 父さんの話を聞いても、俺はとても信じられない思いで呟く。


「あんなにおっとりしてる母さんが、昔はあんな……狂犬と野良猫のハイブリットみたいな立花さんみたいだっ――」

「ほ……本郷氏……!」


 その時、なぜか顔を引き攣らせた一文字が、俺のTシャツの袖を引っ張った。

 呟きを途中で遮られた俺は、訝しみながら訊き返す。


「……何だよ、一文字?」

「……! ……!」


 頭の上に“?”マークを浮かべる俺に、一文字は無言でアイコンタクトを送ってきた。

 ……良く見たら、一文字の横で、父さんまで一緒に口をパクパクさせている。

 だが、相変わらずその意図が解らない俺は、ますます首を傾げた。


「……だから何だよ? ふたりして――」

「……誰が、狂犬と野良猫のハイブリットだって?」

「――ッ!」


 まるで地獄の釜の底から響く亡者の呪詛のような声が背中越しに聞こえた瞬間、俺の顔面から血の気が引く。


「……」


 脳裏に浮かんだ予想が外れている事を祈りながら、まるで油の切れたポンコツロボットのような挙動で、恐る恐る振り返る俺。

 ……祈りも虚しく、俺の予想は当たってしまった。


「た……た……たち、立花さ――」

「悪かったねッ! どーせあたしはキャンキャンシャーシャーうるさい小動物だよッ!」

「あ痛ぁッ!」


 立花さんが甲高い怒声と共に繰り出した蹴りを尻に受けた俺は、苦悶の叫びを上げながらその場に崩れ落ちるのだった……。

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