第十一訓 既読スルーはやめましょう
「……」
アカウント名の“RULLY”の文字を見た瞬間、俺の脳裏に、昼間出会った少女の怒り顔が過ぎった。
『これから、あたしとアンタは、お互いの幼馴染をゲットする為に協力し合うんだから、お互いに連絡を取り合えるようにしとかなきゃでしょ!』
そういえば、そんな事を言われて無理矢理友達登録させられてしまったんだった……。
でも、ついさっき駅で別れたばっかりなのに、何の用があって今メッセージを送ってきたんだろうか?
俺は、首を捻りながらスマホを見つめていたが、無言でスマホをスリープさせる。
「……見なかった事にしよう」
そう呟いて、俺は画面が暗転したスマホを裏返しに置き、再び台所に向かう。
“ピロリンッ♪”
再び通知音が鳴るのが聞こえたが、俺は聞こえなかったフリを決め込み、流しでヤカンに水を貯める。
“ピロリンッ♪”“ピロリンッ♪”“ピロリンッ♪”
「……うっさいなぁ!」
こっちは無視を決め込んでいるのに、お構いなしとばかりに何度も連続で鳴り続ける通知音に苛立って、俺は思わず声を荒げる。
いっその事、電源を切っておけばよかったと後悔しながら、水を貯めたヤカンをコンロの五徳の上に乗せ、摘まみを捻って火にかけた。
――すると、
ピロリロピロリロピン♪ ピロリロピロリロピン♪ ピロリロピロリロピン♪ ……
今度は、さっきまでとは違う軽快な電子音のメロディを流しながら、スマホが小刻みに振動し始める。
「うわっ! 今度は電話をかけてきやがった……!」
それを聴いた瞬間、俺は露骨に顔を顰めた。
「……はあ~」
俺はクソデカ溜息を吐くと、観念してコンロの火を止める。
そして、苛立ち紛れにドスドスと荒い足音を立てながらリビングに引き返すと、テーブルの上のスマホをひったくるように取り上げた。
俺は、鳴動するスマホの液晶画面に“RULLY”の文字が表示されているのを見ると、大きく息を吸い込みながら緑の『通話』ボタンをタップし、送話口に向かって声を荒げる。
「ちょっと! 何度も何度も、いい加減にしてくれよ! 嫌がら――」
『ちょっと! 何、既読スルーしてんのさ! ちゃんと返事しなさいよ! 失礼でしょッ、このコミュ障男ッ!』
だが、俺の抗議は、それに倍する先方の怒声によって、いとも容易く打ち消された。
スマホ越しでもビンビンと伝わる彼女の憤怒に、俺は一瞬で気圧されてしまう。
「あ……い、いや……してないよ、き、既読スルーなんて……」
『ウソ吐くんじゃないよ! 一番最初に送ったメッセージには、速攻既読が付いてんじゃん! だったら、最初のメッセージは見てるって事じゃん。なのに、アンタはメッセージ返してないんだから、それが既読スルーじゃなくって何だっていうのさ!』
「あ……」
そう立花さんに言われ、ようやく俺は自分の迂闊に気が付いた。
「……そっか。最初のメッセージを開いた時点で、向こうに既読通知が届いちゃうんだっけ……しくじった」
『なに、“しくじった”って? それは自白と見做していいんだよねっ?』
「う……」
まんまと語るに落ちた格好の俺は、思わず言葉に詰まる。
「……ゴメン」
『まったく、以後気を付けなさい!』
「……」
年下のクセに、えらく上から目線の立花さんの言葉に憮然とするが、ここで言い返そうものなら、その倍の文句が返ってくるに違いない。
そう考えた俺は、湧き上がる感情を腹の中に無理矢理納め、さっさと話を終わらせる事に決める。
「……で、何の用でわざわざLANEを?」
『え……? うふ、うふふ……』
俺が投げた問いかけに返ってきたのは、意味深な含み笑いだった。
「ん……? な、なんかあったの? 気持ち悪い笑い声を上げて――」
『失礼なッ!』
思わず俺の口から出た言葉に、憤慨したような声が返ってくる。
だが、彼女の機嫌はすぐに直ったようで、
『……ていうかさ。あれから、幼馴染ちゃんから連絡が来たりした?』
と、ニヤニヤ笑いが透けて見えそうな声で、唐突に訊いてきた。
突然の質問――しかも、ついさっきまで俺が心を苛まれていた事をドンピシャで訊かれ、俺は大いにたじろぐ。
「へ、へっ? な、なななななにを突然?」
『そのリアクション……来たんだ?』
「う……」
『来たんでしょ? 分かりやすいんよ、アンタの反応ってさ』
「……うん、まあ」
立花さんの確信を伴った鋭い追及に、もう誤魔化せないと悟った俺は、不承不承認めた。
俺の答えを聞いた立花さんは、なぜか声を弾ませる。
『マジで? ねえ、どうだった? どんな話をしたのっ?」
「……話なんか、ほとんどしてねえよ」
俺は顔が見えない事をいい事に、思い切り苦い顔をしながら答える。
「LANEで、今日のデートの事を楽しそうに報告し始めたから、思わず『今忙しい』って返信して……それで終わり」
『あ、そーなんだ、へぇ~』
「……? そんな事を訊く為に、わざわざ電話してきたの?」
立花さんの反応に、どこか引っかかるものを感じた俺は、首を傾げながら訊き返した。
その問いかけに、立花さんは再び『うふふ……』と意味深な笑い声を漏らすと、『あのさ……』と切り出した。
『ねえ……さっき、駅で「お互いの幼馴染と付き合えるように協力しよう」って言ったじゃん』
「あ……ま、まあ、うん……」
『アレ……もう意味無いかも』
「…………はいぃ?」
立花さんの言葉の意図を計りかね、俺はまるで某特命課の警部殿のような声を上げる。
「い……意味無いって……どういう事だってばよ?」
『むっふっふ……』
俺の当惑交じりの問いかけに、立花さんはもう一度忍び笑いを漏らしてから言葉を続けた。
『つまりね……。もう、あたしたちが動くまでもなく、あのふたりは別れるかもしれないってコト。うふふふふ……』
――と。




