第百五訓 ドレスコードは守りましょう
そして、日曜日になった。
「やあやあ、お迎えご苦労。本郷氏」
実家の最寄り駅である真大平駅の東口から現れた小太りの男が、待ち合わせしていた俺に手を振りながら、不細工な笑顔を見せる。
それに対して、少し前の電車で駅に着いて彼の事を待っていた俺は、口の端を引き攣らせながら白けた目を向けた。
「……何だよ、その恰好は?」
鷹揚な足取りで俺の前まで歩いてきた、背中に大きなリュックを背負った男――一文字一の姿は、白眼視せざるを得ないものだった。
彼が身に纏っているのは、目の覚めるような青色のワイシャツに光沢のある真っ赤なスーツ、そして少し丈の足りないケミカルウォッシュのジーパン。
その出で立ちは、まるで……、
「いや……ルパ〇三世かよ。しかも、セカンドシーズン……」
「ブフン! 甘いな、本郷氏」
呆れ顔でツッコむ俺に、一文字は自慢げに鼻を鳴らしながらかぶりを振った。
「確かに、色合いは似てるかもしれないけれど、良く見れば全然違う事が分かるはずだよ。ほら、ルパ〇と違ってブレザーはダブルボタンだし、ネクタイじゃなくて蝶ネクタイだよ」
「いや、知らんがな」
俺は、首元の黄色い蝶ネクタイを指さしながら得意げに胸を張る一文字に冷ややかなツッコミを浴びせると、彼の腹を指さす。
「つか……どうでもいいけど、御自慢のスーツのダブルボタンがはちきれそうだぞ。さっさとボタンを外すか反り返るのをやめるかしとけ」
「おっと、これは危ない」
俺の忠告を聞いた一文字は、身体を前に傾けながら、なおギチギチと悲鳴のような軋み音を立てているスーツのボタンをそそくさと外した。……どうやら、胸を張るとかは関係なく、そもそもサイズが合っていないらしい。
ボタンを外してスーツの前を寛げた一文字は、ホッとしたような顔をして息を吐いた。
「ふぅ……きつかった。少し楽になったよ」
「いや、きついんだったらボタンなんかかけるなよ……っつか、そもそも着てくるな、そんなピチピチのスーツなんか」
俺は呆れ顔で一文字に言う。
すると、一文字は薄ら笑みを浮かべながら肩を竦めて答えた。
「いやぁ、せっかくの親友の誕生日会にお呼ばれしたからには、ドレスコードに従って正装するべきだろう?」
「あのなぁ……」
あまりにツッコミどころが多い一文字の言葉に、俺は頭が痛くなるのを感じながら溜息を吐く。
「言っとくけどさ……誕生日会つっても、ぶっちゃけ、ウチのはホームパーティー以下のささやかなモンだぞ。ドレスコードもクソも無えよ。誕生日会の主役の俺だって、こんな格好だぞ」
そう言って、俺は自分の服を指さした。
今日の俺は、ウニクロで買った黒いTシャツに濃紺のジーンズという、いたってラフな出で立ちだった。……とはいえ、誕生日会にミクが来る事もあって、これでもいつもよりはオシャレした方なんだけどな。
俺はジト目を一文字に向けながら、更に言葉を継ぐ。
「なのに、なんで“望まれざる客”のお前が正装してきてるんだよ。……つか、正装なのか、ソレ……?」
「もちろんだとも! このブレザーは、大学の入学式の時にも着た晴れ着さ。まあ……それからだいぶ成長したようで、少~しキツくなってしまったようだけどね」
「“成長した”じゃなくて、“太った”の間違いだろうが」
つまらない見栄を張る一文字にツッコミながら、俺は一年ちょい前の入学式の事を思い出す。
……そういえば、前列の方に真っ赤なスーツを着た奴が座ってるのが見えて、「〇パンかよ」と思った覚えがあった。アレはコイツだったのか……。
「……ん?」
その時、俺は微かにくすくす笑いが聞こえたような気がして振り返った。
笑い声のした方に目を向けると、俺と同じように待ち合わせをしていたらしい中学生くらいの女の子たちが、口元を手の甲で隠しながら潜めた声で話していた。
「ちょ、マジウケるんですけどぉ。何あれ、ル〇ンのコスプレ?」
「まーさーかぁ。カッコはともかく、顔とかは全然似てないじゃんさぁ!」
「あのお腹……どう見てもルパ〇じゃないよねぇ。ぷぷぷ」
「あ! ウチ、パパの持ってたマンガで見た事あるよ。主人公の男の子のオタクなお兄ちゃんで、ルパンのカッコしてるの。ひょっとして、そのお兄ちゃんの方のコスプレなんじゃないかな? ええと、題名は確か……うら……浦……『浦和鉄コン筋クリート』とかいう名前のヤツ!」
節子、色々間違っとる。あの作品は浦和じゃなくて浦安や。
つか、女の子なのに良く知ってるな、『浦安鉄筋ファミリー』なんて……。
「――じゃあ、その横にいる人も、何かのマンガのコスプレなのかなぁ?」
「どうなんだろ……? その、『浦賀鉄船ライコー』とかいうマンガに、あんなカッコしたキャラもいたの?」
「分かんない。でも、顔はオタクっぽいから、そのお兄ちゃんキャラの友だち的な感じで居た……かもしんない。『影薄男』みたいな名前で……」
居ねえよ!
つか、“影薄男”って何だそりゃ! 適当過ぎんだろうがぁ! ま、まあ……確かに、俺の影が薄い事は認めるけどさぁ……。
「――ええい! これ以上、こんなところにいられるかっ!」
「ほ、本郷氏?」
居たたまれなくなって思わず声を荒げた俺に驚いた一文字が、目をパチクリさせる。
そんな彼の反応もお構いなしで、俺はくるりと踵を返すと、乱暴に手招きした。
「ほら、さっさと行くぞ一文字!」
これ以上この場に留まっていたら、周囲の人に何をコソコソ言われるか分からない。一文字が何を言われようとどうでもいいが、俺まで同じ俎上に上げられるのは断じて御免被る!
「あ、本郷氏」
……だが、一文字は足早に立ち去ろうとする俺の事を呼び止めた。
「行くのはいいんだけど、その前にひとつ、君に言っておかなきゃいけないことがあるんだけど」
「あぁ?」
一文字の声に、俺は苛立たしげに振り返る。
「何だよ? 『お誕生日おめでとう』とかだったら、家に着いてからにしろ」
「あぁ、それもあったねぇ。言うのを忘れてたよ」
……忘れてたんかい。
「じゃあ何だよ?」
「実はね……」
俺の問いかけに、フッと真面目な顔をして切り出す一文字。
……そんなに大切な事なのか? 誕生日のお祝いの言葉よりも?
やにわに緊張して次の言葉を待ち受ける俺に、一文字は真剣な声で言葉を紡いだ。
「――さっき、君は、ボクが着ているブレザーの事を“スーツ”と呼んでいただろう? でも、“スーツ”とは、同じ生地で仕立てた上下セットで初めて“スーツ”と呼ばれるのさ。だから、このブレザーだけを見て“スーツ”と呼ぶのは、明白な間違い――」
「いや、心底どうでもいいわ、そんな事ォォォォッ!」




