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第十訓 メッセージはきちんと返しましょう

 「ふぅ……」


 アクシデントと怒涛の展開に満ちた外出からようやく帰宅した俺は、真っ先にシャワーを浴びた。

 初夏の暑さと満員電車の中で揉まれたせいでかいた汗を流してサッパリしてから、ようやく一息つく。

 Tシャツとパンツだけの姿でリビングに入った俺は、冷蔵庫から缶コーラを一本取り出し、テーブルの上に置くと、クッションの上に座った。

 俺は、濡れたままの髪をバスタオルで拭きながら、ぼんやりと窓の外を眺める。

 もう初夏なだけあって、もう六時過ぎにも関わらず、外はまだ明るかった。


「疲れたな……」


 俺は万感の思いを込めてそう呟くと、キンキンに冷えた缶コーラの蓋を開ける。

 プシュッという涼しげな音を立てて開いた飲み口から、茶色い泡が勢いよく噴き出してきた。


「おっとっと……」


 慌てて口を飲み口につけて溢れ出した泡を啜った俺は、そのまま缶を傾けて、コーラをぐびりと呷った。

 口の中いっぱいに、炭酸の泡が弾ける刺激と甘みが広がる。


「くぅ~ッ! 生き返るぅ!」


 俺はあまりの美味さに思わず歓声を上げるが、その仕草が、いつも実家で見ていた風呂上がりの父さんの晩酌する姿と丸被りしている事に気付いて、急激にテンションを下げる。


「……」


 俺はそそくさと缶をテーブルに置くと、傍らのリモコンのボタンを押してテレビを点けた。

 テレビでは、ちょうど日曜夜のお約束である、日本を代表する大家族ほのぼの団欒アニメが放送されている。

 俺は、画面の中で繰り広げられる旧き良き日本の日常風景をぼんやりと眺めながら、今日の出来事を思い出していた。

 結局、沢山の人でごった返すデパートの中や、さして興味もない美術展の会場で、楽しげにデートする幼馴染を尾行して、貴重な日曜日をまるまる費やしてしまった。

 ……虚しい。


(……疲れた。心が)


 尾行中に見た、ミクの楽しげな表情を思い浮かべながら、俺は大きな溜息を吐く。

 アイツの顔は、いつにも増して輝いて見えたが、その笑顔を向けている相手は俺ではないのだ。そう考えるだけで心がズキズキと痛んだ。


「……」


 俺は大きな溜息を吐くと、無言でテレビを消した。朗らかな家族団欒の光景は、ズタズタに傷ついた心にはワサビよりも沁みて、うっかり死にたくなりそうだ……。

 ――その時、


 “ピロリンッ”


 横に置いたスマホが軽快なチャイム音を鳴らした。


「――ッ!」


 聴き慣れた通知音を耳にした俺は、ビクリと身体を震わせ、恐る恐るスマホを覗き込む。

 そして、『“MIKU-chan”さんからの新着メッセージがあります』というポップアップを目にして、一瞬躊躇した。

 何だか、今の心理状態でミクのメッセージを見る事に抵抗を感じる……。

 いっそ未読スルーしようかとも思ったが、結局気が付いたらスマホを手に取り、ロックを外していた。

 LANEの緑色の起動画面をぼんやりと眺めながら、俺は秘かに(このまま起動しなきゃいいのに……)と考えていた。

 いつもは開くのが待ち遠しくて、画面に向かって「遅っせーな」と毒づいているのに……。

 とにかく、今はミクの書いた言葉なんて一文字たりとも読みたくなかった。

 ……だが、俺のささやかな願いは当然のように叶わず、トーク画面はいつもと同じように開いてしまう。


「……はぁ」


 俺は小さな溜息を吐いてから、観念して液晶画面に目を落とす。


『そうちゃん、デート楽しかったよ~♪』


 ……何だろう。メッセージ一発目から幸せオーラぶちかますの止めてもらっていいですか(泣)? メッセージの直後に貼りつけられた、頬を染めたペンギンが頭の上にハートマークを浮かべているスタンプが、俺の血塗れのハートの傷口を容赦なく抉ってくる……。


「……」


 俺は、既に瀕死になりながらも、何とか指を動かし、やっとの思いで返事を送る。


『そうか』


 ……今は、コレが精一杯。

 すると、ものの数十秒で再びチャイム音が鳴ってしまった。


『私、初めてのデートだったからすっごく緊張してたんだけど、ホダカさんが色々と面白い話をしてくれて、すぐに大丈夫になったよ!』

「あ、そうですか。良かったデスね」


 俺は、画面に向けて吐き捨てるように呟くと、苦り切った顔でコーラを呷り、


「――ぐがっ! げふっ! ゴホッ!」


 勢いあまって変なところにコーラが入り込んでしまい、激しく噎せる。


「ごほっ……うぅ」


 鼻の奥がツンとして、視界が潤む。これは、喉を逆流したコーラの炭酸による刺激のせいなのか、それとも、今の自分の境遇に対する自己憐憫によるものなのかは、正直分からなかった。


「……」


 返事の文章を打つ事も辛くなった俺は、スタンプ欄からサムズアップする犬のスタンプを貼り付ける事で、ミクのメッセージへの返事とする。

 そして、『今ちょっと忙しい』と付け加える。いつもならウキウキのはずのミクとのメッセージのやり取りだったが、今日のところは勘弁してほしかった。


 ――ピロリンッ ピロリンッ ピロリンッ


 また通知音が鳴った。しかも、三回も。

 俺は内心ウンザリしながら、それでも律儀に液晶画面へと目を遣る。

 トーク画面には、『ごめんなさい。じゃ、また今度話そうね!』というメッセージと、ペコペコと頭を下げるウサギのスタンプ、そして、笑顔でバイバイと手を振るクマのスタンプが載っていた。

 それを見た瞬間、俺の心にどうしようもない罪悪感の黒雲が垂れ込めてくる。


 そうなんだ。ミクはこういう()なんだ。

 素直で優しい性格で、中も外も可愛らしい……本当に良い娘なんだ。


「……こっちこそ、ゴメン」


 俺は、暗転したスマホの画面に向かって、呟くように謝罪の言葉をかける。

 『嘘ついて会話を打ち切って』『こっそりデートの後を尾けたりして』『お前の幸せを素直に祝ってやれなくて』――そんな様々な意味を込めた『ゴメン』だった……。


 ――だが、

 大きな溜息を吐く事で、何とか気を取り直した俺が、夕食のカップ麺のお湯を沸かそうと立ち上がった時、


 ピロリンッ♪


 もう鳴らないはずだった通知音が、また鳴った。


「えぇ……?」


 台所へ向かおうとしていた俺は、怪訝な声を上げて振り返る。

 仄かに光るスマホの液晶画面が、今の通知音が幻聴ではない事を示していた。


「……なんだよ。もう、話は終わったはずだろ……?」


 俺は少しだけイライラしながら呟くと、少し乱暴な仕草でテーブルの上のスマホを取り、ポップアップの文字もロクに読まずにタップする。

 一回閉じたLANEのトーク画面が、もう一度起ち上がった。


「……ん?」


 ふと、俺は違和感を覚えた。

 開いたトーク画面には、『今、ヒマ?』という、シンプルでぶっきらぼうな新規メッセージしか表示されていなかったからだ。


「あれ? さっきまでのトーク履歴、消えちゃった? LANEって、そんな仕様だったっけ……?」


 俺の記憶が正しければ、LANEで交わされた過去のトーク履歴は、一度閉じた後に開いても表示されていたような気がするのだが……・

 それに――。


「……『今、ヒマ?』って……。ついさっき、『忙しい』って送ったばっかじゃん。それに……いつものアイツのメッセージとちょっと雰囲気が違……」


 そこまで言いかけて、俺は別の可能性に思い当たった。


「……まさか」


 俺は、胸の中で“嫌な予感”が急激に膨らむのをひしひしと感じながら、恐る恐るトーク画面の一番上に表示されたアカウント名を確認する。

 ――そして、


「げ……っ」


 思わずカエルが潰れた様な声を上げて、顔を引き攣らせた。


「マジか……」


 俺はゲッソリとした表情を浮かべる。

 何故なら、このトーク画面のアカウントは“MIKU-chan”ではなく――“RULLY”だったからだ……。

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