モブは命のピースを揃える
◇◇◇
俺が「一緒に戦う」と告げると、アシェルはただ短く頷いた。
けれど、その目の奥にあるものは──まだ全く癒えていない。
当然だ。
希望を見せられて、すぐに救われるほど、喪失は軽くない。
「……アシェル。ひとつ、先に約束しておく」
俺は寝室のベッドへ視線を向ける。
エヴリンとマルスは、呼吸をしている。温かい。肌は生きている人間のそれだ。
なのに、目は開かない。
「魂を取り戻すまで、その身体は俺が預かる。腐らせない。傷ませない。……時を止めて、ここに保管する」
「時……を?」
アシェルが眉を寄せる。
「この腹の中は、俺の領域だ。ルールは──俺が決められる」
俺はそっと、エヴリンの額に手をかざした。
「──止まれ」
空気が、ひとつ息を呑む。
窓から差し込む光の粒が、目に見えるほど静止した気がした。埃が舞うのをやめ、布の皺も、髪の一本も、ぴたりと動かなくなる。
呼吸すら──止まった……ように見える。
だが、死んだわけじゃない。
ただ“この瞬間”で固定されただけだ。
「……っ」
アシェルが呻くように息を漏らした。
「そんな……ことまで」
「万能じゃない。俺が死ねば、ここも、全部消える。だから軽々しくは使えない。……でも、守るためなら使う」
俺は手を下ろし、寝室の扉を静かに閉めた。
「そして、もうひとつ。言葉じゃなく、証拠を見せよう。付いてこい」
◇◇◇
家の裏手──草原の端に、俺は“保管庫”みたいな場所を作っていた。
木の柵に囲っただけの、簡素な空間だ。
その内側には、布と枝で組んだ小さな天幕がひとつ。外より風は弱く、地面はやけに乾いていて、嫌に静かで、どこか神聖ですらある。
天幕の中に、四つの“器”が横たわっていた。
獣人の男たち。
首を断たれ、胸を刺され、喉を裂かれた──あの夜、サンディの姿をした“アシェル”に殺された者たち。
「こいつらは……」
アシェルが、震える声で呟いた。
「そう……お前が殺したキャラバンの隊員たちだ」
アシェルは唇を噛み、目を逸らしかけた。だが、すぐに自分で首を振り、もう一度その光景を見据えた。
そして、その上──ふわり、と。
四つの青白い光が浮かぶ。人魂|だ。
「それは……お前、さっき消し飛ばしたのでは?」
さっきまでアシェルの刃の軌道に混じって、俺を切り裂こうとしていた“魂”。
「ちがう。正確には、一時的に預かっていた。こうして、返すために」
あのとき俺は彼らを浄化したんじゃない。──呑み込んだのだ。
アシェルは、唖然としたまま繰り返す。
「か、返すだと? 本当にそんなことが……」
俺は深く息を吸う。
胸の奥が、妙に冷たい。
(これ、俺……何の職業だ? 竜? 医者? ……いや、もはや葬儀屋……?)
冗談みたいな自嘲が浮かぶ。だけど、笑えない。
蘇生は軽くない。──命を扱うってのは、そういうことだ。それに、これはまだ試してみた事がない──アシェル以外では。
俺は腹の底から力を引き上げ、言葉にする。
「《再構築》」
次の瞬間、四つの器の上に、薄い光の“縫い目”が走った。
切断された首。
裂けた喉。
折れた骨。
破れた皮膚。
それらが“巻き戻る”のではなく──“作り直されていく”。
肉が繋がり、血の気が戻り、体温が生まれる。
そして、最後に。
四つの人魂が、するりと器へ落ちた。
──ドクン。
心臓が、一斉に鳴った。
「……っ、が……!」
キールが息を吸う。喉が震え、咳き込み、目を見開いた。
他の三人も、苦しそうに身をよじり、呼吸を掴もうとする。
「お、おい……ここは……?」
「……生きて、る……?」
混乱が渦巻き、視線がさ迷う。俺はサッと手を上げて彼らの前に飛び出した。
「やあ、皆さん。目が覚めました? どうやら、酷く酔っ払っていたみたいですね? 私は旅の薬師です。あんまりひどいご様子だったので、勝手ながら皆様を“治療”させていただきました」
「……ち、治療? ああ、そういえばあの夜は、皆んなで馬乳酒を一樽も開けたんだっけな……」
一人の獣人が頭を抑えて呟く。再構築の際、少し酒分を残しておいた。この説明に違和感はないはずだ。
「それと、服が酒と泥でひどかったので、洗って繕っておきました。命があってよかったですねぇ」
実際には穴が空いたり血で汚れた衣服を着せたままにはしておかないので、そこも再構築で直しただけだが、行きずりにそこまで明かす必要もない。
「え……あれ? ゆ、夢? 俺たち、サンディに襲われて……」
「ええっ!? サンディさんが!? 私も先ほど彼女に会いましたが、とてもいい娘さんです。そんな事するはずが無いじゃないですか!」
俺は敢えて仰々しく反応する。それでも、まさか生き返らせただなんて説明するよりよっぽど彼等には受け入れやすい現実だろう。
「あはは。そりゃあそうか」
「揃って悪い夢でも見たんだな……」
「そうだな。安心したらなんだか……」
俺はルールをひとつ付け足す。
この領域にいる間だけ、意識をゆるく──夢の中に落とす。
四人のまぶたが、ゆっくり閉じた。
呼吸は穏やかになり、まるで何事もなかったように眠りに沈む。
……よし。暴れられるのが一番困るからな。
俺は肩の力を抜き、アシェルを見る。
「見ただろ。魂と器が揃えば──生き返らせることはできる」
アシェルは、呆然としたまま立ち尽くしていた。
やがて、喉の奥から絞り出すように言う。
「……なら、エヴリンとマルスも……」
「魂|さえ取り戻せればな。だが、もう一つだけ──現実を言う」
俺は少し視線を落とす。
「魂は、変質する」
「……変質?」
「長く悪霊として彷徨った魂は、濁る。削れる。形が変わってしまう──そうなったら、“生き返る”んじゃない。別の存在として、戻る」
俺はアシェルの方を見た。
「今のお前がそうだ。お前は生前の英雄アシェルじゃない。……でも、アシェルであることも確かだ」
アシェルが、拳を震わせた。
「それでも……それでも俺は、彼女たちに会いたい。たとえ俺が、もう人ではなくても……」
「だったら、やることは一つだ」
俺は、眠る四人の獣人を一度だけ見下ろす。
「デュモスを追う。魂を奪われたままにしない。──そして、奪われたものを取り返す」
アシェルは、ゆっくり膝をついた。
さっきみたいな、頼りない崩れ方じゃない。──決意の座り方だった。
「……トモエ。俺は、お前に従う。いや、違うな」
顔を上げ、赤い目が俺を捉える。
「俺は、共に戦う。……俺の贖罪は、ここからだ」
「よし」
俺は短く頷いた。
(これで、旅のメンバーが一人増えた。しかもアンデッド寄りの元英雄とか、パーティバランスどうなってんだよ)
そんな自分へのツッコミを飲み込みながら、俺は空を見上げる。
この腹の中の空は──俺が作った偽物だ。
けれど、守りたいものを守るには、今はこれで十分だ。
「まずは現実に戻る。……仲間が待ってる。紹介するよ」
「……ああ」
アシェルは立ち上がり、最後に一度だけ、寝室の方角へ目を向けた。
止まった時間の向こうにいる妻子へ。
「……必ず連れ戻す」
「うん。連れ戻そう」
俺たちは並んで歩き出した。
◇◇◇




