モブvsアシェルの悪霊(その4)
◇◇◇
アシェルは身を震わせながら俺に突進し、短刀の一撃を放った。
スピードだけで言えば先程までよりも段違いに早い。しかしその動きは、先程までの彼とは別人の様に精彩を欠いている。
それでもビュンビュンと風を切って振り回される短刀は、無手の素人に捌ききれるものではない。切っ先が、俺の身を徐々に切り刻んでいく。
(ぐっ、もう少しなんだが……痛みで集中できない……ッ)
スキルの発動と無軌道に振り回される短刀の両方に意識を向けていた俺は、足元を走る木の根に気が付かなかった。
姿勢を崩した俺の目の前に、アシェルが短刀を振り下ろす。
間に合わない──そう思った俺は、咄嗟に両腕を上げ、ガードの姿勢をとった。
ブシュッ!!
腕から血が噴き出した。それと同時──
ボギンッ
嫌な音がしたが、俺の身体が発したわけではない。恐る恐る見てみれば、アシェルの指があらぬ方向に曲がっていた。短刀を出鱈目に握りしめていたためか、俺が斬撃を腕でまともに受けた反動に耐え切れないで折れたのだろう。
だがそれでも、アシェルは短刀を振り回すのをやめない。
「ご……殺す……殺す……に、憎い……憎い……」
アシェルは虚ろな目で口からダラダラと涎を垂らしつつ、俺を攻撃し続ける。よく見れば、その腕はパンパンに腫れ上がり、ところどころ内出血しているのか、一部は紫色に変色していた。
「アシェルッ! 目を覚ませッ!! このままだとお前もサンディも無事では済まないぞ!!」
呼びかけるが、アシェルが俺の言葉を意に介す様子はない。
「無駄だ小娘、もはやアシェルにお前の声は届かん。侵食の段階を一段上げたからな、どうせこの身体は乗り捨てるのだ。貴様を動けなくしてから、その身体を使ってやる。我が依代となれるのだ、光栄に思うがいい」
人形が口を開き、ゲラゲラと笑う。
このデュモスとかいう悪魔、本当に本当の最低最悪ど畜生野郎だ。年端もいかぬ少女の身体を、こんな風に扱うなんて許せない。
これまで俺は無意識のうち、サンディの身体を傷つけることを躊躇っていた。だが、このままではどっちにしろサンディはボロボロになってしまう。背に腹は変えられない。
「すまないサンディ! その傷は、あとできっちり治してやるからな!」
俺は右手を突き出し、スキルを発動した。
「邪竜息吹!!」
その瞬間──俺の掌から、“白いガス”が大量に噴射される。
「なんだ、目隠しかッ!?」
一瞬で靄が辺りを包み、アシェルは俺を見失った。
その隙に俺はステルスを発動させる。
先程までの喧騒が嘘の様に、一瞬の静寂が辺りを包んだ。
「消えた……だと……? 貴様……逃げるのか。ふふ、ではこの娘がどうなっても良いというわけだな。おい、アシェル!!」
デュモスの言葉が終わるや否や、アシェルはゆっくりと、己の首元に短刀の切っ先を持ち上げていく。
(……くッ、汚い真似を。だが、もう効き目は十分のようだな)
その様子を観察してから、俺はステルスを解除した。
姿を見せた俺に満足した様子で人形は笑う。
「ふふ、それで良い。しかし甘い……甘いのう。貴様は所詮アシェル同様──何者にもなり切れないただの“善人”よ。他者を切り捨てるということを知らん。さあ、やれアシェル。こいつに引導を渡してやれ」
デュモスはアシェルに向けて命令する。
だが、アシェルは動かない。
「アシェル、どうした? 早くやれ!!」
デュモスはアシェルに再び命令するが、やはりアシェルは動かない。いや、動けない。
「デュモスよ、もうアシェルは動けんぞ?」
俺はゆっくりと呪い人形に目線を送り、笑みを浮かべた。
「貴様……いったい何をした?」
デュモスの声はこれまでの余裕ぶった調子を失い、ただ不思議そうに尋ねる。
先程の邪竜息吹は──《死の谷》に充満するガスだ。致死性はない。だが一時的に身体の自由を奪う。
「お生憎だけど……種明かしをしていいと思えるほど、俺はお前を好きじゃあないんでね」
俺はその問いかけを適当にあしらいながら、ツカツカとアシェルに近寄っていった。
「貴様ッ、サーカスの奇術師にでもなったつもりか……いい気になるなよ小娘……二度とその……」
呪い人形は口からボタボタと腐肉を滴らせ、忌々しげな声で呟いた。だが召喚の儀式が不完全な状態で止まっている現状では、デュモスにできるのはここまでだ。
俺はデュモスが語り終える前に言葉をかぶせ、ヤツの宿る呪い人形に向けて右手を伸ばす。
「できればもう二度と遭いたくはないが……もし今度があるんなら、この所業の報いは必ず受けさせてやるよ、デュモス」
じゃあなと一言終えてから、俺は丸呑みを発動させた。
デュモスの憑依した呪い人形は、一瞬でウロボロスの胃袋に飲み込まれる。しかし、万が一を想定して一応確認はしたものの、そこにデュモスの本体が囚われている……なんてことはなかった。
一呼吸置いてから、アシェルは糸が切れた様にその場に崩れ落ちた。鑑定結果を見るに、まだアシェルはサンディに憑依しているようだ。とは言え、もはやその雰囲気に先程までの狂人じみたものは感じられない。
サンディの身体の状態は十分にボロボロと呼んで差し支えないが、今のところ生命に別状はなさそうだ。
何とか勝てた。
その安堵感から、俺は大きく息を吸い込むと、誰に言うでもなく一人声を上げる。
「あっぶなかった〜〜、もう二度と御免だぞこんな闘い!」
こうして、この世界で初めて遭遇した悪魔──デュモスとの闘いは終わったのだった。
◇◇◇




