モブvsアシェルの悪霊(その3)
◇◇◇
ウロボロスの頭部は祠を飲み込むと、淡い光を散らして静かに消えていく。
「う、うわぁああああああ!! やめろやめろやめろぉおおおお!!!!」
アシェルは叫び声を上げながら祠へと駆け寄る。途中、彼は俺の直ぐ側を通り過ぎたが、こちらには全く見向きもしなかった。
「そッ……そんな……そんな……」
アシェルは薄れゆく光に向けて手を伸ばすが、その指先が触れるよりも一瞬早く、ウロボロスの幻影は消失する。もちろん、祠の建っていた場所にはもうその影すら残されていない。
「エヴリン……マルス……あ……ああ……」
アシェルは何も無くなったその場所を呆けたように見つめながら、その名を呟いた。膝を折り、項垂れたアシェルの双眸からは涙が溢れ、彼は完全に戦意を失った様だ。
◇◇◇
祠には、アシェルと彼の妻子が祀られていた。
かつて仲間の裏切りにより妻子を失ったアシェルは、悪魔と取引をした。その降臨と引き換えに、妻子の復活を願ったのだ。
だが儀式の途中、悪魔はアシェルに更なる条件──妻を蘇らせるにはこの国の者たち五百人を、更に息子を蘇らせるには追加の千人を生贄に捧げるよう求めたのだ。
しかし、アシェルはこの誘いに乗らなかった。
アシェルには、彼が愛し、守り続けた国民を犠牲にすることなどできなかったのだ。
アシェルは儀式の途中で自らの心臓に短刀を突き立て、悪魔召喚の儀式を“無理矢理”失敗させたのである。
そして彼の遺灰は英雄としての彼の名を汚さぬまま、この祠に祀られた。彼の妻子の遺灰と共に。
祠に収められた巻物には、彼の伝説が刻まれていた。鑑定結果からそれを知った俺は、ある作戦を思いついたのだ。
彼に──英雄としての記憶を思い出させるための。
◇◇◇
俺はゆっくりとアシェルの背に近づき、声をかけた。
「アシェル、お前の本当の目的は、デュモスという悪魔の召喚でも、この国への復讐でもない。妻と息子を蘇らせることだった。そうだな……?」
「そ、そうだ。俺は妻と……息子を蘇らせるために……それで……それなのに……ああ、俺はなんという事を!!」
アシェルの口調は、先程までとは明らかに違っている。まるで、憑き物が落ちた様な感じだ。
(どういうことだ……? 祠の消失にアシェルがショックを受けることは想定していたが、これではまるで……)
俺がその答えに辿り着くよりも早く、答えは向こうから訪れた。
突如、その場に何者かの声が響く。
「五月蝿いぞ……黙れ小娘。妻や息子なんぞ知らん。アシェルは己を裏切ったこの国を恨んでいるのだ。そして、儂を蘇らせて共に復讐を果たすことを望んでいる。のうアシェル、思い出せ……お前はこの国に、この国の民に復讐することを願っているのだ。裏切られた絶望を、憎しみを思い出せ……」
その声色は低く、頭の中に直接入り込んでくる様だった。
同時に、アシェルの周りにドロドロとした黒い澱の様なものが纏わりつく。その発生源は、アシェルの握りしめている──“呪いの人形”
いつの間にか人形の口元は真っ赤に裂けており、声はそこから発されていた。それが口を開くたび、内側からぐちゃぐちゃと腐った肉の様なものが溢れて落ち、ひどい悪臭を放っていた。
「ッな! アシェル、待て! そいつは……ッ!?」
俺はアシェルの握りしめた人形を改めて鑑定する。するとそこに表示された情報は、先程鑑定した時とは全く異なるものだった。
◇◇◇
《アシェルの呪い人形:憑依・悪魔デュモス》
悪魔デュモスの憑依した人形。デュモスは召喚の儀式で死亡したアシェルの魂を無理矢理呪い人形に封じ込め、悪霊として使役している。
この際、アシェルの記憶・思想を改竄し、狂信的な自らの信者とした。
◇◇◇
(悪魔に操られてたのか……英雄とまで呼ばれた男でも、精神的に弱りきった魂では抵抗できなかったというわけか……)
「アシェル、そいつの言葉に耳を傾けるな!! お前は義賊、民を思い、民に慕われた英雄だ! そいつは妻と息子を救いたいというお前の気持ちに付け入って、お前を操ろうとしているんだ!!」
俺は必死に説得を図ったが、アシェルの目は虚ろだ。
「……つま? ……むすこ?」
アシェルは何を言われているのかわからないという顔でこちらを見つめている。
「アシェルよ、理解などする必要はないのだ。儂がチカラをくれてやる……まずはそいつから始末しろ」
デュモスの言葉と共に、アシェルに纏わりついていたドロドロが身体に入り込んでいった。
「グガッ!?」
直後、アシェルは声を上げてビクリと震え、手足を痙攣させながらその身体を膨張させていく。
(まずいッ、このままじゃ──サンディの身体が持たない!)
そう考えた俺は、呪いの元凶である人形の制圧を試みた。
「丸呑み!!」
右手から発したウロボロスの幻影は、呪い人形に向かって伸びていく。しかし、幻影が人形に到達するよりも一瞬早く、アシェルは身を捩ってそれを避けた。
(くそッ、遅かったか……)
俺は鑑定を使ってアシェルのステータスを確認するが、最早、そのステータスは俺とほぼ同等と呼べるまでに強化されている。
「うがぁぁあああ!! 殺す……ッ殺す殺す殺す殺すぅ!!」
叫び声を上げたアシェルの姿は、先程までよりもさらに異様に歪んでいる。これがサンディだと言われても、コブやロッチでさえもう分からないだろう。
(何とかして、こいつを止めないと……)
状況は、さっきまでよりも更に悪化している。
だが、いまここでアシェルを止めることができなければ、サンディを助けることは二度と叶わなくなる。
手はある。それに、元よりそのつもりだ。
言葉で正気を取り戻せないなら、あとは実力行使しかない。
俺は、スキルの準備に入った。
◇◇◇




