モブvsアシェルの悪霊(その1)
◇◇◇
「おお……おお!! クハハハハッ!! この反応、成功だ!! ついに我はやり遂げたぞ!! 早く降臨されませ我が君!! さあ! さぁ!」
両手を掲げたサンディ──否、アシェルは狂った様に笑っている。どうやら魔法陣に描かれた術式は、ヤツの思い通りに発動を始めたようだ。
そうして観察を続けている間にも、魔法陣の放つ光はどんどん強くなっている。呪いの人形からは徐々に黒い煙が噴き出し始め、やがてそれは少女の身体に巻き付くようにして広がっていった。
(うぉおおおおッ!? やばいやばいやばいやばい!! これは明らかにイマ止めないとヤバいやつッ!!)
とにかく何かアクションを起こさないと、サンディはこのまま帰らぬ人となるだろう。
そればかりか、デュモスとかいう悪魔までもが召喚されそうになっている。悪魔のチカラなんて、全くの未知数だ。だが少なくとも、憑依されたサンディより弱い……なんてことはあり得ないと考えていいだろう。
もしそうなれば、俺ではもうヤツを止められる確証がない。
(ッくそ! どうすればいいッ!?)
既に発動した魔法陣を停止させる術などわからないが、それでもいまは俺にできることをやるしかないのだ。“逃げる”という選択肢は、既に俺の頭から抜け落ちていた。
俺は右手を突き出し、無我夢中で最大出力のスキルを発動する。
「うぉおおおお!! 全っ開ッ! 吐きッ……出ぁあああすッ!!!!」
──ドドドドドド……ドッパァァァンッ!!!!
その瞬間、俺の右の掌から大量の“白い液体”が噴き出した。
最高速で射出されたそれは、サンディの身体を包み込んでいた黒煙を一瞬で吹き飛ばす。ものすごい反動だ。俺は慌てて左手で右腕を抑えながら、未だ強く妖しい光を放つ魔法陣に狙いを定める。
「なッなんだ!? おい、止めろ!!」
儀式に乱入した俺に向けて、アシェルが叫んだ。だけど、ここで止まってやる馬鹿がいるかよ!!
俺は構わず、魔法陣に向けて再度スキルを発動する。
「全力でイカせてもらう! 邪龍息吹!!」
ドッパァァアアン!!!!
右手から吐き出された超高圧の液体によってあっという間に術式は崩れ去り、魔法陣はやがてその光を消失した。
(どうだッ……? 間にあったか!?)
俺はすぐさま鑑定を発動させる。
サンディのMPはごっそり減って、半分ほどになっていた。しかし、その状態は《憑依・アシェルの悪霊》のままである。説明欄にもデュモスなる悪魔のことは一つも書かれておらず、ステータス値も先程と変化はない。
つまり──悪魔召喚の妨害は、どうやら成功したらしい。
「そんな……そんなぁあ!!」
陣の中心では、アシェルが目を見開いたまま震えている。目の前で起こったことが、とても納得できないのだろう。直後、彼は唐突に我に帰るとグルリと向きを変え、俺を睨みつけて叫んだ。
「ぐ……ぎぎぎ……貴様ぁあああ!!!?!!」
アシェルの表情たるや、まさに鬼の形相……いや、悪魔の形相か?? あ、それは失敗したのだったね、はっはっは。
既に俺のステルスは解除され、ヤツからは俺の姿が丸見えになっている。
アシェルは忌々しげに俺を睨みつけたまま、早口で捲し立てる。
「我が悲願、デュモス様の降臨を妨げるなど、あってはならぬ! あってはならぬぅうううう!! お前ぇえ、いったい何をしたぁああ!!」
何を……? 何をってそりゃあ……
「馬乳酒を、思いっきり嘔吐した!!」
名付けて、邪龍嘔吐! ……ちがう! 息吹!!
「う、馬のちちち……乳だとぉお!? く……臭い!! ぎぎ貴ッ……貴様ぁああ〜〜!! 神聖なる我が主人の依代に向かって、何たる不浄なものをぉお!!」
当然、アシェルは激怒している。そりゃあ怒るのも無理はない。だけど俺も必死だったんだ。
本当は高圧洗浄機よろしく魔法陣を消し飛ばすだけのつもりが、間違えてサンディの身体にまでぶっ掛けちまった。
少女の衣服はぐっしょりと濡れて身体に貼り付き、裾からは白濁した液が滴り落ちている。
……ああッ……何ということでしょうッ!! これではまるで……ッ──(自粛)!!
俺はアシェルを指差しながらポーズを決め、吐き捨てるように応えた。
「不浄なのはどっちだ? “酒”ってのはな、古来から神と人を繋ぐ役目を果たしてきた。いわば、神聖な飲み物だ。悪魔と契約しても民草は救えやしない。まして、お前の妻子は戻ってはこないぞ! 義賊アシェル!」
「五月蝿い五月蝿い!! 吐瀉物をぶち撒けておいて知った風な口を利くんじゃない!! この下劣で恥知らずな売女めが!! 裏切りの代償は必ず払わせないと気が済まんのだ!! この国に、私を裏切った国民共にぃぃいい!! 許さん、絶ぇッ対に! 許さんぞぉおおお!!!!」
アシェルは胸元から血に塗れた短刀を取り出すと、一瞬で俺の間合いに入って横薙ぎに振り抜いた。俺は咄嗟に背後に跳んで躱したが、流石に俊敏い。
「その身体、ズタズタに切り裂いてやる!!」
アシェルの目はバキバキにキマっていて、もはやその顔にサンディの面影は全く残されていない。
(こ、怖ぇ……ッ! でも、動きにはなんとかついていけそうだッ!)
続けて高速で繰り出された連撃も、俺は危なげなく躱す。
ステータスだけ見れば、俺の敏捷値はアシェルより倍以上も高いのだ。
しかし、問題はある。
反撃したいとは思っても、どうやって懐へ潜り込んだらいいのかがわからないのだ。格闘技の経験なんて当然ない俺には、ステータスに任せて大袈裟に回避を繰り返すことしかできなかった。
久しぶりに戻った人型にも、まだ感覚が慣れきっていない。
(ああッ! こんなことなら、通信空手でも習っておけばよかった!!)
そうは言っても無いものはない。俺は次の一手を必死で考えながら、ひたすら逃げに徹する。お互いに決め手を欠いた状況が続き、痺れを切らしたアシェルがついに叫んだ。
「逃げてばっかりいるんじゃねぇ!! 殺す殺す殺す、絶対殺すッ! ひん剥いて、殺して、肉を削ぎ、お前の血でもう一度召喚の儀を行ってやる!! いつまでもそうしていられると思うなよ!!」
アシェルがそう口にしたと同時、彼の背後に紫紺の人魂が4つ浮かび上がった──
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