第4話 彷徨いし者
人族と5種族連合の戦場で最も苛烈な最前線の地サラヤ。
パンゲア大陸東部の獣人族の国である。
その南部域には、侵入者を拒む樹海が広がっていた。
樹海に纏わる幾つもの恐ろしい逸話により、人々からは『真宵の森』と呼ばれていた。
古来より棲息している巨大な樹木が生い茂り、足元には陽の光も届かない程薄暗い。
古の魔法が掛けられたその森に踏み入れば、感覚は麻痺し、方向を見失い戻る事が出来なくなる。
そして…長時間、滞在すれば、樹海の妖気に精気を吸い尽くされ、自我は崩壊し…樹海を徘徊する生ける屍…『彷徨い人』と成り果てる。
そんな危険な樹海で生まれ育った獣人族だけは、例外であった。
しかし…庭の様に樹海を駆け廻る彼等ですら絶対に近寄らない『聖域』が最奥には在ると言う。
もし誤ってその領域に入れば…獣人族ですら二度と戻る事は無い…
樹海を背にする形となるその場所は、防衛拠点として最適な地形である。
その樹海の入り口付近にある小高い丘の上に5種族連合軍の戦略拠点として大規模な陣を構えていた。
レインとザッハード達5種族の戦士達は、闘技場での戦いの後一際大きな陣へと案内された。
族長達は狂戦士を倒した『強者』であるレインに野営の陣を提供したのだった。
日が落ち、辺りが薄暗くなり始めた頃、
何かを捜しているような感じのシュレイナが、焚火をしているガルム達の処へ歩いて来た。
「何やってんだシュレイナ?」
ガルムがシュレイナへ話し掛けた。
其処へ有翼族のハイマールが、上空より飛来した。
「よぉ、ハイマール。
お前さん迄何してたんだよ?こんなに暗くなったら鳥目のお前さんには何にも見えないだろう?」
ガルムが、茶化す様に声を掛ける。
「私が、頼み事をしたのよ。」
テントの中からシュレイナが現れた。
「どう?見つかった?」
「いや…其れが、全く見つからないんだ…
樹海の奥迄探索の範囲を広げてみたけど…影も形も無かったよ。」
ハイマールが首を横に振りながら答える。
「何だよ?二人して何を探してんだ?」
「そう言えば…レイン様の姿が見えなく無いか?」
ガルムは、疑問を投げ掛ける。
其れと同時にグリムが、ある事に気付いた様だ。
「そう…レイン様の姿がどこにも無いのよ。
他の野営地へ向かった形跡もないし…
もしかしたら、樹海に入られたのかも知れないと思ってハイマールにお願いして探してもらっていたのよ。」
「おいおい、そりゃ…かなり不味いんじゃねぇか?
俺達にとっちゃ樹海は、庭みたいなもんだが…
余所者からしたら彼処は生きて戻れない『死の樹海』だぞ?!」
「其れに…ハイマールが、探して見つからないとなると…樹海の最奥…『霊剣山の聖域』へ入ってしまったかも知れないんじゃ…」
「…其れしか考えられないわね。
あの霊峰は、私達妖霊族ですら近付かない…魔の山…この数千年の間、踏み入って生きて戻れた者など一人も居ない…」
いつになく神妙な顔をしているシュレイナを見て、
他の戦士達も事の重大さが理解できたようだ。
「レイン様なら…心配ないとは思うが…
もしもの事があれば…ただでは済まないぞ?…ここは捜索隊を出すべきではないか?」
グリムが、皆に進言する。
「…あの聖域に住む魔物は…伝承によれば『神喰らい』と呼ばれている…」
『世界が誕生せし頃、虚無より生まれし巨大な蛇は、星々を呑み込み、その猛威を振るっていた。蛇の討伐に赴いた神々をも喰らい続け、数千年の間、世界を混沌と恐怖に陥れた。
唯一神はそれを憂い、光の神と闇の王に命を下し討伐させた…しかし、2大神をもってしても大蛇を倒す事は出来ず、唯一神より与えられた永劫の鎖により地の底へと幽閉したという…』
ザッハードが伝承の一説を語る。
「創世神話ね…まぁ、そんな怪物が居るとは思えないけど…不味い状況なのは変わりないわ…
急いで捜索隊を…」
そう言って、シュレイナが樹海の方へ眼をやると…
樹海の中からレインが歩いて来るのが見えた…両腕に子供を抱えている。
「レイン…様?!」
シュレイナが、大声でレインに呼び掛ける。
グリム達も一斉に樹海の方へ振り返った。
「よぉ、どうしたお前等?雁首揃えて…なんかあったのか?」
「なんかあったのかじゃないわよ!どこほっつき歩いてんのよ?
此処の樹海は古の魔法が掛けられてる危険な処なのよ?…この辺の知識も無いアンタが誤って入ったら…って…アンタなんで帰ってこれたのよ?」
シュレイナが、自然に疑問を口にする。
「なんだよ、うるせぇなぁ…魔法に対して完全耐性がある俺様にこんなチンケな呪いが聞く訳ねぇだろう?
大体、ちょっと古い知人に会いに行ってただけだってぇの…お蔭で荷物を押し付けられちまったが…」
そう言って、両腕に抱いている人族の子供達を下ろす。
子供達は、シュレイナ達から逃げるようにレインの後ろに隠れた。
「お?何だお前等、こいつ等が怖ぇのか?」
「ど、どうしたんです…この人族の子供達は?」
「なんかよぉ…成り行きでなぁ、俺様が預かる事になったんだが…」
「預かるって…無茶言わんでください!
人族の子ですよ?種族の者達に知られでもしたら間違いなく殺されちまいますよ?サッサと返して来ないと!」
ガルムが、捲し立てる。
「だよなぁ…俺もそう言ったんだが、アイツ昔っから一度言い出したら聞かねぇんだわ…其れに…」
そう言って、子供達を抱き上げる。
「こいつ等は、多分…『彷徨いし者』だ。」
「…『彷徨いし者』…それじゃあ、この子達は種族から追放されたってんですか?こんなに小さいのに…
どんな種族だろうが、子は宝でしょう?それをどんな理由が有るにしろ追放するなんて…人族ってのは、悪魔みたいな奴等じゃ…」
口走った言葉に〝しまった″という表情になるグリムだが、
一笑に付すかのようにレインが、話を続ける。
「…だよなぁ、『魔族』ならたまに耳にする事もあるが、理由は違うぜ?
子に強くなって欲しいから追放するんだ…決して疎まれてでは無いんだが…」
「…この子達は、人族に疎まれていたと言うんですか?一体何をしたと…」
「何もしちゃいねぇ…さ。
ただ…魔力を持たぬ人族では、あり得ない程の魔力量をその身に秘めて生まれて来ただけだ。
自分達とは、明らかに違う異質な存在は、忌み嫌われ疎まれるからな…」
「…どう見ても唯の子供にしか見えませんよ?」
ザッハードがレインに訊き返す。
「多分…内在する魔力量だけならウチの魔王クラスと同等の魔力量を持ってるぜ。」
レインは子共達を見ながらそう語った。
「な…?ま、魔王クラス?!」
「…あぁ、本人達は何も分かっちゃいねぇだろうが…」
レインの後ろで見え隠れする子供達を見ながら
(…はぁ…やっぱ、嵌められたな…フェイトの奴、こうなる事が分かってやがったから俺を連れ出しやがったんだな…って事は…この子供達が…そうなのかも知れん…)
レインが、遠い目をしながら思慮に耽っていた。
「お前達…隠れてないで出て来なさい。」
シュレイナが、レインの背後に隠れている子供達へ話しかけた。
ビクッと身を震わせてレインの背後に逃げるように隠れる。
「…ほう、私から逃げるのですか?
それが許されないという事を身をもって知る必要があるようですね?」
シュレイナから立ち昇る気配が変わる…
冷たい気配が肌を突き刺す感覚…グリム達にもそれは感じられた。
「シュレイナ…相手は子供なんだし…」
グリムが助け舟を出そうとしたが、
「…言ってる事は理解できている筈です。
さて…どうしますか?隠れたまま逃げ続けるのですか…それとも…」
シュレイナの気配が更に増していく…並みの戦士ですら逃げだす程の気配を放っていた。
しかし、子供達はその気配に臆することなく、レインの背後からおずおずと出て来たのだ。
「成る程…良い子達ですね。
その年頃で抗えぬ恐怖に立ち向かえる者は少ない…貴方達には戦士としての素質があるようですね。」
赤茶色の髪の毛の女の子が、小さい声で呟いた。
「…お姉さん…綺麗…」
シュレイナの長い耳がピクリと動いた。
「まぁ!私を超綺麗で美しいお姉さんと言ったのですか!
なんて本当の事しか言えない純粋な子供達なんでしょう…世界一の超絶美女だなんて!」
(いやいや…誰もそこまで言ってねぇだろ?…どんな耳してやがんだ?あの女は…)
レインが、心の中で悪態をついていた。
口に出すとシュレイナに殺されてしまいそうなのでそれはしない…
「仕方ありませんわね、そこまで言うのでしたら…貴方達の面倒は、私達がしっかり見る事に致しましょう。」
シュレイナが耳を疑うセリフを吐いた。
「えっ?な…ち、ちょっと待てよ、シュレイナ。
…今の置かれている状況が分かって言ってんのかよ、こいつ等人族の子供だぞ?」
グリムが、シュレイナに反論する。
「…だから、何だと言うのかしら?」
冷たい視線をグリムへ向けるシュレイナ。
「いやいや、今こいつ等の種族と戦争の真っ最中だ…子供とは言え俺達の敵だぞ?
こんな所に人族の子供なんて置いて於いたらどうなるか分かりきってるだろう?
友軍の連中に見つかれば…ただじゃ、済まない…見つかれば、殺されるか捕虜として捕まるんだぞ?!」
「…見つからなければ、良いのでしょう?」
シュレイナが簡単に言ってのける、!
「そんなもん、無理に…」
グリムが、反論しようとするのを制しながらレインが口を挟む。
「ちょっと待てよ…なんでお前等が、好き勝手騒いでんの?こいつ等を古い知人から預かったのは俺様だぜ?」
(…預かったって言うより…否応無しに押し付けられたんだが…)
「その知人って誰なんですか?
世界情勢にかなり疎いんでしょうね…人族の子供を敵対勢力に預けようなんて…どうかしてますよ?」
ザッハードが、非難するように話している。
「ん…まぁ、アイツも世情から離れて久しいからな…
世界がどうなってるかなんて分かってないと思うぜ?」
「大体…樹海の奥に知人って…どんな人なんですか?」
「あぁ、昔…地底の奥底に封印してやった『虚無の大蛇』グレジャ・ナーガって奴だ。」
「はぁ…?!」
ガルム達が、口を開けたまま驚きのあまり目を見開いた。
「き…虚無の大蛇…?
それって創世神話に出てくるあの…『神喰らいの大蛇』の事…ですか?」
ガルムが、恐るゝ訊き返す。
「おぉ、良く知ってるじゃないか?そいつだよ。
昔っからの知り合いだからよ、近くに来たんで挨拶しに行ったんだが…とんだ厄介事を頼まれちまってな…
アイツ、一度言い出したら聞かねぇからな…
まぁ、次にあったら…お前等がかなりご立腹だって話しておくわ。」
「いやいやいやいや…やめてください!!」
ガルムが両手を大仰に振りながら慌てて否定する。
(そんなもの…間違いなく殺されてしまうじゃないっすか?!
…って言うか、神話の怪物と知り合いだとか…この人といると何が普通なのか分からなくなってくる…な。)
「それより…成り行きとは言え、こいつ等は俺が預かると決めたんだ…
色々と面倒な事になるかもしれんが…投げだす事は出来ん…
かといって、俺が子守りなんてできる訳がない…そこでだ…俺の代わりにお前等が面倒を見ろ!」
レインらしい…かなり身勝手な物言いだった。
(やっぱりそうなりますよね…)
ザッハードが大きく溜息を吐く。
「はぁ…そう言うと思いましたよ…
ですが、どうするんですか?このままでは間違いなく見つかってしまいますよ?
人族の容姿と独特な匂いは、隠しようがない…」
「…何とかなるんでしょう、レイン様?
確か…魔族には『幻惑』の魔術と言うものが、あると聞いた事があります。」
シュレイナが、記憶を探る様に話している。
「まぁなぁ…『幻惑』の術は下級悪魔の魔力ならまやかし程度だが…」
そう言って、レインは子供達に掌を翳すと淡い薄紅色の光が子供達を包み込む。
子供達の姿が、女の子は赤毛のエルフの子供へ…男の子の方は、濃灰の人狼の子供に変わった、
「なんすかこれ?!
容姿も種族特有の匂いも…まるで、本物と見分けがつかないっすよ?」
「だろうなぁ…この魔術は、自動的に周囲に居る対象者の脳へ直接作用する様になっている…
今見えてる姿形も匂いもすべてお前等の脳が無意識のうちに勝手に創り出してる幻想だから…まず見破る事は出来んだろうな。」
「…考え様によっては恐ろしい魔術ですね。
これを使えば…誰にも気付かれず敵陣の中へ潜入出来る…」
目の前で見せられた魔術の有用性をグリムが考えながら呟いていた。
「だったら安心じゃないですか!
此れなら誰にも気付かれる心配は無いって事ですよね?」
ガルムが、晴れやかな顔でレインに聞き返した。
「そう言う事だ。」
「それじゃあ、もう心配は無くなった様ね。
此れから貴方達は、私達が面倒を見てあげます…
さぁ、いらっしゃい…」
そう言って、シュレイナは片膝をつき、両手を広げながら子供達へ笑みを浮かべた。
エルフに姿を変えた少女がニコニコ顔でシュレイナの元へ走り出し抱きつく。
人狼へ変わった少年は、恥ずかしいのか照れ臭そうに歩いて行くとシュレイナに抱き寄せられた。
少年も少女も嬉しそうにシュレイナに抱かれていた。