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09:赤い火光



 エリゴスの本隊が陣を引き払い、進軍を開始した頃。

 カスティージャ伯の別邸内では、レダが洗濯にいそしんでいた。


 小道具として用いた両親の古着は、そう目立つほどの汚れはないものの、わずかながら異臭が染み付いていて、結局まともに洗うしかなかった。

 タライに井戸水を満たして、布地に石鹸を刷り込み、しっかり擦って汚れを落とし、きれいにすすぐ――。


 四歳で「魂の記憶」に覚醒してから、エリゴスに捕縛されるまでの一年ほど、レダは積極的に母の家事を手伝っていた。当然、洗濯も手馴れている。

 さりとて、王都からの帰還後はエリゴスを迎え撃つ準備に忙しく、近頃は家事に関わる余裕もなかった。


(洗濯は嫌いじゃないが……ひとりでやってても、つまらんもんだな)


 レダは周囲を見回し、嘆息をもらした。

 ここは別邸の裏庭。納屋の庇下にタライを置いてしゃがみ込み、激しい雨音を聞きながら、レダはひとり、ただ黙々と作業していた。


 エベッカ村では、洗濯はもっぱら共用井戸の洗い場で、母親や近所の女衆とともに、賑やかに語らいながら片付けてゆくものだった。国境や宗教にかかわらず、おそらく大陸中のどこでも見られる庶民の日常風景であろう。

 この別邸には石鹸が備え付けられていたが、これは庶民には贅沢な高級品で、村では竈から出る灰を、洗剤として用いていた。


(おっ、そうだ。この石鹸、持って帰れば、かーちゃん喜ぶかな。どーせ、この屋敷はもう――)


 そんなことを思いついたとき。

 気配を感じた。


 裏庭の泥土に、いつの間にか影がさし、何者かが雨に打たれ、佇んでいた。


「魔神か?」


 レダは、あえて洗濯する手も休まず、顔をあげもせず、誰何の声をあげた。


「おお、さすがは」


 声が返った。まるで老婆のようなしわがれ声。


「凡人では、私の存在を感知することさえ困難であるものを。やはり、あなたは……神々の座(バビロン)より来られし御方であらせられるか」


 レダは、ゆっくりと顔をあげた。

 そこにいたのは人間ではない。人間並みの背丈がある大きなミミズクだった。


 茶色と白の複雑なまだら模様の羽毛を持ち、体型は全体に丸々として、顔には甚だ立派な黒い羽角をぴんと張り、オレンジ色の両眼に穏やかな光をたたえてレダを見下ろしている。

 外見の特徴は、どこにでもいるワシミミズクそのもの。


 ただし、その大きさが尋常ではない。

 レダに従っている怪鳥アンズーと比べると、ふた回りほど小さいものの、両脚の爪でレダを掴んで飛ぶ程度のことは軽々とやってのけそうな巨鳥であった。


 レダはといえば、さほど驚いた様子もない。さすがに洗濯は中断し、面倒くさそうに立ち上がった。


「ふーん。その気配、西方の出身か?」

「おっしゃるとおり」


 巨大ミミズクは、やや口調をあらため、目もとをぐっと引き締めて応えた。


「私はストラス。もとは魔界西方の一軍団長ですが、ゆえあって現在、ある御方に仕えております」

「ストラス……」


 レダは、興味深げな眼差しを、巨大ミミズク――ストラスに向けた。


「あー、なんか、聞き覚えがあるな。薬学と宝石に詳しい魔神……だっけ。で、その鳥型ビーストの肉体に憑依したのか」

「左様で」

「そうなったのは、やはりシモーヌの仕業か?」

「ええ。霊力を喪失し、肉体を維持できなくなりまして。やむなく、このような姿に身をやつしております。他にもいくつか、鳥型のビーストを状況に応じて使い分けておりますが」

「……おまえの他にも、地上に残ってる魔神はいるのか?」

「いるはずですが、連絡などは取り合っておりませんので、正確なことはなんとも。それに、王都の近辺では、エーテルの不足により、いかなる魔神も動きがつきません。私のようにビーストの殻をかぶってでもいない限りは」

「なるほどな」


 レダは、再びその場にしゃがみ込んで、洗濯を再開した。


「んで、用件はなんだ。洗濯しながらでよけりゃ、聞いてやるよ」

「はあ」


 ストラスは、やや呆れたような表情を目元に浮かべた。なぜそんな下々の仕事を――とでもいいたげに。


「わが主からの言伝てです。近々、ぜひ直接お目にかかりたいと」

「主って誰だ?」

「王国宰相、ギョーム・ド・ノガレ……といえば、おわかりいただけますか」


 途端、レダの両眉が、ぴっ、とはね上がった。


「……そんなとこに突っ立ってたら、濡れるぞ。こっちに来て、詳しく聞かせろ」

「は、ではお言葉に甘えまして」


 ストラスは、濡れた地面をひょいひょいと蹴って、レダのもとへ歩み寄った。

 ――雨は、いまだ止む気配もない。






 カスティージャ伯の領館を発してより、およそ半日。

 聖エリゴス騎士修道会総長ジェラール率いる遠征軍三千は、豪雨の街道を押し進み、かろうじてエクスン河の畔に到達していた。


 道路も畦もぬかるみ、泥流に人馬の足をとられること度々、悪戦苦闘の行軍ではあったが、すでに目的地であるカスティージャ伯の別邸まで、隔たることわずか数里まで迫っている。


 延々たる車馬兵列の連なりは、次第に陣形を展開し、遠巻きに別邸を包囲する態勢へと取りかかり始めていた。

 ジェラールは、進軍速度を落とし、斥候を出して、まず別邸の様子を窺わせた。


「この目で見ました! レダ・エベッカは、あそこにいます!」


 ほどなく、報告がもたらされた。

 魔女レダ・エベッカと思しき真っ赤なドレスの幼い子供が、まるでこちらが来るのを待ち構えてでもいるように、別邸の二階のバルコニーに佇んでいた――と。


 斥候の報告を受けて、ジェラールは、やや眉をひそめた。

 おそらく、レダはあえてバルコニーに姿を晒しているのだろう。自らの存在を誇示するために。


 エリゴスの総戦力を、本気で、たった一人で相手取るつもりなのだろうか。レダには、それほどの自信があるのか。

 あるいは、あらかじめ、何らかの罠が張られている可能性もある。


(……いや、そうだとしても。いかなる罠があろうと踏み破って進むのみだ)


 信仰心厚き三千の精兵。そして女神と聖女の加護を受けた聖剣。

 それらを擁して、女神の敵たる異端者を討つ。


 いかに魔女レダが強大であろうと、主の加護は我らのもとにある。なにを今更恐れることがあろう――。

 ジェラールは、ともすれば、自身の脳裏に首をもたげてくる懸念を、強引に振り払った。


 斥候の報告は、いずれも一致していた。レダはいまだ別邸に留まり続けている。

 ジェラールは、さらに兵列を前進させ、ついに雨煙の彼方に別邸を目視しうる距離まで迫ると、全軍へこう布令を下した。


「あれだ、見えるか。あの建物を中心に、弓兵と戦車で包囲網を形成せよ。蟻一匹も逃さぬほど、警戒を厳に密に。準備が整い次第、百人隊を兵種ごと五段に分けて突入させる。おのおの、主の加護を信じ、聖霊の剣を握り、破邪の槍を振るって、悪しき魔女を討ち果たせ。我らに恐るるものは何もない!」


 ジェラールの激に、おおうっ、と、潮のような鬨の声が一斉に応えた。

 これまでの難行軍にもかかわらず、士気は充分に奮いたっている。この分なれば――と、ジェラールが改めて配置を下知しにかかった、そのとき。


 暗灰色の雲に覆われた天の一角。頭上遥か高く、その雲に照り映えるように、突如、真っ赤な光が、空に浮かび上がった。

 全軍の足が止まる。異変に気付いた将兵らは、一斉に顔を上げ、天を仰ぎ、あるいは空を指差して驚声をあげ、騒ぎ出した。


 あれは何か?

 さながら血の色のような、不気味な火光に染まる空。それへ気を取られるうち、遠く――地鳴りが響いた。


 雨音を破り、ジェラールの耳にも、かすかに届いた。音だけではない。足元の大地も、わずかに震えている。

 ふと、ジェラールは不吉な予感にとらわれた。


 この降り続く豪雨。振り仰いだ視界の彼方には、エクスンの土堤に満々たる河水が押し寄せ、激しく飛沫を散らして、いまにも溢れかえらんばかりの光景。

 もし、ここで、あの堤が破れ、エクスン河が氾濫するようなことがあれば――。


 いや、レダが意図的にそれを狙っていたとすれば。

 いま空に浮かぶ、赤い光の意味は。


「――まさ、か」


 ジェラールが声を発した直後。

 エクスン河の上流で生じた膨大な濁流が、褐色の怒涛と化して別邸の付近一帯へ押し寄せ、一瞬の間に、すべてを飲み込んだ。



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