08:行き着く先は奈落
カスティージャ伯別邸。
その二階の奥の間で、レダとヘルモウが対峙していた頃。
一階では、ヘルモウの護衛として同行していた四騎士たちが、思わぬ状況に直面していた。
家具も調度もない、がらんどうの小部屋。ただ壁に並ぶ燭台の灯火だけが、昼間のように明るくはっきりと、狭い室内を照らしている。
床には一面、古着やぼろきれが散らばっていた。ちぎれた毛布や、破れて綿が飛び出たクッションの残骸なども見える。
それらの下から、干からびた死骸らしきものが、ちらほらとのぞいている。
「どうなってるんだ、これは」
「この屋敷の者たちなのか?」
「使用人たちの遺骸か……?」
騎士たちは、口々にささやきあいながら、剣を手にかけたまま、注意深く室内に踏み込んだ。
「かすかに異臭がするが……」
「おそらく、死んでから、相当な日数が経過してるんだろう」
「詳しく検分してみるか?」
「それは我々の仕事ではなかろう」
「ひょっとして、この屋敷に誰もいないのは、全員、ここで殺されたからでは」
「……そうかもしれん」
いったいここで何が起こったのか。何者の仕業か。いかなる目的で、このような惨劇を引き起こしたのか――。
騎士たちは戸惑いつつも、脳裏に、ある人物の名を思い浮かべていた。
「これは、レダ・エベッカの仕業では……」
「あのガキに、こんなことができるのか?」
「おまえ、魔女殺しの丘で何があったか聞いてないのか」
「いや、聞いてる。だがなぁ、いまでも半信半疑なんだ。俺はあのガキの『審問』に立ち会ったことがある。なにをやっても反応しない不気味なガキだったが、そんな力があるなんて、とても思えなかったぞ」
「それに、わざわざ屋敷の者など殺害する理由がないだろう」
「わからんぞ、なにせ魔女だ。理由などなく、殺戮を楽しんでいるのかもしれん」
ふと、空気の流れが変わった。
燭の火がかすかに揺れている。
廊下のほうから、足音が響いてきた。
硬い靴底を音高く鳴らして、カツ、カツ……と、刻一刻、部屋へ近付いてくる。
「なにか来る……!」
「この足音は、ヘルモウさまではない」
「ということは……」
騎士たちは、一斉に剣を抜いて、身構えた。
やがて、出入口に姿を現したのは、灯火に鮮やかに映える赤いドレスをひるがえし、黒い三角帽子をすっぽり被った、金髪碧眼の小さな女の子。
頑丈そうな黒革のブーツでしっかと床を踏みしめ、碧い双眸には、まったく子供らしからぬ険呑な光をたたえている。
その右手に、なにやら赤黒い物体を掴んでぶら下げているのが見えた。
「レダ・エべッカ……!」
騎士のひとりが、声を漏らした。レダは冷然と微笑んでみせた。
「そうとも、アタシがレダだ。……ほう、見覚えのある顔もまじってるな。ヘルモウの腰巾着どもか」
「これは、貴様の仕業なのか?」
騎士のひとりが問いかける。
「だとしたら、どうする」
灯火のもと、レダが右手を前に突き出す。それは人間の生首――その髪を掴んで、ぶら下げているのだった。そこから、赤黒い血が、ぽたぽたと床へ滴り落ちる。
騎士たちは、呆然と、その生首を凝視していた。
「それは、ヘルモウさま……の」
「ああ。次はおまえたちだ」
レダの宣告は、まるで地の底から這い上がってくるような禍々しい響きを帯びて、騎士たちを戦慄させた。
死神の囁きとは、こういうものかと……深い怖気をもたらす声だった。
「……なにが魔女だ。俺は、俺は騙されん。よくもヘルモウさまを」
ただ一人、かつてレダの『審問』に同席したという騎士だけは、なお勇をふるって剣をかざし、レダに斬りかからんと踏み込んできた。
レダから受ける畏怖よりも、今なお、レダを無力な子供と見くびる感情がまさったらしい。
「そうか。なら、すぐにヘルモウの後を追わせてやる」
レダは、まるで動じたふうもなく、騎士へ鋭い眼差しを向けた。
騎士の剣は、レダに届かなかった。その白刃を振り下ろすより先に、騎士の両腕が、見えざる刃に、すっぱり斬り離されて、宙に舞っていたからである。
騎士は、視界の隅で、自身の両腕と剣が、鮮血を撒き散らしながら、床へ落ちこぼれるのを見た。
何が起こったのか? レダ・エベッカは、微動だにしていない。指一本動かしていない。
理解が追いつかぬまま、慌てて顔を上げると、眼前――レダが笑っていた。
およそ無力な子供などでは決してありえない、不遜きわまる微笑。
そこで、騎士は見た。
レダの眼差しの奥に秘められた、奈落の底のような深遠と、そこに満ちる凪いだ海のような――。
無限の、慈愛を。
騎士は、ようやく悟った。眼前の少女が、決して、剣を向けてはならない存在であったことに。
あれは、人間ではない。さりとて魔女でもない。また、世に仇なす邪悪などでは決してない。
むしろ、人の認識する聖俗正邪の枠など遥かに踏み越えた、暗雲を吹き払う烈風、または地の不浄を押し流す怒涛。
幼い女の子の姿をかたどった、無尽蔵の愛、天の栄光そのもの。
われら人などというものは、その大いなる慈悲にすがって、ようやく生かされているような、ちっぽけな存在でしかなかった……。
――お赦しください。主よ。
それが、騎士の脳裏に浮かんだ、最期の言葉であり、懺悔の祈りだった。
さながら透明な大鎌に刈り取られたかのように、騎士の首は胴を離れ、高々と空中へ飛んだ。
死へ至る瞬間、いかなる悟りを得たものか、余人には測り知れぬが――その顔は、恐怖や苦痛ではなく、眠るような安らぎに満たされながら、赤黒い血を撒いて、床へ落ち転がった……。
「いまさら悔い改めんなよ。手遅れもいいとこだ」
哀れな騎士の生首を眺めおろして、レダは、ひややかに呟いた。
残りの三騎士は、もうレダに背を向け、剣を放り捨てて逃げ出していた。
三人とも、言葉にならぬ悲鳴をあげつつ、無我夢中で窓をぶち破り、豪雨降りしきる暗い屋外へと転び出て、ほうほうの態で走り去っていった。
レダは追わなかった。
もともと一人は逃がすつもりだった。三人でも同じことである。
重要なのは、現在、レダがこの屋敷にいるという事実。それを彼らの口からエリゴスの本隊に伝達させることが、レダの目的だった。
ヘルモウの殺害など、そのための演出の一環でしかない。
あの騎士三人は、心底からの恐怖をもって、レダの存在と自らの体験を大袈裟に喧伝してくれることだろう。
演出といえば。
この室内に散乱していた遺骸は、レダが近場の墓場から霊力を用いて掘り出した、比較的新しい男女と子供の死体を、土を払って放り込んでおいたものである。
その上に衣類やぼろきれをかぶせて、いかにも殺人現場のように見せかけた。
この屋敷が無人であること、その理由がレダの手による大量殺害であること……という誤った認識を、あえて騎士たちに植えつけるための演出である。
おそらく騎士たちは、プリカも既に死亡したものと勝手に推測し、上層部にも、そのように報告するであろう。
こうしておけば、老カスティージャ伯が、よもや背後でレダと気脈を通じているなどと疑われることもあるまい。
いま伯は、エリゴスの本隊を領内に迎え、まさに虎口の只中にある。
万一にもエリゴス側に疑いの目を向けられては、その一命も危うい立場だった。レダなりに伯の身を案じ、小芝居を演じてみせたのである。
ただ、ここで小道具として利用した衣類は、レダが実家から持ち出したもの。古着とはいえ、両親の持ち物である。きちんと洗って返さなければ、後で叱られるだろう……。
レダは、ヘルモウの首を打ち捨てると、そそくさと衣服を回収し、その場から立ち去った。
カスティージャ伯の別邸から逃れた三騎士は、慌てて馬車に飛び乗り、豪雨降りしきる闇夜の田舎道を、無我夢中で駆け戻った。
わずかでも馬を止めれば、すぐにも背後からレダが追いすがってくるような気がして、三人とも生きた心地もなかった。
ようやく馬車がエリゴスの本陣に辿り着いた頃、空も白々と明けはじめていた。
泥をはねあげ轅門をくぐり抜け、警備の隊列と天幕の連なる本陣に入ると、三騎士は焦燥しきった顔を並べて、上官に事のあらましを報告した。
「言語道断だ」
報告はすぐさま本陣から上聞に達した。
カスティージャ伯の領館にて仔細を聴き取った総長ジェラールは、頬を歪めて苦々しげに呟いた。
「よりによって、ヘルモウが殺されるとは。得がたい人材だったものを」
ヘルモウは、教皇国からわざわざ派遣されてきた異端審問の専門家であり、尋問と拷問によって異端者から「自白」を引き出す技術において、他に類を見ないほどの人材だった。
無論、ヘルモウが個人的に、いささか歪んだ性癖の持ち主であることはジェラールも承知しているが、些細な問題である。
有能な異端審問官を失ったことは、魔女狩りのみならず、今後のエリゴスの活動全般に支障をきたしかねない痛手であった。
ヘルモウだけでなく、護衛の騎士がひとり死亡したことも、ジェラールにとっては痛惜に耐えないことだった。
また、プリカ・ド・カスティージャを含む別館の住民が、既にレダによって皆殺しにされた可能性があるという報告は、いっそうジェラールを憤激させた。
女神教の宗教的必然に基づく犠牲の死と、ただの殺人とは、明確に区別されねばならない――。
例えば、もしもプリカ・ド・カスティージャが、当初の予定通りヘルモウの審問を受け、有罪判決のすえに、火刑に処されたならば、ジェラールはそれに心を痛めることはなかったであろう。
しかし、エリゴスが関与する前に、プリカがレダに殺されたとすれば、それは大いなる悲劇であり許されざる犯罪である。下手人たる魔女レダは、必ずこの手で誅さねばなるまい。
敬虔な女神教信徒たるジェラールにとって、作戦上の必然としてプリカを犠牲にしようとしていた事実と、レダへの義憤は、なんら矛盾なく並存する。そこに歪みがあるなどと――当人は気付きもしない。
ジェラールはただちに本陣から参謀たちを呼び出し、厳命を伝えた。
「レダ・エベッカは、カスティージャ伯の別邸に潜伏している。各部隊、ただちに出発の準備をせよ。全軍をもって別邸を包囲し、必ず、かの魔女を討ち果たさん」
ジェラールは佩剣を抜き放ち、居並ぶ参謀らの前で、高々と白刃を掲げた。
その煌く両刃剣こそ、聖剣ジャン・バール。
教皇国の天主、聖女シモーヌが手ずから鍛え上げ、じきじきにジェラールへと授けた、「本物の」聖剣である。
刃から放たれる清浄な光、聖女の加護による力強い輝きを目のあたりにして、参謀たちは、必勝の信念もあらたに、俄然奮い立って作戦準備へと取り掛かった。
――それから半刻余り。
豪雨はなおも降りやまない。おびただしい水煙に視界は閉ざされ、道も田畑も泥流に覆われている。
この悪天候下に、総長ジェラールはあえて出発を強行した。
「むしろ、これぞ天が与えたもうた好機でしょう」
カスティージャ伯は、こうわざわざ助言して、ジェラールに決断を促した。
「この天候では、レダ・エベッカも動きがつきますまい。雨が止んでしまえば、さっさと別邸を離れて、行方をくらます可能性もあります。今のうちに急行し、包囲してしまえば万全でございしょう」
「なるほど、道理だ」
伯の提言は、ジェラールを大いにうなずかせた。
さらに伯は、別邸周辺の地形図をもとに、最短の進行路と、陣の構築に適した位置を詳細にジェラールへ呈示してみせた。
ジェラールは、伯の手厚い協力と忠義に感謝を示し、伯の孫娘プリカの仇をきっと報じんと、固く誓って、意気揚々と出発したのである。
ジェラールの指示を受けて、エリゴスの全軍は一斉に陣営を引き払い、物々しい車馬隊列を連ねて、慌しく雨霞の彼方へと去っていった。
「ようやく行ったか」
伯は、領館の窓から、家僕らとともに、その様子を静かに見送っていた。
「またすぐ戻ってくるのでは? 子供をひとり、捕まえに行っただけでしょう?」
あまり事情を知らぬげな家僕の青年がそう訊くや、伯は笑って応えた。
「独善は視界を狭め、盲信は道を誤らせる。彼らは、ちょうど目を塞いで断崖へ向かっているようなものだ。行き着く先は奈落しかない。ただの一人として、戻っては来るまいよ」
伯は窓を閉じると、家僕らへ、領館内の清掃と、ついでにミルクを温めておくよう命じた。
おそらく今日中にも、すべてを片付けたレダが、ここを訪れてくるだろう――と、伯は予想していたのである。