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06:豪雨



 怪鳥アンズーの背に乗って、レダは一気に雲上まで翔けあがり、悠々とカスティージャの空を南下しはじめた。

 プリカについては、あらかじめ里長や自分の両親に話を通して、集落の空き家に入れて、丁重に世話をしてもらえるよう頼んである。


 半ば、領主のカスティージャ伯を味方に繋ぎ止めておくための打算からであるが、生来病弱というプリカの身の上を聞くにつけ、なんとなく、他人事のような気がしなかった――というのもある。


 レダも、物心つくまで身体が弱く、四歳で「魂の記憶」を取り戻すまで、明日をも知れぬほど頼りない状態が続いていた。

 もっとも、プリカの病状はさほど重いものではない。プリカに与えた冥界花――花弁や茎に薬効があり、衰えた霊力を回復する――を正しく処方すれば、数日のうちに快方に向かうだろう、とレダは観察していた。


 蒼い上天からは晩秋の陽光燦々と降り注いでいる。レダはやや眩しげに目を細めて、眼下の雲海を眺めやった。

 雲の上はいかにも穏やかな天候だが、地上は荒れ模様で、ことにカスティージャ地方一帯は大雨になっている。


 単なる自然現象ではない。他ならぬレダが、そのように天候を操作していた。


「主。少々気になっていることがあるのですが」


 アンズーが声を発した。きわめて渋味のある中年男性のような声で、言語明瞭、外見に似げず沈着な性格と、深い知性をしのばせる独特の重みがある。


「なんだよ」

「そもそもなぜ、魔女などと名乗っておられるのです? 主はそのような――」

「そのほうが、わかりやすいからだよ」


 レダはアンズーの問いを遮って応えた。


「アタシの素性を馬鹿正直に話したって、素直に信じる奴なんて、そうはいやしない。だが、他人の目をはばかって、こそこそやるのも、これまたアタシの性には合わん。だから、いちいち隠したりせず、わかりやすい例を使って、ふんわりと説明してやってるまでさ」

「それが、魔女と……魔法、ですか」


 魔女というのも、おおまかに言えば、古くからある概念として、超自然の力……すなわち魔法を操る、一種の怪物のような存在と、女神教でいうところの異端思想者と、そう二通りの意味が込められている。

 レダは前者のイメージで自らを説明しているが、エリゴスなどの敬虔な女神教信者にとっては、レダはどちらにも該当する存在ということになろう。


「人間てやつはな。己れの理解や知識を超えるような現象に遭遇しても、それに既成の概念が当てはまりさえすれば、大抵のことには一応納得できるんだ。たとえば幽霊とか、悪魔とかな」

「ははあ。現象の詳しい理屈はわからずとも、それが悪魔や幽霊の仕業だといわれれば……なるほど。魔法も、そういうものですな」

「そういうことさ。それと、里長のじっちゃんのところにあった、古い読み物に、魔女の図像ってのが載っててな。それがちょっとカワイイと思ったんで、できるだけマネしてみた。エーテルから取り出した霊糸を紡いで、全部自分で仕立てたんだぞ。これでアタシも立派な魔女ってわけさ」

「ああ、そのお姿は、そういう……」

「なんか文句あるか?」

「いいえ。よくお似合いですし、実にお可愛らしいと思いますよ。とくに、その帽子がいいですね」

「おー、オマエにもわかるか! そうだろそうだろ、こいつはお気に入りだよ! まさに魔女のトレードマークってやつさ!」

「では、そのトレードマークを落とさぬよう、しっかり抑えておいてください。これから降下しますので」

「ん。やってくれ」


 レダは、アンズーにいわれるまま、黒い三角帽子を、両手で抑え込んだ。

 アンズーは、四枚の翼をわずかに折り畳み、ぐんぐん高度を落としはじめた。そのまま雲海へと斜めに突っ込み、一気に突き抜ける。


 雲海を抜けた先には、激しい風雨が吹き荒れていた。

 眼下に広がるのは、水煙に覆われたカスティージャの起伏豊かな地形。


 丘陵は遠く霞み、樫の林も街道も豪雨に洗われて、大河エクスンも水嵩を増し、白浪濁々と堤を巡って、勢い奔騰、飛沫をあげて押し流れてゆく。

 これらの現象はすべて、レダの意図的な気象操作によって引き起こされていた。


(わざわざ、これだけの霊力を使ってみせてるんだ。そろそろシモーヌも気付くだろう。アタシがここにいることに……)


 レダは、地上のある一点を凝視しながら、内心で呟いていた。

 カスティージャ伯にはわざわざ語っていないが、いま地上の一角に蠢いている、エリゴスなどという連中は、レダにとって、さほど脅威でもなければ、障害というほどのものでもない。


 レダが真に相対すべき敵は、別のところにいる。

 女神教の狂信集団ごときは、せいぜい「本命」を釣り出すための、哀れな生き餌――その程度の存在でしかなかった。






 魔女レダ・エベッカ討伐の旗幟を掲げ、王都から進発してきた聖エリゴス騎士修道会の遠征軍三千は、およそ一ヶ月かけてカスティージャ地方の州境を越えた。

 総長ジェラールは、まず自ら一筆をしたためて、領主カスティージャ伯のもとへ到着の先触れを送り、部隊の受け入れと援助物資の手配を依頼した後、現地の教会の建物を借りて一夜を過ごし、夜明けとともに全軍を伯の領館へと進めた。


 出発からほどなく、天候が急変し、荒れ狂う暴風雨に晒されながらの行軍となったが、三千の軍列は、一心に女神エンリルと聖女シモーヌの加護を祈念し、ぬかるむ道をものともせず馬を進め、あるいは徒歩で泥濘を踏みしめ、進み続けた。

 難行軍のすえ、遠征軍が伯の領館へ辿り着くと、広壮な荘園には、すでに無数の天幕が立ち並び、立派な野陣の備えがしつらえられていた。


 陣地の四囲には急造ながら木柵を結いまわし、轅門まで備わっている。三千の部隊を収容して休ませるには充分すぎるほどの準備が既に整っていた。もちろんカスティージャ伯の手配によるものであろう。

 部隊が近付くと、天幕のひとつから、他でもないカスティージャ伯自身が、傘を手に迎えに出てきた。


「ようこそ。私がゴーチエ・ド・カスティージャです。たいしたもてなしはできませぬが――」


 慇懃に応対する伯へ、総長ジェラールは、馬から降りようともせず、傲然とうなずいてみせた。


「シモーヌの貧しき騎士にして聖域の守護者たるエリゴス修道会……総長ジェラール・ド・モレーである。こたびの協力に感謝する」

「ええ、お噂はかねがね」

「部隊をここに収容し、仮の本陣として使わせていただく。よろしいな?」

「はい」

「また、本陣とは別に、臨時の司令部を設置する。ついては伯爵どの、卿のお館を一時接収させていただくが、よろしいな?」

「ええ、伺っております。いかようにもお使いください」

「なるほど、伯爵どのはまことに信心深いお人のようだ。女神エンリルは、きっと貴家へ篤い祝福を垂れたもうことだろう」


 総長ジェラールは、伯が全ての要求に応じてみせたことで、ようやく満足気な笑みを浮かべた。

 ただちに全部隊に野営を命じ、ジェラール自身は異端審問官ヘルモウを含む側近若干名を連れて、伯の領館へと赴いた。


「ところで伯爵どの。プリカ・ド・カスティージャはどこに?」


 道中、ジェラールが訊ねた。先触れに伯へ差し向けた書簡には、プリカの身柄を預かるとの要求が含まれている。

 無論、本気で異端の疑いを持っているわけではなく、伯の協力をより確実なものとするための人質である。


 ただし、万一、エベッカ村にレダが不在で行方が知れぬ場合、レダに代わる見せしめとして、エベッカ村の住民ともども公開処刑に掛ける手筈を既に整えていた。

 これはヘルモウの献策によるものであり、プリカ自身やカスティージャ伯の意思などは、ジェラールの念頭にない。女神教と教皇国の絶対的威信を保つために、それは必要な犠牲であると信じていた。


 この生贄の人選については、ヘルモウがプリカを名指ししてきたことで決定されたものであるが、ヘルモウにどのような意図があるのか、それはジェラールの関知するところではなく、興味もなかった。

 ジェラールに問われると、伯は、あくまで表面上だけは愛想よく、こう応えた。


「プリカは、北の別邸で静養しております。生まれつき身体が弱く、移動もままなりませぬので……」

「しかし、こちらの要求は」

「もちろん承知しております。このような事情ですので、できますれば、別邸のほうへご足労を願い、プリカの身を保護していただければと考えておりますが」


 伯の提案は道理である。場所が領館であろうと別館であろうと、ようはプリカの身柄を確実に抑えて、監視下に置いておければ、それで問題はないはずだった。


「なるほど。そういうことであれば、私がその別邸へ赴きましょう」


 ヘルモウが横から告げてきた。

 どのみち、ヘルモウは非戦闘員であり、ここから先の道程、必ずしも営中にとどまるべき立場でもない。


 ジェラールはヘルモウの提案を諒解し、護衛四人を付けて、すみやかに北の別邸へと向かわせた。


「やあ、これはよいお屋敷だ。しばらくご厄介になるが、よろしく頼む」


 ヘルモウを送り出し、伯の領館本邸へ入ると、ジェラールは上機嫌で執務室に陣取り、そこを司令部本営として、幹部十数名を周辺に置き、伯の家僕らが騎士たちの食事や入浴などの世話にあたった。

 それらの対応も実に懇切丁寧を極め、ジェラールはこれを伯の真情からのもてなしと信じて、ようやく帯紐を解き、疑いなき目で伯と語らい、食事をともにし、杯を重ね、女神教の深遠なる教義について夜更けまで論議を交わしたりもした。


 伯は、ただ唯々として、あくまで愛想よくジェラールをもてなし続けた。伯がかつて、王宮に仕え、長年に渡って権謀術数渦巻く官界を巧みに泳ぎ抜いてきた老獪な政治家であったことを、ジェラールは詳しく知らない。

 むろん、伯の好意的態度の裏に、いかなる思惑がひそんでいるものか、ジェラールには到底うかがい知ることはできなかった。





 ヘルモウ・バッサーモは、王国の出身ではない。

 もとは王国の東隣に連なる都市国家連合のひとつ、共和国の商家の生まれで、若い頃に出家して地元の女神教会の修道士となった。


 出家から数年後、ヘルモウは信徒を暴行したかどで逮捕された。

 被害者は年端もいかぬ少女で、激しい暴力を振るわれた形跡があった。


 法廷の被告席で、ヘルモウは自らの行為を、こう陳弁した――。


「被害者とされる少女の言動や行動に、異端の匂いを感じ、教会に仕える者として看過できなかった。彼女の罪を懺悔させるために、女神の名のもと、懲罰をほどこしたにすぎない」


 ヘルモウは有罪宣告を受けたが、譴責程度のごく軽い処分で済まされた。

 教会法の規定によれば、誰であれ、異端者を発見した場合は教会へ正式に告発し、教皇国の認可を受けた修道会がその身柄を確保する決まりになっている。


 ヘルモウはそこを無視し、異端の疑いある者へ、私的に懲罰を加えた点を咎められたのである。暴行そのものは罪は問われることはなかった。

 また、被害者の少女は、異端者として捕縛され、地元の修道会によって魔女の認定を受けた後、火刑に処された。


 その後、ヘルモウは地元教会の推薦を受けて教皇国へ赴き、異端審問官の資格を取得して、王国に総本部を置く聖エリゴス騎士修道会の顧問となった。

 王国では数え切れぬほどの異端者を「審問」にかけてきた。


 人間の肉体のあらゆる急所を知り尽くし、弱点を巧みに責め立てて、いかなる相手からでも確実に「自白」を引き出す――この点にかけて、ヘルモウの審問技術は卓越していた。

 教皇国が、わざわざヘルモウを異端審問官としてエリゴスへ派遣したのも、芸術的とまで称される尋問と拷問の手際を見込んでのことであった。


 しかし、そのヘルモウの手腕をもってしても、これまでただ一人、何をどうやっても「自白」を引き出せなかった者がいる。

 レダ・エベッカ。


 それまでヘルモウが手がけた異端者のなかでも最年少の幼児である。

 常識で考えれば、拷問に掛ける必要すら無い相手のはずだが、脅してもすかしても動じず、やむなく拷問にかけたものの、まるで手ごたえがなかった。


 ヘルモウ自ら、その小さな身体にあらゆる暴行虐待を加えてみたが、それでもレダは頑として折れることはなかった。

 結局、半死半生のところまで粘ってみたものの目的は達せず、レダの生命が尽きる前に自供を捏造し、罪状を確定せざるをえなかった。


 そのとき、ヘルモウが感じていたのは――畏怖に近い感情だった。

 いかなる苛烈な拷問にも虐待にも一切の手ごたえを感じさせない幼児など、ヘルモウの目から見ても、常識外の不気味な存在というほかはない。もし再びレダに遭遇したら、ヘルモウは踵を返して逃げ出してしまうかもしれない……。


 逆の見方をするならば、このとき、ヘルモウが異端審問官として長年培ってきた自負心が、レダによってへし折られてしまったともいえる。

 そんな心理が、ヘルモウに新たな生贄を求めさせた。


 レダに奪われた異端審問官としての自信を取り戻すために――なるべく、ひ弱で、容易にいたぶり、嬲りつくせる――そんなヘルモウの歪みきった嗜好に合致する、小さな生贄を。

 ヘルモウが、病弱で知られるカスティージャ伯爵家の孫娘プリカの身柄確保を主張したのは、このような理由による。


 深更、ヘルモウを乗せた馬車は、泥濘の道に轍を描きながら、そのプリカが静養中という別邸へと向かっていた。

 朝から降り続く激しい雨が視界をさえぎっているが、彼方の窪地には、その別邸のものらしき灯火が、闇の中にぼんやり浮かび上がっている。


 目的地は近い……。

 馬車に揺られながら、ヘルモウは、哀れで無力な少女が、泣き叫びつつ必死に許しを請う姿を、ひそかに脳裏に想い描き、ひとり、ほくそ笑んでいた。



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