表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

32/32

32:義勇の尖兵


 王都が時ならぬ建築ラッシュに沸いていた頃。

 真なる女神(エンリル)ことレダ・エベッカは、まだ貴族街の一隅、モランソルニエ侯爵邸に滞在していた。


 レダの配下の神々――神々の座(バビロン)戦神(マルドゥーク)ことポーラ、狩猟神(ニンギルス)ことメイ、雷神(アダド)ことスージーらは、それぞれ勝手に行動を始めている。

 化粧と変装を施して街に出てみたり、郊外に天幕を張ってキャンプしながら武術の修行にいそしんだり、レダの身辺の世話や屋敷の清掃に精を出したりと、みな好き放題に振舞っていた。


 レダはといえば、屋敷にこもって、なにやら地形図など睨みつつ、「使い魔」たる仔ウサギのパイモンを、王都の外へ派遣し、東方の情勢を探らせていた。

 一時、衰弱しきっていた魔神パイモンの霊力は、すでに全盛時に近い状態まで急回復している。あえて仔ウサギ(ボーパルバニー)の肉体を借りずとも、自前の肉体を再構築することが可能だったが――。


「おまえさ、せっかくカワイイ見た目になったんだ。もうしばらく、そのままでいろよ。なあ?」


 と、レダに「お願い」され、遺憾ながら、いまだ仔ウサギの姿のままだった。

 パイモンは「八大魔神」の一柱に数えられる魔界の実力者。とはいえ地上において、魔神の能力は憑依したビーストの肉体限界までしか発揮できない。


 ボーパルバニーに飛行能力などはなく、長距離を高速移動する手段もなかった。他の魔神や神獣との遠隔会話ぐらいは可能だが、それも距離による制限がある。

 ゆえにパイモンは、いまや似た境遇の「仲魔」である魔神ストラスの力を借りて――具体的には、その背に乗せてもらって、ともに東方国境へと赴いたのである。


 ――春日晴天の昼下がり。

 王国の境外、都市国家群の最西辺に位置する、名も知れぬ小村。


 その門楼の上に、巨大なワシミミズクと、その背にしがみつく白い仔ウサギの姿があった。いうまでもなくストラスとパイモンである。

 魔神たちの視界の彼方には、すでに異変が生じていた。


 はるかな街道上。おびただしい人馬の列が、土煙をあげ、慌ただしく進んでいる様子がうかがえる。


「ありゃー。もうこんなところまで迫って来てるんですね」


 甲高い声で呟くパイモン。

 一方、ストラスは、立派な羽角を微風にそよそよ揺らしつつ、じっと街道上の集団を観察していた。


「……あれは、正規の遠征軍ではありません。数だけは多いですが、隊伍も編成もばらばらで、いい加減なものです。装備らしい装備も持ち合わせていません。旗幟も……なんでしょう、あれは。手作りのようです。それもずいぶん粗雑な」

「ははあ。軍隊ではない……すると、あれは」


 パイモンが訊くと、ストラスは、嘴を開いて、ホゥ……と、息を洩らした。


「おそらく、『聖戦』の呼びかけに興奮して、勝手に先走った、都市国家のあぶれ者どもでしょう。実際、これまでの『聖戦』にも、似た先例がありますので。義勇軍とか私設先鋒軍とか、そんな旗印でも掲げて、ここまで進んできたのでしょう」

「それもう、軍隊というより、野盗の大群じゃないですか?」

「そのご理解で間違いありません。ご覧なさい、あの欲望にまみれた獣の顔ぶれを。ざっと見ただけでも、二万人は下りません。ああいうものが、よりによって神の名をふりかざしながら、無辜の民に害をなさんとしている……世も末です」

「ワタクシなんかは、せいぜい面白い見世物ぐらいにしか感じませんけど。あなたのご主人は、ああいうの、嫌ってそうですよねぇ」

「そうですね……あの方にせよ、とくに正義感が強いとかではないようです。ただ、こういうことが起こると、土地が荒れたり人口が減ったりと、国家の運営に支障が生じ、予定や段取りが狂いがちです。ギョーム・ド・ノガレは、そういう状況を極度に嫌う性質(たち)でして」

「ははあ……意外に神経質と」

「政治や国事に関しては。ただ、一個人としては実に大らか……というか大雑把ですが。そうして精神の均衡を保っておられる、ともいえましょう。いまでこそ一国の宰相などやっていますが、あの方の本質は風来坊ですからね」

「ふむふむ。気に入ってるのですね?」

「ええ、それなりに」


 ストラスは、どこか遠くを見るような目で、彼方を眺めやった。


「……なんにせよ、あれには教皇国も騎士団も関与していないようです。放っておいてもよいのですが、一応、報告だけはしておきましょう」

「そうですねー。ワタクシたちは、あくまで傍観者。人間どうしのやりとりに、我々は手出しをすべきじゃないと、ご主人(レダ)様からも言われてますから」

「では、ここでいったん別れましょうか」

「ワタクシは引き続き、この近辺の情報収集を」

「よろしく頼みます。私は急ぎ王都へ戻ります」

「また後日」


 仔ウサギが、ぴょんと巨大ワシミミズクの背から飛び降り、楼上から姿を消す。

 それを見届けると、魔神ストラスは、思索ありげな目を西空へ向け、長大な翼を広げて、ばさりと飛び立った。





 聖女シモーヌを教祖とする女神教において、正規の指導者層とされるのは、いうまでもなく教会所属の僧侶たちである。

 一方、都市国家群の民間には、僧侶以外にも、民衆を導く特殊な存在があった。


 隠者と呼ばれる者たちである。

 教会ばかりか国家にも所属せず、公にはいかなる立場にもついていないが、各地を好き勝手に遊説し、女神の教えを説いて回る、いわば任意の修行僧というべき人々だった。


 大抵は粗末な麻の衣に裸足で、トネリコの杖などついて歩き、一見浮浪者のような風体ながら、その挙措や声音など、なにかしら超俗的な気配を漂わせ、弁舌巧みに愚民を魅了する。

 いずれ出自も定かならぬ辻説法師たちであるが、民衆はおよそ好意的に彼らを迎え入れていた。なかには名の知れた者もいて、どこへ行っても、さながら高僧か聖人のように丁重に敬われてさえいたのである。


 そうした一人、隠者ロベールという人物は、普段から「聖女の敵は必ず討たれねばならぬ。敵を討つに身分階級職業の区別などない。女神を信仰し聖女を敬仰するすべての人々に、その資格があるのである。ゆえに誰もが、いつ何時も、聖なる戦いへの準備を怠るべきではない」と主張してやまなかった。

 先日、ウェズリー臨時公会議において、教皇ウルバヌス三世みずから「聖戦」の召集が宣言されるや、都市国家群はたちまち熱狂渦巻き、――いざ西方へ! という機運は大いに高まったが、実際のところ、「聖戦」に正規の手順で参加しうるのは、王侯や騎士、聖職者など、一定以上の身分のある人々と、それらに雇われている私兵だけである。教皇の呼びかけは、一般の平民にとって、さほど関係のないものであった。


 隠者ロベールは、いまこそ、普段からの信念を実行に移す最高の機会なり、と考えたようである。

 都市国家群の小諸侯のひとり、ミハリヤ公ボーチェという人物が、ロベールに説きつけられた。


「聖戦に先立ち、民間の有志を募り、義勇の尖兵として、教会よりいち早く、西方へ向かうのです」


 ミハリヤ公ボーチェは、以前からロベールを支持し、時折支援もしてきた人物である。ただし世間からの評判はあまり良くはなく、「無産公」などと陰口をきかれていたが……。


「よろしい。私も参加しよう」


 そうして、都市国家ミハリヤ及びその近隣に、隠者ロベールの名をもって呼びかけたところ――。

 たちまち二万を越える平民が群れをなして集結してきた。


 ボーチェは、自身の私兵五百ほどを引率して、行軍に必要な最低限の物資のみを携えさせた。

 最初から、敵地での略奪が目的であるから、補給は都度、現地で行えばよしと――世にも杜撰な計画を立て、編成を行ったのである。


「さあ出発しよう。我らは義勇の尖兵、女神の加護は我らにあり! 聖女様も我らを祝福し守護を垂れたもうこと疑いもなし! 我らの進む先には、勝利と、女神の栄光が待ち受けている!」


 すべての準備がととのうと、隠者ロベールみずから先頭に立ち、こう力強く宣言した。

 かくて、総勢二万人もの「敬虔なる信徒の行列」は、意気揚々ミハリヤを出発し、交易路を西へ西へと向かったのである。


 その後も、行程は順調であった。すでに王国の国境地帯まで、あとわずかに迫っている。

 彼らの行手に待つものは、女神の栄光か、あるいは――。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ