32:義勇の尖兵
王都が時ならぬ建築ラッシュに沸いていた頃。
真なる女神ことレダ・エベッカは、まだ貴族街の一隅、モランソルニエ侯爵邸に滞在していた。
レダの配下の神々――神々の座の戦神ことポーラ、狩猟神ことメイ、雷神ことスージーらは、それぞれ勝手に行動を始めている。
化粧と変装を施して街に出てみたり、郊外に天幕を張ってキャンプしながら武術の修行にいそしんだり、レダの身辺の世話や屋敷の清掃に精を出したりと、みな好き放題に振舞っていた。
レダはといえば、屋敷にこもって、なにやら地形図など睨みつつ、「使い魔」たる仔ウサギのパイモンを、王都の外へ派遣し、東方の情勢を探らせていた。
一時、衰弱しきっていた魔神パイモンの霊力は、すでに全盛時に近い状態まで急回復している。あえて仔ウサギの肉体を借りずとも、自前の肉体を再構築することが可能だったが――。
「おまえさ、せっかくカワイイ見た目になったんだ。もうしばらく、そのままでいろよ。なあ?」
と、レダに「お願い」され、遺憾ながら、いまだ仔ウサギの姿のままだった。
パイモンは「八大魔神」の一柱に数えられる魔界の実力者。とはいえ地上において、魔神の能力は憑依したビーストの肉体限界までしか発揮できない。
ボーパルバニーに飛行能力などはなく、長距離を高速移動する手段もなかった。他の魔神や神獣との遠隔会話ぐらいは可能だが、それも距離による制限がある。
ゆえにパイモンは、いまや似た境遇の「仲魔」である魔神ストラスの力を借りて――具体的には、その背に乗せてもらって、ともに東方国境へと赴いたのである。
――春日晴天の昼下がり。
王国の境外、都市国家群の最西辺に位置する、名も知れぬ小村。
その門楼の上に、巨大なワシミミズクと、その背にしがみつく白い仔ウサギの姿があった。いうまでもなくストラスとパイモンである。
魔神たちの視界の彼方には、すでに異変が生じていた。
はるかな街道上。おびただしい人馬の列が、土煙をあげ、慌ただしく進んでいる様子がうかがえる。
「ありゃー。もうこんなところまで迫って来てるんですね」
甲高い声で呟くパイモン。
一方、ストラスは、立派な羽角を微風にそよそよ揺らしつつ、じっと街道上の集団を観察していた。
「……あれは、正規の遠征軍ではありません。数だけは多いですが、隊伍も編成もばらばらで、いい加減なものです。装備らしい装備も持ち合わせていません。旗幟も……なんでしょう、あれは。手作りのようです。それもずいぶん粗雑な」
「ははあ。軍隊ではない……すると、あれは」
パイモンが訊くと、ストラスは、嘴を開いて、ホゥ……と、息を洩らした。
「おそらく、『聖戦』の呼びかけに興奮して、勝手に先走った、都市国家のあぶれ者どもでしょう。実際、これまでの『聖戦』にも、似た先例がありますので。義勇軍とか私設先鋒軍とか、そんな旗印でも掲げて、ここまで進んできたのでしょう」
「それもう、軍隊というより、野盗の大群じゃないですか?」
「そのご理解で間違いありません。ご覧なさい、あの欲望にまみれた獣の顔ぶれを。ざっと見ただけでも、二万人は下りません。ああいうものが、よりによって神の名をふりかざしながら、無辜の民に害をなさんとしている……世も末です」
「ワタクシなんかは、せいぜい面白い見世物ぐらいにしか感じませんけど。あなたのご主人は、ああいうの、嫌ってそうですよねぇ」
「そうですね……あの方にせよ、とくに正義感が強いとかではないようです。ただ、こういうことが起こると、土地が荒れたり人口が減ったりと、国家の運営に支障が生じ、予定や段取りが狂いがちです。ギョーム・ド・ノガレは、そういう状況を極度に嫌う性質でして」
「ははあ……意外に神経質と」
「政治や国事に関しては。ただ、一個人としては実に大らか……というか大雑把ですが。そうして精神の均衡を保っておられる、ともいえましょう。いまでこそ一国の宰相などやっていますが、あの方の本質は風来坊ですからね」
「ふむふむ。気に入ってるのですね?」
「ええ、それなりに」
ストラスは、どこか遠くを見るような目で、彼方を眺めやった。
「……なんにせよ、あれには教皇国も騎士団も関与していないようです。放っておいてもよいのですが、一応、報告だけはしておきましょう」
「そうですねー。ワタクシたちは、あくまで傍観者。人間どうしのやりとりに、我々は手出しをすべきじゃないと、ご主人様からも言われてますから」
「では、ここでいったん別れましょうか」
「ワタクシは引き続き、この近辺の情報収集を」
「よろしく頼みます。私は急ぎ王都へ戻ります」
「また後日」
仔ウサギが、ぴょんと巨大ワシミミズクの背から飛び降り、楼上から姿を消す。
それを見届けると、魔神ストラスは、思索ありげな目を西空へ向け、長大な翼を広げて、ばさりと飛び立った。
聖女シモーヌを教祖とする女神教において、正規の指導者層とされるのは、いうまでもなく教会所属の僧侶たちである。
一方、都市国家群の民間には、僧侶以外にも、民衆を導く特殊な存在があった。
隠者と呼ばれる者たちである。
教会ばかりか国家にも所属せず、公にはいかなる立場にもついていないが、各地を好き勝手に遊説し、女神の教えを説いて回る、いわば任意の修行僧というべき人々だった。
大抵は粗末な麻の衣に裸足で、トネリコの杖などついて歩き、一見浮浪者のような風体ながら、その挙措や声音など、なにかしら超俗的な気配を漂わせ、弁舌巧みに愚民を魅了する。
いずれ出自も定かならぬ辻説法師たちであるが、民衆はおよそ好意的に彼らを迎え入れていた。なかには名の知れた者もいて、どこへ行っても、さながら高僧か聖人のように丁重に敬われてさえいたのである。
そうした一人、隠者ロベールという人物は、普段から「聖女の敵は必ず討たれねばならぬ。敵を討つに身分階級職業の区別などない。女神を信仰し聖女を敬仰するすべての人々に、その資格があるのである。ゆえに誰もが、いつ何時も、聖なる戦いへの準備を怠るべきではない」と主張してやまなかった。
先日、ウェズリー臨時公会議において、教皇ウルバヌス三世みずから「聖戦」の召集が宣言されるや、都市国家群はたちまち熱狂渦巻き、――いざ西方へ! という機運は大いに高まったが、実際のところ、「聖戦」に正規の手順で参加しうるのは、王侯や騎士、聖職者など、一定以上の身分のある人々と、それらに雇われている私兵だけである。教皇の呼びかけは、一般の平民にとって、さほど関係のないものであった。
隠者ロベールは、いまこそ、普段からの信念を実行に移す最高の機会なり、と考えたようである。
都市国家群の小諸侯のひとり、ミハリヤ公ボーチェという人物が、ロベールに説きつけられた。
「聖戦に先立ち、民間の有志を募り、義勇の尖兵として、教会よりいち早く、西方へ向かうのです」
ミハリヤ公ボーチェは、以前からロベールを支持し、時折支援もしてきた人物である。ただし世間からの評判はあまり良くはなく、「無産公」などと陰口をきかれていたが……。
「よろしい。私も参加しよう」
そうして、都市国家ミハリヤ及びその近隣に、隠者ロベールの名をもって呼びかけたところ――。
たちまち二万を越える平民が群れをなして集結してきた。
ボーチェは、自身の私兵五百ほどを引率して、行軍に必要な最低限の物資のみを携えさせた。
最初から、敵地での略奪が目的であるから、補給は都度、現地で行えばよしと――世にも杜撰な計画を立て、編成を行ったのである。
「さあ出発しよう。我らは義勇の尖兵、女神の加護は我らにあり! 聖女様も我らを祝福し守護を垂れたもうこと疑いもなし! 我らの進む先には、勝利と、女神の栄光が待ち受けている!」
すべての準備がととのうと、隠者ロベールみずから先頭に立ち、こう力強く宣言した。
かくて、総勢二万人もの「敬虔なる信徒の行列」は、意気揚々ミハリヤを出発し、交易路を西へ西へと向かったのである。
その後も、行程は順調であった。すでに王国の国境地帯まで、あとわずかに迫っている。
彼らの行手に待つものは、女神の栄光か、あるいは――。
 




