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03:最後の慈悲を与えられたし



 王国辺境、小集落エベッカ。

 山脈の懐深く、大小の丘陵がうねりを描いて輻輳する盆地帯の一隅。


 南方は峨々たる険峻が壁のように連なり、東には山腹から流れる渓水が滔々と巡り、杉林に囲まれた茶色い田野に藁葺きの屋根が点在している。

 遠く見やれば秋日早暁、淡い陽光のもと、牛の仔を引く人影が、どこへやら、ゆっくりと歩いてゆく。


 その風光明媚な片田舎に、突如、まるで場違いな禍々しい巨影が、音もなく、降り立ってきた。

 集落の集会所となっている空き地。


 そこへ、なんの前触れもなく舞い降りてきた怪鳥アンズーの姿に、まず近くで見ていた里長の幼い息子たちが仰天して、家へ転び込んだ。

 息子らの訴えを聞いた里長が、慌てて空き地へ駆けつけると――。


 ちょうど赤いドレスに黒い三角帽子のレダが、アンズーの背から軽やかに飛び降りて、見事に着地したところだった。

 そのまま両足を張り、しっかと黒ブーツで土を踏みつけ、輝く金髪をなびかせながら、腰に両手をあてて、ぐっと胸をそらしてみせる。


「よっ、じっちゃん。いま帰ったぞ!」


 不敵に微笑みつつ、元気よく挨拶するレダ。

 老いた里長は、腰を抜かさんばかり驚きをあらわにした。


「レダ……! おまえ、無事だったのか? そのでっかい鳥は一体……」


 騒ぎを聞きつけ、里人たちが四方から集まってきた。

 彼らはまず一様にアンズーの巨体に度肝を抜かれ、さらにレダの姿に、白昼に幽霊でも見たような驚愕の目を向けた。


「レダ? 本当にレダなのかい?」

「魔女狩りにあったって聞いたけど、釈放されたのかい?」

「レダ、身体は大丈夫なのかい? なんにせよ無事でよかった!」

「元気そうじゃないか! みんな、ずっと心配してたんだぞ!」

「その格好は? もしかして都会じゃ、そういうのが流行ってるの?」

「ねえ、そのすごく大きいカラスは何なの? 襲ってきたりしない?」


 一度に囲まれ、わっと声を浴びせられて、レダは辟易しつつも、ちょっと満更でもなさそうな顔つきを浮かべた。

 レダが「この肉体で」物心ついて以来の、よく見知った顔ぶれ。


 二十戸ばかりの山里。みな純朴な田舎者で、底抜けのお人好しばかり。

 レダは、彼らが気に入っていた。生まれつき病弱だったレダは、この里人たちに大切に養われて生命を繋ぎ、かろうじて「魂の記憶」を取り戻せたのである。

 もし彼らの手厚い保護がなければ、レダは生まれてまもなく死んでいたかもしれない。彼らには、返しても返しきれないほどの恩義がある、とレダは思っている。


 だからこそ、レダはここへ舞い戻ってきた。

 その目的は――。


「そういっぺんに質問すんなよ。まず、このカラスは、アタシの……ええと、使い魔……そう、使い魔だ。なんせアタシは、魔女だからな。使い魔の一匹や二匹、連れてなきゃおかしいだろ?」


 レダの返答に、一同、軽くざわめいた。


「ええっ? レダちゃん、本当に魔女だったの?」

「おい、どういうことだよ。魔女ってすごく悪い奴で……」

「いやいや、レダが悪い奴なわけないだろ。こんなちっこいのに」

「魔女にも色んなのがいるってこと?」

「良いやつも悪いやつもいるって」

「そもそも、魔女って何?」

「ほら、昔、行商人のおやじが言ってただろ。魔法が使える女のことだよ」

「あれっておとぎ話じゃないの? 巡回司祭さまは、異端の女のことだって……」

「異端って何だ?」

「じゃあ、この目の前の化物カラスはどう説明するんだよ」


 口々に言いたい放題の里人たちへ、アンズーがひょいと首をもたげ、何か言いたげに金色の両眼を向ける。それを横からレダがたしなめた。


「アンズー、おとなしくしてろ。話がややこしくなるから」


 言われて、アンズーは、まるで鳩がよくやるように、ぐぐっと首をひっこめてみせた。そのユーモラスな様子に、みな期せずして感嘆の声を洩らす。


「おおっ。ちゃんとレダの言うこと聞くんだな」

「アンズーって名前? 図体は大きいけど、よく見ると、ちょっと可愛いかも」

「ねえねえ、こんなに大きいんなら、背中に乗れるんじゃないの?」

「それより、そのドレスや帽子は――」


 そうして、またも質問攻めになりかけたとき――。

 ふと、遠くから呼ばわる声と、けたたましい足音がきこえて、レダも里人たちも、一斉にそちらへ振り向いた。


「レダ! レダ! そこにいるのかー!」

「レダちゃあぁーん!」


 見れば、彼方から土を蹴立て、声の限り喚きながら駆け寄ってくる二つの人影。

 レダの両親であった。


 父親は、農夫にはやや似あわしからぬ細身小柄な青年。

 母親は、日焼け肌で、がっしりとした体格の長身の女性。


 いわゆる、蚤の夫婦――という組み合わせで、いずれもごく若い。里人の誰かが、レダの帰還を知らせたのだろう。

 二人とも、顔をくしゃくしゃにしながら、レダのもとへ飛び込んできた。


「ああ、ああ、生きてる! レダ、おまえ、いったいどうなって」

「レダちゃん、身体は、怪我はしてないかい、怖くなかったかい、もっと顔をよく見せて――ああ元気そうで……よかった……!」


 若い夫婦は、左右からレダを抱きすくめて、歓喜のあまり、人も世もなく、声をあげて号泣した。


「とーちゃん。かーちゃん。その……心配、かけちまったな」


 夫婦の腕にしっかと抱きとめられながら、レダが申し訳なさげに呟くと、二人はぶんぶん顔を振って、涙に濡れた頬に笑みを浮かべた。


「なに言ってるんだい。レダちゃん、帰ってきてくれて……、本当に良かったよ……!」


 と母親がいえば、父親も大きくうなずいた。


「おまえさえ元気でいてくれれば、それでいいんだ。一緒に帰ろう。家に……」


 そう言いながら、また感きわまったように、夫婦はレダを擁して、むせび泣きに泣いた。

 知らず、レダの目からも、涙が溢れ出している。


 そんな親子の姿に、里人たちも、みな泣いた。






 ひとしきり親子の再会を済ませ、ほっとひと息ついたところで、両親はようやくアンズーの存在に気付き、今更ながら驚声をあげた。


「使い魔だよ。アタシはこいつに乗って帰ってきたんだ。噛みつきゃしないから、心配はいらない」


 と、レダから説明を受けると、なぜか、両親はあっさり納得した様子だった。


「そうかぁー。使い魔か。こんな大きいカラスに乗れるなんて。さすがはレダだ」

「うん、使い魔って、よくわかんないけど、べつに何も不思議はないか。だってレダちゃんだし」


 そんな若夫婦の感想に、里人たちも一様にうなずいている。こいつら普段、自分のことをどういう風に見てたのか……内心ほんの少し不安になるレダだった。

 ……かくして、レダを取り巻く故郷の人々は、その両親まで含めて、「魔女」として帰還したレダを、以前と変わらず、温かく迎え入れた。


 このような、お人好しばかりの、善良で能天気な人々だからこそ――。

 いまにも迫りつつある悪意から、彼らを守らねばならない。


 そのために、レダは帰ってきたのである。






 王国は、大陸の西南一帯に広大な版図を擁する、富強の大国である。

 国土の東端は、教皇国を擁する都市国家群と境を接して、その諸国とは長年、良好な関係を保っていた。


 相互の交易、文物の往来も頻繁で、とくに、女神教の総本山たる教皇国とはきわめて密接な関係にある。

 もとより女神教は王国の国教であり、王国内の諸教会は、ほぼ例外なく教皇国から派遣された高位聖職者が要職についていた。


 また王国の北は海に接し、その彼方には諸島連合という大国が存在している。

 王国とは様々な海上利権を巡って対立関係にあるものの、女神教の強い影響下にある点では王国と変わりなく、政治的な相克はあれども、宗教的には、むしろ両国は強固に結びつき、民間交流も盛んに行なわれていた。


 王国の東方にある都市国家群から、さらに東へ目を移せば、大陸最大規模の国家、すわわち古帝国がひかえている。

 古帝国は女神教の影響下になく、惑星と星座を神格化した多神教国家である。


 その版図は大陸のほぼ東半分を占め、一見、西方の諸国とは比較にならない広大な国土を擁していた。

 ただ領域の大半が険しい山岳に覆われており、厳しい気候もあいまって土地の開発は進まず、農業生産力は乏しく、人口密度も低い。


 貧しさと広さのゆえに内紛が生じやすい土地柄でもあり、国内は統制を欠き、政治的にも混乱が続いている。

 それらの事情から、西方諸国いずれも、古帝国を脅威とはみなしていない。


 遠い過去に数度、教皇国の提唱による「聖戦」が実施され、西方諸国の正規軍と騎士団の連合軍が古帝国へ侵攻した例などもあるが――。

 この土地の険阻は西方人の想像を超えるものがあり、わずかに国境付近の異教徒の都市を踏み荒らす程度の成果しか収められていない。


 近年では、東西の干渉はほぼ絶えており、ことに王国とは距離もあるため、入ってくる情報は少なかった。

 現今、西方の人々からはせいぜい、遠い異教徒の国――という程度の認識しか持たれていない。


 一方、国土の面積だけでいえば古帝国に及ばぬにせよ、なんといっても王国は大陸随一の繁栄を謳歌する天府の地であり、それを支える富饒と文化的洗練は王国人の誇りである。

 その中心地たる王都は人口二百万、空に映える蜃気楼のごとき白亜の大建築を連ねた壮麗な景観と、成熟した都市文化の絢爛たる装飾に彩られている。


 目に綾なす五色の石畳の街路、行き交う車蓋と白馬金鞍の列。綺羅を重ねて練り歩く人々の醸す花のよどむような雑踏、その殷賑ぶりは、虹の都と呼ばれるに相応しい栄華の象徴であった。

 王都中央を仰ぎ見れば、王城たるベシュアル宮殿の規模壮大な尖塔群。その西壁沿いには、アレーシ河の青い流れが、ゆるやかなカーブを描き、中央から市内の運河へ、七つの反り橋を負って、おだやかに水を巡らせてゆく。


 この運河の畔に、石造りの塀と角塔を備えた城砦が悠然と佇んでいる。

 もとは王宮防衛の要として建築され、王国軍が駐屯していた場所だが、およそ二四〇年前、教皇国の認可を受けて新たに結成されたばかりの聖エリゴス騎士修道会が、当時の王室からこの砦の寄進を受け、総本部として使用するようになった。


 そのため、王都市民からは、バルドー砦という正式名称より、エリゴス塔――という通称のほうでよく知られている。

 そのエリゴス塔の最上階に、聖エリゴス騎士修道会総長ジェラール・ド・モレーの執務室があった。


「資料は、これで全てかね?」


 執務卓に積まれた紙束を前にして、その総長ジェラールが、室内に居並ぶ黒衣の修道士らへ、確認を促した。年齢は四十歳過ぎ、精悍な顔つきに、ふさふさと真っ黒い髭をたくわえた中年男性である。

 修道士のひとりが答えた。


「今回の事件の概要および詳細について、現時点で提出可能な報告資料は、それで全てとなります。ただし、レダ・エベッカの関連調査は継続して行なっておりますので、すぐに追加の――」

「いや」


 ジェラールは首を振り、修道士の言葉を遮って告げた。


「それはもう打ち切っていい。現場にはそう伝達しろ」

「は、ですが……」

「ついさきほど、教皇国から正式な要望が届いた。聖エリゴス騎士修道会の総力を挙げて、魔女レダの追討を実施されたし。同時に、レダの親類知人与類ことごとく、女神の御名のもと、最後の慈悲を与えられたし……とな」


 ジェラールの通告に、居並ぶ修道士たちは、一様に表情を引き締めた。


「では、閣下。エベッカ村へ?」

「そうだ。準備が整い次第、我らは可及的すみやかにエベッカ村へ赴く。いま動かせる全ての兵力を、ここにかき集めろ」


 ジェラールは席を蹴って立ち上がり、おごそかに指示を下した。

 最後の慈悲……すなわち、女神の名の下に、エベッカ村を蹂躙すべく。


 西方最精鋭の騎士修道会が、ここに動き出す。



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