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26:すべて女神の思し召し


 王都上空における「神々の戦い」と「女神(エンリル)の鉄槌」は、王都の人心を、ある方向へと収攬する結果となったが、それと同時に、物理的に少なからぬ被害をもたらしていた。

 市街地においては、アレーシ河の北岸、十二箇所の女神教会関連の施設とその周辺区画で火災が発生し、それらの主要な教会建築物は、あらかた焼け落ちている。


 その際、政府の避難指示に従わず、そうした区画に居残っていたおよそ千人前後の教会関係者は全員焼死した。モン・サン・レザント大修道院長エマール・ド・ボーヌ、ノースダラム修道会長ピエール・アミアンなど、王国内における女神教の幹部聖職者たちも、それら焼死者リストに名を連ねている。ことに王国管区大司教ロベール・ド・ミシェルとその直下の一団に至っては、聖堂が焼け落ちる直前に慌てて脱出をはかった形跡があり、結局全員逃げ遅れていた。

 王国における旧女神教の最高位聖職者が、王権に逆らって拠点に居直りながら、いざとなれば殉教の覚悟も無く逃亡をはかるという醜態ぶりは、後々まで語り草とされ、結果として王都の民心は旧女神教会から急速に離れ去ることとなる。


 王都にあって、最も激甚な損害を被ったのは、他ならぬ王宮、ベシュアル大宮殿がそびえる中枢区画だった。

 王国政治の要にして権威の象徴たる宮殿主閣、前棟、後宮、尖塔、四方の庭園などの建造物すべて、さながら見えざる巨大な手で押しつぶされたかのように、跡形もなく圧壊している。


 ところが意外なことに、貴族街を含むほとんどの居住区には、さほど大きな被害は見られなかった。


「……つまるところ、世俗と教会、それら旧勢力の象徴のみを消し去り、そのうえに新たな秩序を打ち樹てんと……これすべて、女神(エンリル)様の深き思し召しによるところであります」


 女神暦一三○八年二月三日午後。すなわち「神々の戦い」当日の夕刻――。

 王国宰相ギョーム・ド・ノガレは、王都全域の避難指示を解除し、外城門を開放して、市民に帰宅を促すとともに、王都に居住する全市民、貴族、王侯、生き残った女神教関係者らへ、次のような呼びかけを大々的に行った。


「あなた方は、今日その目で見た出来事、その肌で感じたことを、決して忘れてはなりません。それこそ女神(エンリル)様が、あなたがたへ降ろされた聖なる啓示なのです。すでに旧王宮は崩壊し、長年われらを誑かした邪教の巣窟は焼き払われました。今後、わが国は、真なる女神(エンリル)様であられるレダ・エベッカ様のもと、従来の権力と宗教にまつわる、あらゆる旧弊を捨て去り、体制を刷新し、生まれ変わらねばなりません。今日がその更生の第一日目となるのです。……民よ、怖れることはありません。レダ様は、その広大無辺なる慈悲の心によって、あなた方の罪をすべて赦し、それどころか、あなた方をレダ様の民として快く受け入れるとまで仰せられました。それゆえ、あなたがたが懸念なく日常へと復帰し、一日も早く、元通りの暮らしを送れるようになることが肝要です。そうなるよう、我々は、あなた方へのあらゆる生活上の手助けを惜しみません。すべては、真なる女神(エンリル)様であられる御方、レダ様の思し召しのままに……」


 かくて王都は、ギョーム・ド・ノガレの掌握下にて、レダを真なる女神として奉戴する――「真女神教」を軸とする新秩序の構築へと邁進することになる。






 奉戴される側たるレダの方では。


「なんでもかんでもアタシの思し召しにするんじゃねえ」


 ……と、甚だご機嫌斜めであった。


「そりゃ、戦神(マルドゥーク)……ポーラの火を、全部そういう区画のほうに受け流して、火事になるよう仕向けたのはアタシだけどな。だが、そんな先のことまでいちいち考えてたわけじゃねーよ。アイツら、殉教したがってるようだったから、物のついでに火葬してやっただけさ。いつぞやの火炙りの返礼も兼ねてな」

「ええ。そのお陰で、長年、王都に溜まりに溜まっていた澱みを、まとめて浄化していただけました。これで今後の仕事も捗るというものですよ」


 ノガレは、白皙の美貌に笑みを浮かべて、レダの声を平然と受け止めた。

 王都の騒動から一夜明けた早朝。


 現在、レダをはじめとする神々の座(バビロン)に連なる女神たちは、ノガレの請いに応じて、王都郊外へ移動し、モランソルニエ侯爵の所有する邸宅に滞在していた。

 レダとしても、食事や休息のために落ち着ける場所が必要だったし、他の大神たちも少なからず疲労している。ノガレの提案を断る理由はなかった。


 家主のモランソルニエ候爵は、いわゆるノガレ派の大貴族であるため、嬉々として邸宅をノガレに預け、「私めなどが女神(エンリル)様と同席など、あまりに畏れ多く」と、かえって恐懼の態で、一部の使用人らを残して、貴族街の別邸のほうへ引き上げてしまった。

 一夜、侯爵邸にて休息を取り、ノガレが用意した朝食の席にて、女神たちは再び一同に会した。ノガレを含む五名で卓を囲み、白パン、茹で卵、根菜のスープなどに舌鼓を打ちながら、昨日の顛末などこもごも語り合い、情報を交換した。


「……でもな、王宮がぺしゃんこになったのは、アタシのせいじゃねーぞ。そこにいるメイが、加減もせずに力を振り回した結果だからな」

「ふん。いちいち地上の事情なぞ考慮しておる余裕は、(わらわ)にはなかったからの」


 狩猟神(ニンギルス)ことメイは、なぜか鼻を鳴らして胸を張ってみせた。肉体は九歳、金髪碧眼の小柄な少女で、いまは侯爵邸のクローゼットから勝手に拝借したコルセを、もと王族らしく、ゆったり典雅に着こなしている。


「なんせ、地上では女神(エンリル)様も弱くなっておるはず、いまなら女神(エンリル)様を殴り飛ばせるかもしれんと、それはもう、身も心も逸りきっておったからの。結局、また負けてしもうたが」

「ほんっと、相変わらずだなオマエ。あと、レダと呼べつってんだろーが」

「ああ、地上にいる間は、そうするという話であったな。レダ様……か。ううむ、どうもまだ慣れん」

「そうかぁ? 女神(エンリル)より、よっぽど言いやすいと思うけどな。レダ様。名前だけじゃなく、見ためもすっげーカワイイよな。こーんな、ちっこくなっちゃってさ。なのに、こんな見ためでも、やっぱりメチャクチャ強いんだもんなぁ」


 横から、戦神(マルドゥーク)ことポーラが笑いかける。外見は十七歳の娘で、肉体だけなら、ここにいる大神のなかで最年長の容姿である。メイと同じく、勝手に邸内のクローゼットを漁り、ウールのワンピースを見繕って着込んでいる。

 レダは、わずかに眉をひそめた。


「アタシらにとって肉体など所詮、器にすぎんが……地上では制約が多すぎて、色々と肉体に引っ張られるんだよな。こうも小さい身体じゃ、不便で仕方ねえよ」

「それも数年のご辛抱です。すぐ大きくなられますから」


 嘆息を洩らすレダへ、銀のティーポットを手に、慰め顔で声をかけるのは、メイド姿の黒目黒髪の少女……雷神(アダド)ことスージー。年齢は八歳と、レダに次いで肉体年齢は幼いが、顔だちや立居振る舞いは洗練されており、同年代のメイよりも、どこか大人びて見える。

 着ているメイド服は、侯爵邸の洗い場に干されてあったものを無断拝借し、勝手に寸法まで仕立て直したものである。


「で、オマエはなんでメイド服なんだよ」

「私は、レダ様の家臣にして下僕ですから。この格好も、レダ様への忠誠のしるしです。似合っていますか」


 レダの問いに、それが当然、といわぬばかりにスージーは応えた。そうした声や面持ちには、あまり感情がこもっておらず、どこか人形めいた印象も受けるが、レダに対する口調だけは丁寧、かつ饒舌ですらある。


「よく似合ってるがな、アタシはおまえを下僕なんかにしたおぼえは無いって、何度も言ってるだろーが」

「私が勝手にそう決めて、やってることですから。あなた様には恩義があります。それをお返しするまで、私はあなた様にお仕えするのです」

「……勝手にしろ」


 レダは、諦め顔で息をつき、スージーの淹れたハーブ茶を啜った。


「さて、皆様。今後のことなのですが……まずひとつ、お耳に入れておいていただきたいことがありまして」


 やがて、女神たちが互いの状況をひとしきり語り終えたところで、ノガレがあらためて、新たな情報を披露した。


「近頃、都市国家群のほうで、大きな動きがあったようです。教皇みずから、聖カダマスク騎士団を軸とする新たな聖戦を呼びかけたとか」


 ほう、と、女神たちは、一斉にノガレを注視した。


「彼らは、王国の宗教的救済を目標として掲げています。……近々、この王都めがけて押し寄せてくるでしょう。動員兵力についてはまだわかりませんが、まず十万は下らないでしょうね」

「事実なら、少し面倒なことになるだろうが……確かなのか?」


 レダが訊くと、ノガレはうなずきつつ、窓のほうを振り仰いだ。


「そこにいる()()から、詳しく聞かせていただきました。……すでに正気は保っていませんので、これからご質問なされても、何も答えられないでしょうが」


 窓の桟には、一羽の黒い小鴉が佇んでいた。微動だにせず、ただ静かに、女神たちへ視線を向けている。

 時折、その赤い両目だけが、きょときょと動いており、剥製などではなく、一応、生き物であるらしいとはうかがえる。


「あー、さっきから、気にはなってたんだが……なんなんだ、あれ? 普通の鳥じゃないし、ビーストでもないよな」


 ポーラの問いかけに、ノガレは涼やかな微笑とともに応えた。


「つい昨日、こちらで捕獲した、シモーヌの密偵です。どうも、あなた様方を追って、この王都まで来たようですね」

「シモーヌの手の者だと?」

「ええ。異界(ヘリオポリス)の神々の一柱、セシャト……知識と記録を司る女神。その、なれの果ての姿ですよ」


 ノガレは平然と告げた。





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