24:神々、集う
王都上空。
熾烈な閃光と焦熱、暴風と氷壁のぶつかりあいは、なお続いている。
とはいえ、レダのほうからは、まだほとんど手出しをしていない。暴れ狂う大神たちの攻撃を、ただ涼しい顔して受け止め、受け流しているだけだった。
『色々と制限があるとはいえ……おまえたち、地上ではこんなものか? それとも、まだ力を出しきれない理由でもあるのか』
レダが、やや物足りなさげな顔して問いかけると、狩猟神――つい先ごろまで、都市国家ブライアの姫君メイ・ブライアであった少女。しかしてその中身は、双頭の鷲を従える、狩猟と闘争の女神――が、苦笑を浮かべた。
『妾は、いま出せる全力を出しきっておる。おぬしが化け物すぎるのだ』
『だな……このわたしが、こんだけ燃やしまくって、小揺るぎもしねえ。本当に、なんなんだよアンタは』
戦神が、なおも銀の鉾を振るいつつ、狩猟神に同意してみせた。これまでの十七年間、アステル公国の商家の娘、ポーラ・スタンレーとして生きてきた。その身に宿る「魂の記憶」が目覚め、随獣たる邪龍ムシュフシュを呼び出せるようになったのは、つい昨日のことである。
『そうか。なら、おまえたち、もう気が済んだろう。そろそろ――』
レダは、障壁を解除しつつ、左右から叩きつけられる炎と衝撃の奔流を、うるさげに手を振り、軽々払いのけた。
『終わりとするか』
言いつつ、右の拳を握りしめ、天へ差し上げる。
遥か上空に、まばゆい白い輝きが生じた。
陽光にきらめく真珠にも似た白光をまとう、ベシュアル王宮の主塔よりも太く長い、見るからに巨大な――「輝く腕」が、二柱の大神らの頭上に浮かび上がった。
二柱が異変に気付き、顔を上げたときには、すでに「輝く腕」の巨拳は、流星より速く、霹靂より力強く振り下ろされていた。
『お仕置きぃー!』
轟き渡るレダの神声とともに、とてつもなく大きな拳骨が、戦神と狩猟神の脳天に直撃し、そのまま二柱と、二体の随獣まで、ひとまとめに地表へ――アレーシ河の畔に立つ石造建築物へと、豪快に叩きつけられた。
そこはエリゴス塔……つい先日まで、聖エリゴス騎士団の総本部として、王都の一角にそびえ立っていた城砦である。
レダの一撃により、歴史と伝統を誇った石造の主塔も、絢爛たる聖堂の大伽藍も、堅固なる石壁防塁も、すべて文字通り跡形も無く、二柱の神々ごと、徹底的に粉砕された。
激しい衝撃が、おびただしい土砂と破片を天へと巻き上げ、盛大な土煙が朦々と晴れ空に立ちのぼった。「お仕置き」の余波は、なおしばし市街を震わせ、なかなか止まない。
エリゴス塔がそびえていた一帯は、いかなる人工物の痕跡も残っていない。隕石でも落ちたかのように、あたりは無残に陥没し、巨大な穴が穿たれていた。
その大穴の中心に、戦神と狩猟神、彼女らの随獣たる邪龍ムシュフシュと双頭の鷲が、ほとんど原型をとどめぬ姿で横たわっている。頭も四肢も胴体もぐしゃぐしゃに圧潰し、さながら一塊の挽き肉のごとき有様だった。
「うわー……ご主人様、相変わらず、容赦ありませんわー……」
王都外城の望楼から、それらの惨状を眺めつつ呟いたのは、仔ウサギの魔神パイモン。レダの指図で魔神ストラスと合流し、ともに外城の門楼へあがって見物していたのである。
「これは……噂には聞いておりましたが、これほど苛烈なものとは……」
ストラスも、やや呆然たる様子で、小さな嘴を、ぽかんと開いている。
神々の座の女王、主神の「お仕置き」――いかに強力な大神でも決して抗えない、三界最強の女神の超特大の拳骨である。
「あの方々、あれでまだ生きておられるのでしょうか……?」
ストラスが訊くと、パイモンはうなずいた。
「大神方や神獣は、あれしきでは死にませんよ。そりゃ、死ぬほど痛いでしょうけどね……」
そうパイモンが応える間にも大穴の底の血溜まりの中で、赤黒い肉塊がもぞもぞと蠢き、びしゃびしゃと水音をたてながら、次第次第に、もとの姿へと復元再生を始めていた。
「なんというか……ううむ」
ストラスは、情景のおぞましさに、目を逸らしてしまった。一方パイモンは平然としている。
「ワタクシ、魔界でも地上でも、あの『お仕置き』を何度も食らって、いまの大神方と同じ状況を経験しておりますので。ええ。それはもう、痛いなんてものではありません。いっそ殺してほしいと思うほど……」
「あ、あれを、何度も……? どんな修羅場ですか、それは」
「いやー、それでもワタクシに対しては、ずいぶん手加減してくだすってたと、いまの一撃を見て思いましたけど。あんな威力をまともに受けたら、ワタクシなんて辺獄送りどころか、霊基まで粉砕されて、その場で完全消滅してるでしょうから」
パイモンは、長耳を震わせながら、あらためて、上空に浮かぶ四枚翼の怪鳥と、その背に立つ赤いドレスの自称魔女……神々の座の主たる、小さな女神の姿を、畏怖を込めて見上げた。
レダの特大の一撃は、直接それを受けた大神たちのみならず、目撃者となった人間たちや魔神たちの魂にまで、ひとつの厳然たる訓戒を、はっきりと刻み付けた。
――主神に逆らうべからず、と。
レダは、新たな「神格」の接近に気付き、遥か東の空へ目を向けた。
小さな黒点のように碧空に浮かぶ影が、レダのもとへ浮遊してくる。
敵意は感じない――むしろ、やや離れた場所にいて、状況を観察し、事が済むまでおとなしく待っていた様子である。
『主神様、おひさしゅう……』
控えめな神声を投げかけつつ、悠々と陽光を浴び、近寄ってきたのは、象ほどもある巨大な黄金の牡牛……その背に佇む、白い修道服の少女。年の頃八、九歳ぐらいで、黒目黒髪という、西方ではまず見かけない、東方人寄りの容姿をしている。
レダは、アンズーの背の上で、鷹揚にうなずいてみせた。
『雷神。おまえも無事に、こちらに来てたんだな』
『はい。遅れまして、申し訳ありません』
『気にするな。おまえは、アタシとやりあう気はなさそうだな』
『あたしはずっと、主神様の忠実な家臣ですので』
『勝手にそう名乗ってるだけだろーが。アタシは、そんなの認めたおぼえはないぞ……いや、今はそれはいい。それより、なんで、おまえがグガランナに乗ってるんだ』
グガランナとは、いま雷神と呼ばれた少女が乗ってきた、黄金の牡牛のことである。怪鳥アンズー、邪龍ムシュフシュらと同格とされる神々の座の神獣だが、本来、主は雷神ではなく、別の持ち主がいる。
『なにか適当に乗り物をと思って、冥界のゲートを開いたら、降ってきました』
『降ってきたって……』
レダは、やや呆れたような顔を、雷神に向けた。その肉体は、先日まで城砦都市ミネアの孤児スージー・オズボーンを名乗り、猟奇殺人を繰り返していた少女である。いま彼女が着ている修道服も、かつて暮らしていた孤児院の制服であった。
そのスージーは、淡々と応えた。
『あたし、昔から、牛には好かれてますから、たぶんそれで、わざわざ来てくれたんだと思います』
『それ、太母神が聞いたら怒るぞ、たぶん……』
『そのときはそのときです。悔しかったらここまで追いかけてくればよいのです。どうせ来れないでしょうけど』
『相変わらずだな、おまえも』
ため息をつくレダ。
『そういう主神様は、随分と、小さくなられましたね』
『……言われてると思ってたよ。いいんだ、これから成長するんだよ。それとな、いまのアタシは、エベッカ村のレダだ。今後はそう呼べ』
『はい。でしたら、あたしも、スージーと名乗ったほうがいいですか』
問われて、レダはうなずいた。
『ああ。こっちじゃ、雷神はそんな名前か。もちろん、それでいいと思うぞ。ってことは、あいつらも――』
レダは、顔を地表へ向けた。
大穴の底で、早くも肉体の再生を終えた戦神と狩猟神が、それぞれ随獣のそばにかがみこみ、レダを仰ぎ見ている。両者とも衣服や装飾品などはきれいに消し飛んで、すっかり裸になっていた。
『ったぁー……久々のゲンコツ、効いたぜ。ったくよ、ちっとは加減しやがれってんだよ。まだ頭がグラグラするぜ』
戦神が、レダへ向かって不満げな神声を放つ。
『いまの、聞こえてたぜ。ポーラってのが、こっちでの名前さ。これはこれで、けっこう気に入ってんだ』
『おぬし、まだまだ元気そうだな……』
一方、狩猟神は、心底疲れきったような顔で戦神ことポーラを一瞥し、あらためて空を振り仰いだ。
『妾はメイ・ブライア……ブライアの王女をやっておったが、国許を追い出されてしまったのでな。いまでは、ただのメイである』
『ポーラに、メイ……ね。またなんとも、可愛らしい名前だな』
レダは、楽しげにうなずきつつ、スージーとグガランナを引き連れ、アンズーを降下させた。
二柱のもとへアンズーを着地させると、レダはおもむろに大穴の中心へと降り立った。
『で? おまえら、まだアタシとやるか?』
レダの問いかけに、二柱は揃って首を振った。
『主神様に、敬意を――』
『随身を誓います、主神様』
それぞれに誓言を立て、神々の座の大神たる二柱は、あらためてレダの足下に拝跪した。
……かくして、地上においても、レダは大神たちの主として君臨することになったのである。




