22:反抗の魔女たち
教皇国、大宮殿。
その奥の院たる白塔の最上階は、大天主、聖女シモーヌの私室となっている。
午後。そのシモーヌは、ひとりハーブ茶のカップを手に、窓のほうへ物憂げな眼差しを向けていた。
「……増えましたか。面倒事が」
窓の桟には、黒い小鴉が一羽、ちょこんと止まっている。
シモーヌの呟く声に小鴉が反応し、軽く首をかしげる仕草をした。
「はぁ。せっかく、ウルくんが頑張って、戦争の準備をしてるところに……。ウルくん、かわいそうに。今更、戦争やめた、なんて言えないだろうし……」
カップをテーブルに置き、ゆったりと立ち上がる。
「ウルくん、これ聞いたら、とても困っちゃうだろうな。でも伝えないわけにもいかないわね」
窓のそばへ歩み寄り、小さく息をつくシモーヌ。
小鴉は、頭を上げて、じっとその姿を見つめた。
「どのみち、彼女らでは、ここに近付くことすらできませんし。まだ当面は、放っておいても良いのかもしれませんけど……念のために、様子を見に行ってくれませんか。位置は……ええと、アステル、ブライア、ミネア……。被害状況の把握と記録、それから、可能なら追跡も。見ための特徴とか、知っておきたいですね」
小鴉が、こくりとうなずいた。
「ええ、無理はしなくていいです。危険を感じたら引き返してください。地上では、かなり力は制限されてるはずですけど、それでも、あなたでは指もさせない相手でしょうからね」
シモーヌが微笑して告げると、黒い小鴉は、ひょッと首をすくめて、翼を羽ばたかせ、曇天の彼方へと消えて行った。
都市国家群の領域内に、突如、ほぼ同時に出現した「本物の魔女」たち。
アステル公国のポーラ・スタンレー。十七歳。
都市国家ブライアのメイ・ブライア。十二歳。
城砦都市ミネアのスージー・オズボーン。九歳。
その一人、ポーラ・スタンレーは、それまで、都市部でごく普通の生活を送っていたものの、現地の教会から一方的に異端の告発を受け、審問のすえ火刑台に立たされ、おもむろに反抗を開始した少女である。
そこまでの経緯は王国におけるレダ・エベッカの件と大差ないが、ポーラがレダと異なっていたのは、火刑の執行に携わった修道会関係者だけでなく、刑場に集まっていた野次馬の一般市民にも容赦なく力を振るった点にある。
ポーラは拘束を解くだけにとどまらず、見境なく付近を暴れ回り、都市そのものを壊滅にまで至らしめた。騎士団や軍隊でさえ、ひとたまりもなく殺戮された。
ポーラが去った後、残ったものは累々たる死屍と瓦礫の山。もはや死者より生存者を数えるほうが早いという惨状だった。
アステル公国の数少ない生存者の証言によれば――魔女ポーラは、見るから禍々しい長い胴体を持つ、龍のような巨獣を空から呼び出し、その背に乗って、龍の巨体をうねらせ、市街地を押し潰し、四方の城壁まで跡形もなく破壊して回った。その後、ポーラは巨獣とともに、西方の空へ去っていった……という。
メイ・ブライアは、代々ブライアを治める王家の姫君であり、本来、魔女狩りなどとは無縁の身だった。
ある時、幼馴染の下級貴族の少女が教会から異端の告発を受け、逮捕された。これに憤慨したメイは、周囲の静止を振り切って、自ら刑場へ赴き、修道会関係者らを蹴散らして、力ずくで友人を救い出した。
「貴様ら、何を勘違いしている。この娘はただの人間、妾こそがまことの魔女である。民よ、聖職者たちよ、騎士たちよ! 文句があるならば、どこからでもかかってくるがよい!」
拷問に傷つき、すでに瀕死の重体となっていた幼馴染を抱きかかえ、台上、メイはピンクのロングドレスを翻し、銀のティアラを煌かせて、高らかに宣言した。
人々は当初、これを姫君の乱心と見ていたが、取り押さえんとした完全武装の騎士たちを、メイは全員素手で殴り倒してみせた。その両拳は、まるで月光のように淡く輝いていたという。
現地の修道会は、その場でメイを異端認定し、あらためて捕縛にかかったものの、メイはそれをも、ことごとく叩きのめして返り討ちとし、やがて天から巨大な双頭の鷲を呼び出すと、その背に乗って、幼馴染の少女とともに、いずこへか飛び去っていった……。
スージー・オズボーンは、城砦都市ミネアの孤児であった。現地の修道会が運営する孤児院で育ち、幼児期は、人懐こく朗らかな子供だったという。
ある時期を境に、スージーの人格は急激に変貌した。
孤児院の職員を務める修道士らを、全員ナイフでめった刺しにして殺害し、運営者の司祭の首を切り落として逃走。およそ半年に渡り、都市に潜伏しながら女神教の聖職者を狙って殺害を繰り返した。
スージーが現地の司直によって捕縛されるまで、実に二十人以上もの犠牲者が出ていた。
逮捕当時、スージーはとくに抵抗せず、ただ一言「あいつらは生きる資格がない」と、感情のない声で呟いていたという。
その後、検察による通常裁判で死刑判決が出された。修道会側はスージーを異端審問にかけるべく、身柄の引渡しを求めたが、検察側はこれを拒否。異端としてではなく、あくまで猟奇殺人犯として、異例の公開処刑を実施した。火刑ではなく、絞首刑にかけたのである。スージーはおとなしく刑に服したものの――。
死ななかった。
首に縄をかけられ、四半刻も宙に吊られたまま、平然と生きていたのである。
やがてスージーは自力で手枷を砕き、首縄を外して刑台を降りるや、呆気に取られる野次馬の市民ら、司直関係者、修道院の高位聖職者らへ向かい、宣告した。
「無関係の人たちには手出ししない。けれど、おまえたちだけは赦さない。おまえたちがここに集まるのを、ずっと待っていた」
スージーは両手を前へかざした。
「死ね」
途端、この地方の大司教をはじめとする女神教聖職者たち、三十余人の頭上へ、青い雷光が轟音とともに降り注いだ。
聖職者たちは、突如として雷に撃たれ、白煙に包まれて、その場にばたばたと倒れこんだ。
全員、一瞬にして絶命していた。
人々は、誰ひとり、その場を動くことができなかった。
あまりの出来事に、驚愕を通り越して、慄然、呼吸すら忘れ、ただ立ちつくしていたのである。
――やがて、誰かが囁いた。
「魔女……」
幾人かが、戦慄とともに、遅れて呟いた。
「魔女だ……!」
スージーは、眉ひとつ動かさず、応えた。
「好きに呼べばいい」
言うなり、天を仰いだ。
雲間から、大きな黒い影が、ゆっくり舞い降りてきていた。
それは、黄金色の、牡牛――。
姿形は、筋骨隆々と逞しい牡牛そのものに見える。ただその毛色と大きさが尋常ではなかった。まばゆい黄金の毛並、象のような巨体で、しかも空に浮いていた。
たちまち、広場は恐慌状態に陥った。場に居合わせた人々は、惑乱顚倒して、悲鳴をあげ右往左往するばかり。
「いこう。グガランナ。……あの御方のところへ」
周囲の混乱など目にもとめず、スージーは、ふわりと宙に身を躍らせ、金の牡牛の背に乗ると、音もなく、空の彼方へ消えていった。
深夜。
レダは、アンズーの背に乗って、夜陰にまぎれて王都上空へ乗り込み、ひそかに宮殿内苑へと降り立っていた。
特に先触れなどはしていなかったにも関わらず、すでにギョーム・ド・ノガレが屋外へ迎えに出ていた。
「灯りを――」
ノガレが指図すると、突如として、闇に無数の篝火がぽっと浮かび、皓々と内苑を照らしはじめた。レダの周囲は、まるで昼間のように明るくなった。おそらく、魔神ストラスが、レダの来訪をあらかじめノガレに告げていたのだろう。
「ようこそ、王都へ。女神様」
地面へ降り立ったレダのもとへ、ノガレはいそいそと駆けつけ、枯れ芝に膝をついて、恭しく拝跪の礼をとった。
「……アタシは、一度もそう名乗ったおぼえはないんだけどな」
無表情に呟くレダ。ノガレは、かすかに笑みを浮かべた。
「さすがに、それは今更というものでしょう」
「そうかもしれんが……わざわざここで、そう呼ぶってことは、順調にいってるってことか」
「ええ。あなた様には、近々ぜひとも、王国の……いえ、女神教の正統なる主として、公の場へご出座をいただきたいと願っております。もしあなた様がお望みならば、すぐにでも」
ノガレの主導による、新たな女神教の「ご神体」として、レダを公式に大々的に担ぎ出す。それによって、王国の宗教を根こそぎひっくり返し、国内の秩序を再構築する――これがノガレの意図である。現在、ノガレがそのために様々な策を弄し、根回しに動いていることは、ストラスを通じてレダの耳にも入っていた。
「それはまた後日のこととして、考えといてやるよ。だが、今日ここに来たのは、また別の用事さ」
レダは、暗い天を振り仰いだ。
「夜明けまでに、王都の住民を、身分の貴賎を問わず、なるべくこの付近から遠ざけろ。できれば一人残らず、王都の城壁外へ誘導しろ。明日、ここいらは戦場になるからな」
レダの唐突な宣告に、さしも剛腹なノガレも、蒼い目をしばたたいた。
「それは……どういうことでしょう? 愚鈍なるこの身に、いま少し詳しくご教示いただけましょうか」
「来るんだよ。あいつらが。アタシと同じく、神々の座から、冥界を経由して、地上に転生してきた連中がな。なかなか動き出さねえから、どうなってんのかと思ってたが、ようやく目を覚ましやがったらしい」
「……女神様以外にも、そのような存在が?」
ノガレの疑問に、レダはふんっと鼻を鳴らして応えた。
「シモーヌを追ってきたのは、なにもアタシだけじゃねえからな。だが、あいつらは、必ずしもアタシの手下ってわけでもねえ。隙あらば、シモーヌより先に、まずアタシを潰しに来るだろうさ。……今頃は、アタシの位置を感知して、ここへ向かって来てるだろうな」
「え?」
レダの肩で、仔ウサギのパイモンが首をかしげ、横から甲高い声で訊いて来た。
「あの、神々の座の大神方……ですよね? 援軍……とか、じゃないんですか?」
「神々の座ってのは、仲良しこよしのお遊戯場じゃねえんだよ。魔界や冥界みたいな、生ぬるい保養地と一緒にすんな」
レダは、パイモンの頭を、くしゃくしゃと撫でた。
「力無き者は、より力ある者に取って代わられる。どれだけ古く偉大な存在であろうと関係ねえ。だからこそ、シモーヌをどうこうする前に、やりあっとく必要があるんだ、お互いにな。でもって、この地上でも、あいつらの魂にキッチリ刻み込んでやらなきゃならねえ。誰が神々の座の主かってことをな」
レダは悠然と微笑を浮かべたが、目が笑っていなかった。
その目がなにより怖い――パイモンは、レダの静かな笑顔に心底震い恐れ、きゅっと首をすくませた。




