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02:天国なんて知らない



 おびただしい炎が、台上から群集の頭上へと降り注ぐ。


「ま――魔女だぁ!」

「まさか、本物っ! 本物の魔女が!」

「おおっ、俺たちはおしまいだ!」

「逃げろ! 逃げろぉ!」

「焼き殺されるぅ!」


 たちまち、野次馬は雪崩を打って、悲鳴奇声をあげつつ逃げ散りはじめた。

 恐慌のあまり足をもつれさせ、転びまろびつ、這いずりながら、刑檀から少しでも離れようと必死にもがく者たちもいる。


 それをまた後から後から続いてくる群集が蹴飛ばし蹴転がし踏みしめて、ひたすら我先にと逃げ急いでゆく有様も見えた。

 処刑台の周囲は火の海と化している。


 もっとも、レダは、ことさら見物人に害を加えるつもりはなかった。少しばかり脅しつけて、この場から退避させようとしたにすぎない。

 残念ながら、右往左往のあげく転んで怪我をした慌て者がいくらかあるようだが、そこまで責任はもてない、とレダは思っていた。


 やがて群集は残らず逃げ去った。

 この異常事態にも、あえて動じず、その場にとどまり続けていたのは、二十名のエリゴスの騎士たちである。


 いずれも重厚な金属甲冑で全身くまなく覆い、腰に大剣を履き半月弓をさげ、鉄槍を横たえて、レダを包囲する態勢を敷いた。

 レダが、つと右手を前にさしのべる。軽く指を鳴らすと、それまで処刑台を取り巻いていた激しい炎は、瞬時に消え去った。


「さて」


 ――火は消えても、付近一帯にはなお濛々たる熱気とおびただしい白煙黒煙がたちこめ、地面の草も焼け、土も黒々と焦げついて、きな臭い空気が充満していた。

 ただ不思議なことに、木製の火刑台は燃え崩れることもなく、まったく原型をとどめている。


 その壇上、レダは悠然と真紅のドレスをなびかせ、騎士たちへ声を投げかけた。


「雑兵ずれに用はない。早々に立ち去って命を拾うか。あくまで手向かい、無様な屍を野にさらすか……どちらでも、好きなほうを選ばせてやる」


 騎士たちは、それには答えず、一斉に弓を掲げ、矢をつがえた。

 同時に、ひとりの騎士が、包囲陣の内へと一歩を踏む。夕闇にひときわ人目をひく華やかな銀鎧は、おそらく指揮官用にあつらえた特注品であろう。重々しい声が、面頬をおろした鉄兜ごしに響いた。


「我らには大いなる天のご加護がある。レダ・エベッカ、異端の魔女よ。我ら聖エリゴスの騎士に、邪悪な魔法は通用せぬ」


 その声は、さきほどレダの足もとに松明を投げ込み、火をかけた黒衣の修道士のものだった。刑場に騒ぎが生じてから、武装して出直してきたものと見える。

 この状況にあって、騎士らの態度には、寸分の怯惰も惑いもない。


 ――我らは聖なる加護のもとにある、異端の魔女、何するものぞ……全員、その確信に満ちて、迷うことなく弓を引き絞り、狙いをつけている。

 そんな様子を眺めて、内心、レダは冷笑を浮かべていた。


 彼らは実によく訓練されている――家畜として。

 わざわざ捧げられた生贄ならば、これを屠るに、なんの躊躇うことがあろう。


「射よ!」


 銀鎧の騎士の号令一下、二十本の矢が、壇上のレダのもとへ飛んだ。

 ――が、ただの一矢もレダの身体にかすりもしなかった。すべての矢が、火刑台へ届く手前で、力を失ったように、ひょろひょろと焦げた地面に落ちてゆく。

「どうなっている?」とばかり、騎士たちは躍起になって、手持ちの矢が尽きるまで幾度も射かけたが、結果は同じだった。


「なぜ矢が届かぬ!」

「まさか魔法?」

「そんなはずはない、我らには天のご加護が――」


 魔女に、攻撃が通じない――騎士たちの間に、当惑と焦りが生じはじめた。


「怯むなっ!」


 銀鎧の騎士の叱咤が響く。


「矢が通じぬならば、聖剣をもって斬るのみ! 総員抜剣!」


 その呼びかけに、かろうじて騎士たちは動揺を抑え、一斉に佩剣を抜き放った。


「べつに斬られたって、痛くも痒くもねえが……」


 レダは小さく溜息をついた。


「面倒だ。つきあいきれん」


 レダの周囲に一陣の旋風が巻き起こる。レダの霊力が見えざる風の刃をさし招き、今まさにレダのもとへ突進しかけていた騎士たちの首筋を、冷たく撫でた。

 薄暮の虚空に、二十一箇の兜首が、鮮やかに舞い上がる。


 首を失った騎士たちの身体が、剣を握り締めたまま、黒血の霧を噴き散らし、どさどさと地へ折り重なり倒れてゆく。

 遅れて、斬り飛ばされた兜首が、次々と騎士たちの死屍の上に落ち転がった。


 騎士たちの最期を静かに見届けると、レダは、真紅のドレスをふわりと膨らませ、綿毛のように軽やかに、処刑台から地面へと飛び降りた。


「アンズー! 見てるんだろ? 出てきたらどうだ」


 ふと、レダがそう呼ばわると、夕闇の空から滲み出るように、一羽の怪鳥が音もなく姿をあらわし、四枚の長大な翼をひろげて、レダの頭上高く、ぐるりと空に輪を描くように旋回した。

 レダが無言で見ていると、やがて怪鳥は、するすると高度を下げて、レダのすぐそばへと静かに舞い降りてきた。


 体高がレダの身長の倍ほどもある巨体に、四枚の翼を起用に折りたたみ、さながら新月の夜のような深い漆黒の羽毛で全身を覆っている。嘴から爪先までも黒一色、ただその両眼だけは純金のごとき輝きを帯びていた。


「見ておりましたよ。ずいぶんと手加減なさっておいでのようでしたが」


 その怪鳥――アンズーが、黒い頭をゆっくりもたげて応えた。

 明瞭な共通語、それも穏やかな、渋味のある男性の声で、怪異な外見に反して、語り口からはきわめて理知的な印象を受ける。


「いや、いま出せる全力で、この程度だ。王都ほどじゃないが、ここいらも大気中のエーテルが薄くてな。たいして力が出ない」


 レダは、いつの間にか頭からずり落ちかけていた黒い三角帽を、深々とかぶりなおした。


「エーテルが……? はて、私めには、何も感じられませんが」

「そりゃ、おまえには、ほとんど影響ないだろうよ。だがアタシや魔神どもにゃ死活問題だ。魔界へ繋がるゲートが封鎖されて、地上へのエーテル供給を断たれちまってる。それも、かなり長い期間に渡って」

「あのゲートが? それでは、直接往来は……」

「できねえよ。シモーヌの差し金だ。ゲートを封印して、その上に女神教の聖堂をおっ建てて、往来を妨げていやがる。当然、そこからはエーテルも『降りない』ようにされてる」

「ああ、それで得心がいきました。主が、なぜわざわざ、このような回りくどいやり方で現界なされたのか、不思議に思っておりましたので」

「しょーがねえだろ。地上との往復だけは、冥界経由でなんとか迂回路を設定できたが、とにかく時間も手間もかかる。あまり実用向けじゃない。しかもエーテルのほうは結局どうにもならん。アタシでさえこの調子だからな。以前から地上に残ってた魔神どもには、もっと悪影響が出てるはずだ」

「対処なさいますか?」

「今のアタシじゃ、まだ手も足も出しようがねーな。……今はな。先に片付けなきゃならんこともある。当面、その件は放置で」

「ウベルリは、お用いになりませんので?」


 アンズーの問いに、レダは苦々しい笑みをのぞかせた。


「あんな大袈裟なもの、地上でそうそう使えるかよ。一応、整備はしてあるが、実際どうするかはシモーヌの出方次第だな」

「そうですか……。では、これから、どうなさいます」

「村に戻る。どうも、まだ他の連中は動いてないようだしな。しばらくは、アタシひとりで色々やらなきゃならん」

「承知しました。では、わが背へどうぞ、主」


 レダは、アンズーの背に、ひょいと飛び乗った。四枚の翼をばさばさと広げて、アンズーはゆっくりと宙へ浮かびあがる。レダは、血染めの土に転がった騎士たちの骸を眺め下ろし、かすかに笑った。


「せめて、主の御許では安らかに……だったか。おまえたちは、天国とやらへ行けるかな? そんなものが実在するなんて、アタシは寡聞にして知らんけど」


 日はいまにも暮れかかっている。

 小さな魔女レダを背に乗せて、怪鳥アンズーは、暗い空に溶け込むように、高々と舞い上がり、東の彼方へと翔け去っていった。






「……報告は以上です」


 レダが「魔女殺しの丘」を立ち去ってより数刻。

 王国宰相ギョーム・ド・ノガレは、自身の執務室にて、王都守備隊の係官から報告を受けた。王都の中枢、大宮殿北苑にそびえる尖塔の一室である。


「魔女殺しの丘」で生じた事件の顛末は、まだ現場も混乱の渦中にあって調査が進んでいない。

 さらに教会側が情報隠蔽の動きを見せていることなどから、現時点で集まった情報には不明瞭な点も少なくなかった。


 これまでの情報から、レダなる魔女が、あやしげな魔法を用いて火刑台から逃れ、修道騎士らを返り討ちにして逃げた――という、おおよその輪郭だけは把握できた。

 すべて聴き取ると、ノガレは無言で手を振り、係官を室外へ追い出した。


 執務室に静寂が戻ると、ノガレは、深々と溜息をついた。

 王国有数の大貴族の出身であり、宮廷では顧問官として辣腕を揮い、三十代前半の若さで宰相にまでのぼりつめた俊英である。


 その容姿においても「憂愁の蒼月」と称される白皙細腰の典雅な貴公子で、独身なこともあり、宮中ではことに貴婦人らの熱い注目を一身に集めている。


「現界……、いや、下生か? まだ何者か判然としないが、情報から推測するに、かなり高位の『神格』が降臨していたようだ。よほど慎重に対応せねば、国が滅ぼされかねん」


 その若き美宰相ノガレが、深刻げな面持ちで、執務卓ごしに、鋭い眼差しを暗い窓外へと向けた。石壁に架かる燭の灯が、ちらちら揺れている。


「一度直接、ご機嫌うかがいに馳せ参じるとしよう。必要ならば、教会の馬鹿どもの無礼について、申し開きもせねばなるまい。きみ、どうにか、そのレダなる人物と連絡をつけてみてくれ」


 ノガレの声に、窓の向こう側で、かすかに、黒い影のようなものが蠢いた。






 ……女神暦一三〇七年一〇月一三日、金曜日。

 王都郊外、「魔女殺しの丘」において、聖エリゴス騎士修道会参事マルシャックを筆頭とする二十一名の修道騎士が、魔女レダ・エベッカによって虐殺された。


 殺害手段は不明。

 急報を受けた聖エリゴス騎士修道会本部第一軍団長ゼルナールが、騎士三百名を動員して現場へ駆けつけたときには、すでに魔女レダは、いずこともなく姿をくらませていた。


 これまで「教皇国」の主導のもとに西方各国で推進されてきた、いわゆる一連の魔女狩りにおける、初となる魔女の反撃、教会側の一方的敗北。

 この事件は、公式発表こそ行なわれなかったものの、瞬く間に周辺各国に伝わり、聖エリゴス騎士修道会のみならず、教皇国の各教会管区に属する各組織、枢機卿、大司教、その他聖職者、教会活動従事者、一般信徒にいたるまで、さまざまな方面へ、小さからぬ衝撃をもたらすことになる。



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