17:栄誉の柩持ち
秋もいよいよ更けてきた。
昼間。
曇天から霧のような小雨が注いで、林道の枯れ草や落ち葉を濡らしてゆく。
うら寂しげな閑期の田園。その畦道を一輌の大型馬車に揺られて、カスティージャ伯爵が、エベッカ村を訪れた。わざわざ自身でプリカを迎えに来たのである。
伯は、以前とは見違えるほど元気な姿になったプリカに、まず驚き、ついで歓び、さらに泣き笑いしながら、プリカを抱擁した。
「こんなに元気になるなんて……おまえを、ここにやってよかった。ほんとうに良かった……!」
老いた伯爵は、男泣きにむせび、微笑みながら、何度もプリカの頬を撫でた。
「レダちゃんと、里のみんなのおかげだよ」
プリカも、しっかと祖父に抱きついた。
「お祖父さま、心配かけてごめんなさい。わたし、もうすっかり元気だからね」
「ああ、ああ……! そうだな、皆に、礼を言わねばならないな」
二人の周囲には、もう里長の老爺をはじめ、里の住民たちが皆、集まっていた。もちろんレダもいる。
「よかったなー、じーさん。プリカは、もう何の心配もないぞ」
二人の対面に、レダも、どことなく上機嫌な顔をしていた。
伯は、老顔をくしゃくしゃにしながら、あらためてレダに声をかけた。
「レダ……。話は、あらまし聞いていたよ。きみが、プリカに薬をくれたと」
「あれは、キッカケみたいなもんさ。プリカがここまで元気になったのは、自分から積極的に動いて、体力をつけるようにしてたからだよ」
「レダちゃんに引っ張り回されてる日も多かったけどね」
プリカが、にこにこ微笑みながら言う。
「そうか……。二人とも、ずいぶんと仲良くなったのだな」
伯が呟くと、二人は笑ってうなずきあった。
「それはもう、わたしたち」
「友達だからな」
「……!」
二人の、息のあった返答に、伯は息を詰まらせた。
一応、事前に、ひと足先に領館へ帰還していた従僕の一人から、プリカが回復したとの報告は受けていた。今は体力もつき、里の仕事を手伝ったり、山野を遊び歩いている、などとも聞いていた。
実際に我が目で、元気になったプリカを見ると、感慨もひとしおだった。
生まれつき病弱で、ずっと外出もままならなかった、不憫な孫娘の、これほど健やかな姿を見る日が来ようとは。
しかもあのレダと、こうまで打ち解けるとは――小さな魔女レダが、孫娘を、友と呼んでくれるとは。もう驚くやら嬉しいやら、言葉も出てこない。
伯は、なんとも感無量という顔して、息をするのも忘れ、二人を見つめていた。
カスティージャ伯は、レダばかりでなく、里人ひとりひとりと語らい、プリカの様子を聞き、それぞれに丁重に礼を述べた。
とくにレダの両親には、深々と頭を下げることまでした。
庶民に頭を下げるなど、大貴族としては、あるまじき行為かもしれない。しかしプリカの祖父としての心情から、そうせずにはいられなかったのだろう。
さらに伯は、大量の穀物や木炭を大型馬車から降ろして、村へ寄贈した。
これには里人たちも驚き、かえって畏まってしまったが、レダが「いーじゃん、いくらあっても困るもんじゃないし。じーさんの気持ち、素直に貰っとこうぜ」と諭したため、皆も安んじて、伯の贈り物を受け取った。
そして最後に――。
「レダ。きみには、返しきれないほどの恩を受けてしまったな。今後も、我が家にできることがあれば、なんでも言ってくれ。誓おう。われらカスティージャ家は、とこしえに、きみの味方だ」
伯爵は、おごそかに告げた。王国有数の大貴族家がレダへの支持と協力を誓約したのである。里人たちは一様に驚嘆したが、レダは平然とそれを受け止めた。
「そーだな。プリカもいることだし、しばらくして暇ができたら、またそっちへ遊びに行くよ」
レダが笑って応えると、老伯爵は破顔した。
「よし、そのときは、極上のホットミルクをご馳走しよう」
「おー、楽しみにしてるぜ」
うなずきつつ、プリカへ顔を向ける。
「約束だからな。何かあったら、いつでもアタシを呼んでいいんだぞ。呼ばれなくても、ちょいちょい顔は出すつもりだけどなっ」
「うん……! レダちゃん。またいっぱい、お話、しようね!」
プリカとレダは、互いに手を取りあい、ほほえみを交わした。
――こうして、プリカ・ド・カスティージャは、エベッカ村での半月余りの療養生活を終え、里人たちに見送られて、伯爵家へと帰っていった。
思い出と、かけがえのない出会い、大切な約束を、小さな胸に抱いて。
その夜。
いつしか小雨もやみ、雲は去って、晴れ渡った空に星は繚乱と煙り輝いていた。
レダは、家の裏畑の畦に腰かけ、肩に乗せた仔ウサギ……魔神パイモンとともに、そんな夜空を見上げていた。
「ご主人様ってぇ、あの娘には、随分とお甘いですよね? なんでですか?」
甲高い声で語りかけてくるパイモン。
「ワタクシへの仕打ちとは、えらい違いですよねぇ……せめてあの娘の半分、ワタクシのことも、いたわっていただければ……」
「そういうとこだぞ」
レダは、ぶっきらぼうに応えた。
「アタシは、無闇にアタシの力や慈悲や情けを求めるような輩には、何も与えてなどやらない。そんなものがなくても、自力で頑張ろうとしてる奴の背中を、アタシはどーんと押してやりたくなるんだ。プリカはそういう子だ」
「それっていわゆるアマノジャクってやつじゃないですか?」
「そこまでヒネくれてるつもりはねえが……なんでそんな東洋の魔神の話を知ってんだよオマエは」
「そりゃワタクシ一応、魔神の女王ですから。最近色々あってすっかり自信なくして、もうウサギでいいかなーとか時々思っちゃうこともありますけど!」
「魔神ならなおさら、自力でなんとかしろって話だ」
「にべもない、ってこういうことですよね……でも、それじゃ、あの不死人については、どうなんです? 一応、慇懃に振舞ってましたけど、底のほうではずいぶんナメた態度取ってませんでしたかアレ?」
「あいつか」
レダは、不敵な笑みを口の端にのぼせた。
「あれは、アタシをいいように使う気満々だ。このアタシをな。いったい何をやらかすつもりか、ちょっと見てみたいじゃないか? なぁ……?」
「あああ、なんか白くて眩しいのが出てますご主人様、抑えてください抑えて!」
レダの身体から、おびただしい純白の霧のような霊気――「神気」が噴き出ている。常人には見えず、感じることもできないが、魔神や不死人などの高次存在には、はっきりと感得できる、浄化の力である。
「おっと、いかん」
レダは苦笑し、首を振った。
白い霊気は急速に薄まり、消え去った。
「ああ、いまワタクシ、あやうく浄化されて消えるとこでした……」
「八大魔神がこんな程度で浄化されるタマかよ」
「といっても、並の魔神なら一瞬で光の粒に分解されて辺獄に送られるぐらいのお力が洩れてましたけどね」
「しょーがねえだろ。まだまだ制御しきれねえんだよ、このちっこい身体じゃ。もっともっと食って、早く成長しねえとな。また猪狩りにでも行くか」
レダは溜息混じりに呟いた。
この先、ご主人様の肉体が成長するまで、いったい何頭の猪が撲殺されることやら――魔神パイモンは、なんとなく、猪に同情するような気持ちで、レダの横顔を見つめていた。
女神暦一三〇七年一二月二二日。
王都の都大路を、黒い弔旗を掲げた葬列が、静かに進んでいた。
国王フィリップ五世の義妹、シャロワ公爵夫人の葬儀である。
喪主はフィリップ五世自らつとめ、王族や、また大貴族のなかでも近縁の人々が招集され、国葬たる格式をもって、霊柩は王宮から大路を通って、郊外にある王家代々の墳墓へ丁重に葬られることになっている。
とくに重要なのが、この大路を通る際、柩を捧持する役目で、王妹の柩ともなれば当然、王の信任厚い人々が呼ばれて、その務めを任される。
柩持ちは慣例上、王族、近縁の貴族、政府や軍の要職にある高官から選ばれる場合が多い。
が、この日、とくに選ばれて柩持ちの栄誉を賜った人々のなかに、聖エリゴス騎士団総長、ジャック・ゼルナールその人がいた。
ゼルナールは、先日まで前総長ジェラールのもとで第一軍団長をつとめ、そのジェラールの死後、暫定総長に選任されていた。教皇国の認定により、正式に新総長に就任したのは、つい五日前のことである。
それとほぼ同時に、王宮から、シャロワ公爵夫人の葬儀参列について、ゼルナールのもとへ打診が届いた。
当初、ゼルナールは、王宮からの唐突な呼びかけに不審の念を抱いていた。
いまの王宮は、宰相ギョーム・ド・ノガレを首魁とする反教会派に牛耳られており、エリゴス騎士団との関係も険悪きわまりないものとなっていた。当然、何かの罠ではないか――と警戒したのである。
ところが、王宮の事情を探ってみると、この半月以上、ノガレは王宮に出仕しておらず、ノガレ子飼いの高官たちも、半数近くが地方官となって、王宮を離れてしまっていた。
さらに、肝心の葬儀の参列者リストにも、ノガレの名は見当たらない。
あるいは、王宮の方針が変わり、教会との和解を模索しはじめたのかもしれない。その手始めとして、ゼルナールに柩持ちという格別の栄誉を示し、今後の関係改善への足がかりにしようと考えたのではないか――。
ゼルナールは、王宮の意図を、今の状況から、そのように解釈した。騎士団のおもだった幹部たちの見解も、およそ一致していた。
いざ葬儀に出てみると、やはりノガレの姿はどこにもなかった。それどころか、反教会派の大臣、高官らの一人として、その場に姿を見せなかった。
ゼルナールは、いよいよ自身の推測が当たっているものという確信を強めた。
その後、葬列は粛々と大路を進み、ゼルナールは名誉の柩持ちの先頭という大役を無事に済ませて、墳墓のある郊外から、王宮へ帰還した。
国王フィリップ五世は、きわめて丁重にゼルナールを迎えた。王国と女神教会の関係修復を王みずから依頼し、喜捨として金銀珠玉を山と積んだ。異国の美しい装飾品や純金製の彫像、王家秘蔵の貴重な芸術品の数々まで、惜しげもなく寄進し、さらには王国勲章の近日中の授与まで約束して、ゼルナールを大いに喜ばせたのである。
ゼルナールは大得意でエリゴス塔へ帰って行った。もはや騎士団は、王宮への一片の疑念も警戒心も抱いていなかった。王宮との関係は修復されたものと、誰もが信じて疑わなかった。
その深夜。
王国宰相ギョーム・ド・ノガレは、アレーシ河の畔に、その姿を現していた。
王都に勤務する検察官、捕吏、司直の役人ら総勢千人余をノガレ自ら動員し、夜陰にまぎれ、ひそかにエリゴス塔の包囲に取り掛かっていたのである。




