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16:初めての友達



 王都のはずれ、アレーシ河の畔なる一城砦を称して、エリゴス塔という。

 聖エリゴス騎士団の総本部であり、現在も五百名の修道騎士が駐留している。


 王国内最大の魔女狩り、異端審問の舞台でもあり、いわくつきの拠点である。

 現状、レダにとって、エリゴス塔は一種の鬼門となっていた。


 砦内の聖堂に安置されている、なんらかのオブジェが、王都付近一帯の大気中のエーテルを余さず吸収しており、エーテルを霊力触媒として活動するレダや魔神たちに、致命的な弱体化をもたらすようになっている。


「エリゴス塔に、あのおかしな仕掛けがある限り、アタシは王都に入ることすらできやしない。いや、入ることはできるが、まったく無力な、この見た目通りの子供になっちまうからな。それじゃ意味ねーだろ」


 レダが事情を語るや、ノガレは、やや驚いたような気色を浮かべた。


「それは……そういうことですか。ストラスからも聞いておりました。王都では魔神の活動が極度に制限される……と。ただ、こちらでは原因もわからず、手をつかねておりましたが、エリゴス塔にその元凶があったとは」


 客車の隅では、一羽のワシミミズクと仔ウサギが、ひそやかに囁きあったり、うなずきあったりしていた。

 いうまでもなく、ノガレに付き添ってきた魔神ストラスと、レダのペット扱いの魔神パイモン。不遇な魔神どうし、なにやら情報を交換しあっているらしい。


 それを横目に、レダはあらためてノガレへ告げた。


「だから、あそこを最優先で潰してもらいたいんだよ。なんせアタシは手が出せんからな。とくに聖堂にあるはずの、よくわからん物体を回収して、可能なら粉々に砕いておいてくれ。もしそれが無理なら、海にでも投げ込んでしまえばいいさ。そうすりゃ、アタシだけでなく、魔神どもも王都で活動できるようになる」


 ノガレは大きくうなずいてみせた。


「なるほど。ええ、そういうことでしたら、微力を尽くしましょう」


 レダもうなずいた。


「よし。まずはお手並み拝見といこうか。首尾よく目的を果たせたなら、アタシもおまえに手を貸してやる」


 ここに、レダとノガレ、二人の密契は成立した。

 聖エリゴス騎士団の最後の命運は、この瞬間に決したのである。


 ただ滅亡あるのみ――と。






 会談に要した時間は、およそ半刻。

 典雅な一礼とともに、王国宰相ノガレは去っていった。


 馬車を見送るレダの手には、紙袋に包まれた、大量の焼き菓子が残された。

 すでに日はとっぷり暮れて、真っ黒い空に、細い月が掛かっていた。


 集会所には篝火が焚かれ、里人たちが蓆を延べて集まり騒いでいる。レダが持ち帰った猪の解体作業が続いているようだ。


「……これは後でプリカと分けるか。お肉の後に、ちょうどいい」


 焼き菓子の香りに、嬉しげな笑みを浮かべながら、レダは呟いた。


「おお、レダ、そこにいたのか。もう宰相どのはお帰りになられたのか」


 里長の老爺が、玄関口から顔を出し、レダに声をかけてきた。


「ああ、つい今しがた。……じっちゃんは、あの宰相と何を話してたんだ?」

「ん? いや、なんでも、去年の税の取立てのことで、国として、わしらにお詫びがしたいとかで」

「……ああ、あの過剰徴収のことか」

「だがな、余計に取られたぶんは、もう領主様から、来年の分を減免してもらうという話になっとる。そのうえ、国からまでお詫びなんて、畏れ多いことじゃ。そう話したら、ならばせめて気持ちだけでも……とおっしゃられてな。こういうものを置いていかれたんじゃ」

「んー?」


 里長は、手にいくつかの布袋を抱えていた。


「おー、この匂いは……!」

「そう、粒胡椒じゃ。それも、こんなにたくさん」


 里長は、ほくほく顔で言った。

 王国において、胡椒はそう珍しいものでもない。王都では一般的な香辛料として広く普及していた。


 とはいえエベッカ村のような僻地では、十分に貴重品であり、行商人などが運んでくる、ごく少量の胡椒を、高値で取引きしていたのである。


「いやいや、まだお若いのに、よくできた宰相どのじゃよ。このお国の行く末も安泰というものじゃなあ」


 破顔する里長へ、レダも満面の笑みを向けた。


「よし! じっちゃん、今夜はお肉だぞ! 早速、そいつ使おう!」


 猪の肉は滋味豊かだが、臭みが強い。胡椒があれば、その臭みを中和し、肉の旨味を引き出せる。

 さすがに、このタイミングでノガレが胡椒を置いていったのは、ただの偶然であろう。謝罪やらお詫びやらというのも、レダに直接会うための、表向きの口実に過ぎないはずである。


 とはいえ……今は王国の女王座などより、一粒の胡椒のほうが、レダにはよほど有り難かった。

 レダは内心、ノガレを大いに称賛しながら、老爺の手を引いて、集会所へと駆け出したのである。






 レダの両親に他の男衆もまじって、大猪の解体、肉の切り分け作業は日暮れまで続いていた。

 肉は、串焼きに炙ったり、女衆が持ち込んだ山菜や根菜、木の実などと一緒に煮込んで、荒挽きにした胡椒を加えてスープにしたりと、その場で続々調理されて、滅多には口にできない豪勢な肉料理が里人全員に振舞われ、集会所は、にわかに野宴の広場となった。


「おいしっ……! 猪って、こんな味なの」


 プリカが、猪肉と根菜のスープをひと口啜って、目をぱちくりさせた。

 篝火のそばで、プリカとレダは蓆に並んで座っていた。周りでは、もう酒瓶を開いた大人たちが、賑やかに騒ぎはじめている。


「胡椒のおかげだな。本当は、もうちょっと臭みあがって、慣れないときつい感じなんだけど」


 レダが、ご満悦な様子で応えた。両手に串焼きをもって、幸せそうに交互に頬張っている。


「んめー! 塩と胡椒だけで、こんなにいけるなんてな!」

「ふふふ、レダちゃんって、意外に食いしんぼなんだね」


 プリカは、そんなレダの様子を、楽しげに眺めていた。


「育ち盛りだからなぁ。そりゃー食うさ。それに、この村はいいとこだけど、ビンボーだからさ。食えるときに食っとかねーと」

「貧乏って……? あんまり、そういう風には感じないけど」

「そりゃ、今ぐらいは山や森、いたるところに獲物がいるし、野草や木の実も採れる。川に行けば魚だって釣れる。でもこれから冬になれば、そういうもの一切なくなっちまう」

「作物は? 麦がいっぱい取れたでしょ?」

「備蓄は確保してるさ。他の食い物も、乾燥させたり燻製にしたり、塩漬けにしたり、保存法を工夫してな。それで贅沢さえしなければ、ぎりぎり冬は越せる。だが本当にぎりぎりだ。別に、うちの村だけじゃなく、田舎の集落なんて、どこもそんなものだけど」

「商人から買うとかは?」

「冬の間は、そういうのも来ねえんだよ。なんせ大雪で、道もなんもかんも埋まっちまうから」


 串焼きをかじりつつ、レダは苦笑を浮かべた。


「いまは、この村で一番いい時期なんだ。プリカを迎え入れるのにもな」

「そっか……だからみんな、わたしにも優しいんだね」

「そういうことだ。プリカ、おまえは近いうちに、領主のじーさんのところに戻るんだぞ。冬が来ちまうと、往来も難しくなるしな」


 レダの言葉に、プリカは、少し目を伏せて、寂しげにうつむいた。


「う、うん……。そうだね。わたし、もうすっかり元気になったし。いつまでも、ここにいちゃいけないよね」

「そんな顔すんなよ。もともと、魔女狩りからおまえを保護するための一時避難だったんだ。もうその危険もなくなった。なら、おまえはここにいるより、じーさんのそばにいてやったほうがいい。じーさん、本当におまえのこと心配してるからな。元気な顔を見せてやったら、きっと、すっごく喜ぶぞ」

「あ……うん、それもそうだね。お祖父さま、いまはひとりだし」

「そんでな。じーさんのもとで、たくさん勉強して、学校にも行って。それでいつか、おまえには、じーさんの跡を継いで、ここの領主になってほしいんだよ。もちろん、まだ先の話だけど」

「わたしが? 領主に……?」


 プリカは、大きく目を見開いて、レダをみつめた。

 やや表情をあらため、うなずくレダ。


「まだ全然自覚してないだろうけど、おまえはカスティージャ伯爵家の令嬢だ。将来的には、じーさんの門地を継ぐ資格があるんだよ」

「……そういえば、そうだっけ」

「んで、領主になったら、ここみたいな田舎が、もーちっと豊かになるように、色々考えてやってくれ。ここで暮らした経験も、きっと役に立つだろうさ。もちろん、そのときはアタシも力を貸すぞ」

「ほ、ほんとに? レダちゃん、わたしに力を貸してくれる?」

「ああ、本当だ」

「じゃあ、じゃあ、わたし、帰ったら、いっぱい勉強するよ! それで、きっと領主になる! だからレダちゃん……!」

「おう。なんせアタシは魔女だからなっ。もし今後、アタシの力が必要なときは、いつでも呼びな。おまえがどこにいても、飛んで行ってやるからさ」

「ほんと?」

「約束する」


 レダは、力強くうなずいてみせた。

 プリカより年下で、背丈もずっと低いレダの姿が、このとき、プリカの目には、このうえなく大きく、頼もしく見えた。


 レダが力を貸してくれるなら、これから、何があっても、どんなことでも、やり遂げられる気がした。


「わかったよ。わたし、がんばる!」

「ん。その意気だ」


 二人は手を取りあい、うなずきあい、微笑みあった。

 それから二人は、ノガレが残していった流行の焼き菓子を味わい、語り合った。


 近頃のちょっとした出来事や噂話、服や食べ物、音楽、書物や物語など、他愛ない話題ばかり、夜の更けるのも忘れて、篝火のそばで笑いあい、二人、いつしか声を揃えて、歌いあっていた。


「また、お話ししようね。レダちゃん」

「ああ、楽しかったよ。また話そう、プリカ」


 二人は、肩を寄せ合い、囁きあった。

 ――この夜。レダ・エベッカと、プリカ・ド・カスティージャは、お互いにとって初めての、友達となった。






 その頃。

 エベッカ村を離れ、暗い夜道に馬蹄と車輪の響きも高らかに、王都への帰路を急ぐ四頭立ての大型馬車。


 客車内で、ギョーム・ド・ノガレは、ソファーへ腰掛け、ハーブ茶のカップを片手に、深々と安堵の息をついていた。


「想像以上の御方だった……」


 向かいのソファーには、一羽のワシミミズクが佇んで、いかにも興味津々という顔を、ノガレに向けていた。


「あなたが、あんなに恐縮しているところ、初めて見ましたよ。国王にすら、対等どころか、虫でも見るような目しか向けない人が」


 しわがれた老婆のような声。物理的なものではなく、念話に近いもので、凡人には聴き取ることができない霊力による声である。ビーストの声帯を借りているパイモンとは異なり、魔神ストラス本来の声であるようだ。


「それは違うよ。私とて、そう誰にでも、そんな目を向けているわけではない。王が実際どうしようもない人だからだよ」

「はあ。あのご老人も、相当な変わり者ですしねえ。わからないでもないですが。では、あの御方については?」

「……ただただ、恐ろしい。そうとしか思えなかったね。あの小さな身体から溢れ出てくる清冽な神気と、途轍もなく重く巨大な霊圧。押しつぶされないようにと、もうただ必死だったよ」

「私も、だいたい似たような感想ですね。あのパイモン様でさえ、すっかり怯えきってましたし。……なにやら、色々と酷いお仕置きをされてるらしいですが、そこは自業自得として」

「あれでまだ、本来のお力の億兆分の一も出されてはいないというのだからね。もちろん、こちらでは色々と制限があって、本気など出しようが無いというのはあるだろうけど……それでも下手にご機嫌を損ねたら、どんなことになるか、想像もつかない。今後も慎重に対応せねばならないだろう」

「そんな恐ろしい御方を、それでも利用しようと、あなたはお考えなのですね」


「ああ、そうだよ」


 ノガレは、空になったカップをテーブルに置いて、窓の外へ顔を向けた。

 夜空には、いつしか厚い雲が垂れ込み、月を覆い隠している。


「シモーヌを討つ……。この点、我々の利害は一致しているんだ」


 暗い曇天を眺めて、ノガレは微笑とともに呟いた。


「いまは、ね」


 その小さな囁きは、馬蹄の音に紛れて、ストラスの耳にすら届かなかった。



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