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12:魔女と仔ウサギ



 剣から溢れ出た瘴気は、真っ白い雲の塊のように、ジェラールの全身を完全に覆いつくし、侵食をはじめた。

 ほどなく、瘴気は次第に薄れ、やがて消え失せたが、ジェラールの肌は土気色に変わりはてていた。


 手足を痙攣させ、半身を起こし、どうにか立ち上がろうと、もがいている。

 そこに、もはやジェラールの意識も意思もない。すでに魔神の霊が体幹にまで入り込み、乗っ取り終えているからだ。


 まず、立ち上がろうとする両足が、朽木の枝のように、ぼろりと折れた。

 身を支えんと地面につけた両腕が、乾いた粘土細工のように、ひび割れ、ぼろぼろと崩れ落ちてゆく。


 レダの言にあやまたず、憑依からわずか数瞬、はやジェラールの肉体は崩壊しかかっていた。

 ――さきほどレダは、ジャン・バールのうちに封じ込められていた魔神に、自らの霊力を吸収させたうえで、剣の内側から、霊力による物理干渉を行い、その剣身を「破裂」させたのである。


 結果として、魔神の霊体は封印から解放されたが、肉体の再構築には年単位の時間を必要とする。その間、魔神の霊体は、自らの存在を維持する霊力の供給源として、なんらかの生物を依り代とする必要があった。

 さもなくば、魔神は時間とともに霊力を無為に消費し、やがて存在そのものが維持できなくなり、完全に消滅することになる。


 だが、ジェラール・ド・モレーのような人間の肉体は、あまりに脆く、波長も合わないため、魔神の依り代とはなりえない。


「……そろそろか」


 レダは、小さく呟いて、両手を前へ差し出した。


「えーと。何がいいかな……よし」


 顔を空へと向けて、なにやら念じること数秒。

 レダが見上げる空中に、小さな影のような黒い塊が生じた。


 そこから滲み出るように、あるいは這い出て来るように、新たな影が生じて――そのままレダの手許へ、ぽとりと落ちてきた。


「おっと。ちょっと小さいか? いや、これくらいなら、問題ないよな」


 レダの両掌に乗っかっているのは、小さなウサギ。……によく似た生物。

 丸っこい身体に、白いふかふかの体毛と長い耳を持ち、鼻をひくつかせながら、つぶらな瞳で不思議そうにレダを見上げている。


 外見は仔ウサギそのものだが、まったく別の存在。


「ほう。ビーストの幼体ですか」


 背後で見ていたアンズーが呟いた。


「ボーパルバニーさ。可愛いだろ? まだ牙も生えてないし、おとなしいもんだ」


 ビーストとは、冥界に棲息する獣類の総称である。外見は地上の鳥類や哺乳類とよく似通っているものが多いが、それらとは生体構造から根本的に別物であり、性質も生態もまったく異なる。

 基本的に冥界にのみ生息しているが、さまざまな事情から、自発的に地上に出てくる個体も少なくない。


 厳密には冥界特有の高濃度の霊力塊が「影の生命」を得て、動物の形を取ったものである。性質は種族によって様々だが、その多くが物理的実体を持ち、人間をはじめとする地上の生物に害をもたらす場合もある。


 ボーパルバニーは、幼体のうちは素直でおとなしいが、成長するにつれ気性が荒くなり、口に鋭い牙を生やして、人間を一撃で噛み殺すほどの運動能力と凶暴性を併せ持つモンスターと化す。

 いまレダは、その幼体を冥界から召還した。先ほど空中に出現した黒い塊のようなものが、冥界と繋がるゲートである。


 既にそのゲートは消滅しているが、一定の条件下において、レダは任意にこのゲートを開き、ビーストや冥界花などの様々な文物を取り寄せることができる。


「悪いが、しばらくその身体、借りるぞ。なに、そう長いことじゃないさ。用が済めば、冥界に帰してやるから」


 レダが優しく囁くと、召還されてきた仔ウサギは、掌の上にちょこんと立って、こくこくとうなずいてみせた。


「よし、いい子だ。……おい、そこの奴。話はついたぞ。こいつに憑依しな」


 ジェラールの骸へ向かって、レダは呼びかけた。

 途端、すでに乾いた砂細工のように崩れきっていたジェラールの骸から、急激に白い瘴気が溢れ出し――レダの掌上に吸い込まれるように、するすると移動し、まっすぐ仔ウサギへと憑りついた。






 仔ウサギの眼の色が変わる。赤から緑へ。

 ビーストの特徴のひとつとして、きわめて高濃度の霊力を内蔵し、地上にあっても、大気中のエーテルに依存せず自前の霊力を保つことができる、という点が挙げられる。


 魔神の霊体の憑依先として、最も適した身体構造を擁しており、先にレダと邂逅した魔神ストラスも、ビーストの肉体を借りて行動していた。


「……はぁ、やっと落ち着きましたー」


 仔ウサギが、いきなり声を発した。どうやら憑依が完了したらしい。

 やけに声が甲高いのは、仔ウサギの声帯を借りているからであろう。


「あの剣の中、ほんっと窮屈で。ずーっと息が詰まってたんですよぉ。でもってぇ、むさいおっさんの腰にぶら下げられて、時々なんかこっそり話しかけられたりなんかして、ホントもーキモいったらなくて。いやほんと、どこのどなたか存じませんが、あの地獄みたいな状況から解放してくださって助かりましたー。それもこれも、あんの盗人女がこんな……」


 堰を切ったかのように、早口にまくしたてる仔ウサギ。よほど不満が鬱積していたらしい。口調からして、女性のようだが……。


「……何すっとぼけてやがる。仮にも魔神が、このアタシの霊力を直に喰らっといて、アタシが誰だかわからんわけないだろーが」


 レダは、やや呆れ顔で呟いた。


「え? あー……あはは」


 仔ウサギは、長耳をピクンと立てて応えた。


「ええ、そっちにアンズーくんがいるってことは、やっぱり、そういうことですよねぇ……。いやでもその、なにゆえ、あなた様が、こんなところに? もっ、もしかして、わざわざワタクシにお仕置きを?」

「お仕置き? ……おまえ、魔界で何かやらかしたのか?」

「は、い、いえ……ワタクシ、何もそんな」


 仔ウサギは、直立したまま固まってしまった。どうやら、自ら墓穴を掘ったものらしい。


「そもそも、おまえは誰だ。なんとなく、見知ったような感覚はあるが」

「……は。そこからですか? お気付きになられませんでしたか?」

「いいからさっさと名乗れ」

「ワタクシ、パイモンでございますが……お忘れで?」

「え」


 今度はレダが固まった。想定外の大物だったのである。


「主……」


 アンズーが、軽く首をもたげて、溜め息まじりに言う。アンズーのほうでは、最初から相手が何者か、気付いていたらしい。


「いま少し、配下の方々の扱いにも気をかけてくださらないと……まさか、八大魔神たるパイモン殿をお忘れとは」

「……って、おいおい、あのパイモンなのかよ。ちょっと見ない間に、またえらく落ちぶれたもんだな、おまえ」

「いやその……ワタクシにも色々ありまして」


 仔ウサギは、レダの掌上に、ぴょこっと座り直した。


「じゃあ、後で、その色々ってのをじっくり聞かせろよ。どうせシモーヌにやられたんだろ?」

「あー。あの盗人女のことは、あなた様もご存知なんですねぇ。ええ、ええ、それはもう、色々と酷い目に」

「でだ、その後は、おまえの『やらかし』についても聞くからな」

「え、その、それは」


 レダの蒼い眼が、刃のように鋭く仔ウサギを見据える。


「場合によっちゃ、キッチリお仕置きが必要になるだろうしなぁ。アタシに嘘や誤魔化しは通じねえぞ?」

「はっ、はい……全部、話しますぅぅ……」


 魔神パイモン――魔界三百個軍団を率いる大元帥にして魔界西方の女王たる大魔神は、さながら猛獣の眼光に怯える幼児のように、ぷるぷる身を震わせた。よほどレダが怖いらしい。

 レダは、そのパイモンの首もとを、ひょいとつまんで、自分の左肩に乗せた。


「そこにしっかり掴まって、おとなしくしてろ。今後しばらく、そこがおまえの定位置だ」

「は……はい」

「あと、人間がいる場所では、人語を話すの禁止な。理由はわかるだろ」

「ようするにワタクシ、あなた様のペット扱いなのですね?」

「不満かよ」

「いっ、いいえ、滅相もない! とてもとても光栄に存じますぅ!」

「ならいい。行くぞ」


 レダは、肩にパイモンを乗せたまま、ふわりと宙へ身を躍らせ、アンズーの背へ飛び乗った。


「主、これからどちらへ?」

「まず、領主のじーさんのとこに報告に行かないと。全部カタはついた、って」

「承知しました」


 四枚の翼を大きく広げ、アンズーは、悠然と空へ舞い上がった。



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