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01:魔女が火炙りごときで死ぬわけがない



 黄昏の空は、血のように赤かった。

 丘の上の処刑場。


 これまで数多の「魔女」を焼き殺してきた、由緒ある火刑台――魔女殺しの丘。

 その処刑檀を、いま何百という群集がひしめき取り巻いている。


 台上に立たされているのは、まだ年端もいかぬ――ほんの小さな子供にしか見えない、金髪の娘。

 衣服を剥がれ、あわれ四、五歳ぐらいな幼い肢体に幾重も鉄鎖をかけられて、指一本動かせぬほど厳しく鉄杭に縛り付けられている。


 足もとには、乾いた薪が積み並べられていた。

 群集が見守るなか、夕陽を背に、黒衣の人影が、松明を掲げて段を踏みしめ、台上へのぼった。「魔女狩り」と「異教徒討伐」専門の修道会、聖エリゴス騎士修道会の修道士。


 王国の数ある修道会のなかでも、異端審問の酷烈さから「エリゴス会士は公平にして偏向なく、嬰児も老婆も分け隔てなし」などと囁かれ、怖れられている。

 こうした市井の声には暗に、世間を席捲している魔女狩りというものが、異端審問の名を借りた冤罪裁判でしかないという皮肉も籠められているのだが……。


「感謝しなさい。教会の慈悲に。そして我らが大いなる主の、寛容なる御心に」


 台上、黒衣の修道士が、フードの奥から、そっと金髪の娘に囁きかけた。

 古来、火刑……火炙りは、残酷な刑罰の代名詞とされる。生きながら火にかけられ、焼き殺されるという、その凄惨なイメージのみで語られがちである。


 実際には、炎がその身を焦がすより先に、たちのぼる煙で窒息失神し、ほとんど苦痛を感じることなく死に至る。

 火刑の主目的は、苦痛を与えるのではなく、炎によって、その罪業を浄化することにあった。修道士の語る「慈悲と寛容」とは、そのような意味である。


 小さな娘は、声を発する気力もないのか、ただ黙して、うなだれている。

 修道士は、その様子を一瞥すると、みずから松明を娘の足もとへ投げ込み、薪に火をかけた。


 群集の波が大きくざわめいた。台上に白煙が充満し、紅蓮の炎がたちのぼる。


「さようなら、小さな魔女。せめて、主の御許では安らかに……」


 魔女火刑の儀式の締めとして、エリゴス会士は必ず罪人を祝福し、主の御許へと送り出す。炎によって浄められた霊魂は、あらゆる罪業から解き放たれ、まっすぐ天の国へ召し上げられると、教典に記されているからである。

 金髪の娘は、微動だにしない。おびただしい白煙と業火に包まれながら、なんの反応も示さないところをみると、既に失神しているのかもしれない。


 修道士は、仕事は済ませた――とばかり、黒衣をひるがえして檀を降りた。

 このとき、修道士が、いま少し注意深く娘を観察していれば、あるいは気付けたかもしれない。


 裸で杭に縛り付けられ、いままさに炎に焼かれている、哀れな子供が――。

 うなだれたまま、ずっと口の端を吊り上げ、笑っていたことに。






 片田舎の寒村。

 山沿いの盆地で、わずか二十戸ばかりが細々と農耕と牧畜を営む集落に、不思議な娘が住むという。


 その一家は、猫の額ほどの畑を耕して生計を立てている農家にすぎなかった。暮らし向きはきわめて貧しく、財産といえば痩せた驢と牛が一頭ずつ。ようやく生まれた一人娘は病弱だった。

 娘は生まれて以来、ほとんどの時間を病床に過ごし、幾度か死線をさまよいながら、両親と里人らの懸命の世話を受けて、かろうじて生命を繋いでいた。


 四歳の誕生日を迎えた頃から本格的に容態は悪化し、加えて慢性的な栄養失調で四肢は痩せさらばえ、土気色の顔には死の相がありありと浮かぶようになっていた。さすがに、もう余命幾許も無かろうと――人々は、失意の底に沈んでいた。

 ところが。


 ある嵐の夜。

 ふと、激しい風雨が、貧しい家の木窓を強く打ち叩いた。


 その音を聞くや、娘は何の前触れもなく、いきなり病床から跳ね起きた。

 そのまま真っすぐ戸外へ駆け出し、暴風渦巻く天へ向かい、叫んだという。


 ――さあ、新たな道は拓けた! 星の神々、わが眷属、同胞、盟友たちよ! いまぞ神々の座(バビロン)より来たりて、誓約を果たせ! 黄泉路をさかしまに踏み越え、冥界の門を抜け、あまねくこの地へ生まれ出でよ!


 両親は、ただ呆然として、娘の背中を眺めるばかりであった。

 後になって、その叫んだ言葉の意味を娘に問いただしてみたものの、当人は困惑顔で、よくおぼえていない――と答えるのみだった。

 この日を境に、娘の容態は急速に回復していった。

 わずか三日を経ずして肌に血色が戻り、頬には微紅がさして、体調もすっかりあらたまった。のみならず、それまで生気すら欠けていた双眸に、まるで別人のような力強い生命力と、深い知性が宿っていた。


 以来、小さな娘は、日中は畑に出て、大人たちとともに鋤を振るい、荷を運び、重い土嚢すら軽々と担いで歩き、里人たちを大いに驚かせた。

 日暮れとなれば、集落の老人たちから古今の書を借りて深更まで読みふけるなど、とても四歳の子供とも思われない暮らしぶりで、かえって両親を不安にさせたほどである。


 当初は、そんな娘の様子を不審に思い、不気味に感じる里人も少なくなかった。

 誰も読み書きなど教えていないにも関わらず、難解な書物を当たり前のように読み解き、畑に出れば大人顔負けの膂力で土を掘り返す四歳児など、とても尋常な存在とも思われない。


 しかし日を経るにつれ、人々も両親も慣れてきた。本人は常にいたって快濶に振舞っており、周囲がどんな視線を向けてこようが平然としていた。

 いつしか周囲も深く考えることをやめて、娘の特異さを受け入れ、包み込むようになっていった。複雑な算術を自在にあやつって集落の在庫物資の統計を提出したり、作業効率や貯蔵方法の改善を提案してきたりと、次第にエスカレートしていくその行動も才能も、「まあ、この子だから」で済ませるようになってしまった。


 ある日、娘の暮らす集落へ、徴税官が派遣されてきた。領主の命を受けて、集落の産物と収穫を調べ、各戸ごと、その収穫に応じて税を取り立てる役人である。

 徴収物はほとんどが小麦の現物だが、この徴税官は、毎年、領主が定めた税率より遥かに多大な徴収量を集落に求めてきた。集落の人々は、後難を怖れて、渋々ながら要求量を納めていた。


 後日、集落から領主のもとへ、ある書簡が届けられた。

 内容は、集落の住民らが徴税官に納めた今年分の物産の目録である。誰が見ても過大要求であり、徴税官の不正行為であることは一目瞭然だった。


 領主の調査によって、徴税官が王都の商人と結託して大量の穀物を売り捌いていた事実が発覚し、さらに、この目録を作成した告発者が、集落に住むわずか四歳の娘であることが判明して、人々を驚かせた。

 残念ながら、不正に徴収された小麦は返却されなかったが、翌年分の租税減免という措置が領主から集落へと通達され、問題の徴税官は罷免されて、この一件は落着したかに見えた。


 それからほどなくして、聖エリゴス騎士修道会の騎士たちが集落を訪れてきた。娘に異端の魔女の嫌疑がかかっているという。

 それを教会に告発したのは、領主から罷免された、かの元徴税官であった。個人的な怨恨から、娘にあらぬ冤罪を着せて報復をはかったものと思われる。


 その日、娘はひとり川に出て、渓流釣りにいそしんでいた。

 手製の竿で、次々と大小の鱒を釣り上げては魚篭に入れ、なにやら不満げにぶつぶつ呟きながら、また竿を出す。


 そこへ、二人の若い黒衣の騎士らが歩み寄り、声をかけてきた。


「レダ・エベッカというのは、きみかね?」


 小さな娘……レダは、その声にすぐには応えず、虹鱒を釣り上げると、大きく竿を振って、空中で針を外した。

 虹鱒は、鮮やかな放物線を描きながら宙を舞い、吸い込まれるように魚篭へと飛び込んでいった。


「たしかに、アタシがレダだけど」


 レダは、竿を置いて、呆気に取られている騎士たちのほうへ向きなおった。


「あんたらは?」


 そう訊ねる声だけは、いかにも外見相応に幼い。ただ口調は粗野ながらも年齢より幾分大人びて聴こえ、態度挙措にも、どこか非凡なものが見てとれる。


「そうか、きみがレダか……。我々は、教会から遣わされた者だ」


 騎士の片割れが応えた。戸籍上ではレダ・エベッカと記載されているが、レダは庶民であり、エベッカというのは家名ではない。エベッカ村のレダ、というくらいの意味である。


「教会?」

「すまないが、これから、我々の質問に答えてはくれまいか」

「ふーん。いいけど」

「では……」


 騎士たちがここで出した質問は、神学上の難問とされる女神、天使、聖女の三位一体についての見解をただすものであった。

 教会内でも、北方教会と南方教会という二大教派により、意見が分かれている問題である。


 北方教会は三位一体説を全面肯定し、南方教会はある条件付きでこれを肯定している。否定派は異端とみなされ、排斥の対象とされていた。

 いずれにせよ、四歳の子供にやすやすと答えられる質問ではない。


「あー……ちょっと、わからん。まだそのあたりは、詳しく調べてねーな」


 レダの回答は、この年齢の子供として、きわめて当然のものだった。二人の騎士は、互いに無言でうなずきあうと、左右からレダに縄をかけ、素早くその身柄を拘束してしまった。


「おい、どういうこった?」


 騎士たちの狼藉に、レダは、さもさも驚いたように声をあげた。


「抵抗するな。きみには異端の魔女やもしれぬという嫌疑がかかっている」

「異端?」

「これから、きみは王都の本部へ差し立てられる。そこでヘルモウ様の審問を受けることになるだろう。弁明があるなら、そこでするがいい。おとなしくしていれば、両親や知人らの無事は保証しよう」

「……!」


 騎士の宣告に、レダは押し黙った。両親や里人を人質に取られたようなものである。レダとしても、事こうなっては、成り行きに身を任せる他なかったであろう。

 その後、レダは一切抵抗することなく王都へと檻送され、聖エリゴス騎士修道会の総本部にて、異端審問を受けることとなった。


 審問――というものの、その内容は、ようするに自白の強要である。

 城砦の広間に、大小無数の拷問器具が並べられ、異端審問官ヘルモウを裁判長として、審問は開始された。


 宗教裁判において最も重要な証拠とされるのは、物証でも傍証でもなく、被疑者当人の自供である。

 レダ自身の口から、異端者たることを認める供述を引き出すため、まず異端審問官ヘルモウが、いくつもの質問を投げかけた。


 ここ一年近くのレダの行跡を辿り、大病からの奇跡的な回復や、大人並の体力と知能を擁し、読み書きまでこなすという、常人離れした能力について、それらは異端の魔術による手妻ではないか――と問いかけたのである。

 レダがそれを否定すると、続けて、誘導尋問、説得、威圧、脅迫など、あらゆる尋問技術でレダの心理を揺さぶりにかかった。しかしレダは毅然として応じず、真っ向から嫌疑を否定し続けた。


 口先では動じぬと見るや、ヘルモウは拷問を命じた。さっそく、騎士と拷問吏たちが仮借なくレダを責めたてる。あらかじめ用意されていた数々の拷問器具が総動員され、たちまちレダの全身は青痣と打ち傷、火傷と擦り傷でずたずたにされた。

 ところが、レダは折れなかった。


 いくら殴打されても、生爪をはがされても、手足をへし折られてさえ、悲鳴ひとつあげず、気を失うこともなく、その精神力の凄まじさは、拷問吏たちをも、かえって慄かせるほどであったという。

 審問は半月にも及んだが、レダは拷問にも脅迫にも屈さず、頑として自らを異端であるとは認めなかった。


 これ以上続ければ、結審前に死にかねない――根負けした異端審問官ヘルモウは、やむなくレダの供述を捏造して、急ぎ有罪を宣告した。


「被告人レダ・エベッカは、自らを異端者と認めた。異端者とは、主の教えに背き、饐えたる果実を地に撒いて、人心を惑わし堕落と頽廃へいざなう者、悪徳と不信を司る原初の蛇のうつし身、すなわち魔女である。その罪業はかならず主の聖なる火によって浄められなければならない。それゆえに、天の主たる女神エンリルと聖女シモーヌの名のもとに、被告人を火刑に処す」


 聖女シモーヌとは、万物の創造主たる女神エンリルが地上において受肉した救世主であり、女神そのものと同一視される存在である。また天使とは、女神の権能が具体的な姿をとって顕現した存在である。

 したがって、女神、天使、聖女は同一存在、三位一体である――これが、王国及び聖エリゴス騎士修道会が属する北方教会の見解であり、また王国内における教会神学の統一解釈でもあった。


 修道騎士たちが最初にレダへ投げかけた質問は、まさにこの見解をただすものであり、これにレダが答えなかったことも、異端の嫌疑を深める一因となった。

 ともあれ判決は下った。

 レダは地下牢に囚われたまま五歳となり、ほどなく処刑の日を迎えた。


 刑場は王都の郊外、魔女殺しの丘――。






 火刑台の炎は、小さな罪人の全身を巻き込み、黄昏の空を焦がすように、高々と燃え上がった。

 当初、「魔女殺しの丘」に集った何百という野次馬は、五歳の子供の火炙りという、魔女狩りのなかでも前例のない残酷な処刑現場を、ただ近頃の珍しい見世物として興じあっていた。


 無論、そこには、ひそかに罪人へ憐憫の情を向ける者、教会への批判や憤りを募らせる人々などがいないわけではない。

 ただ大多数の庶民にとって、公開処刑とは、安全な場所から非日常のスリルを見物できる貴重な娯楽のひとつに過ぎなかった。彼らにとっては、レダの悲劇も、一時の退屈しのぎでしかない。


 これら群集の外周には、二十名の修道騎士が配置され、刑場全体の様子を、黙して見守っている。

 彼らの役目は、罪人の監視ではなかった。公開処刑の場は、往々にして野次馬が興奮し、時として不測の事態を引き起こす。


 罪人へ暴言を放ったり、石を投げつけたりするぐらいはまだ良いほうで、甚だしきは暴徒と化して罪人に襲いかかり、私刑を加えるような例まであった。

 そのような不穏な動きをあらかじめ抑え込み、監視するために、完全武装の騎士たちが動員されていたのである。


 最初に、異変に気付いたのは、その騎士たちだった。続いて、群集も大きくざわめきはじめた。

 いつまで経っても、処刑台の火が消えない。


 それどころか、火勢はいよいよ募り、いまや炎の柱のように、熱波がうなりをあげて、天へと立ち昇っているではないか。


「なにが起こってるんだ?」

「火加減を間違えたのだろ」

「たかが薪が、あんなに燃えるわけが――」


 そう見ているうち、どこかで鈍い金属音が響き、炎の中から、いくつか、キラキラ光るものが宙へ舞い上がり、群集の頭上へと落ちかかってきた。運悪くそれに当たって、悲鳴を上げるもの数名。

 何事か――と、人々が見てみると。


 それは、鎖だった。

 ずたずたに引きちぎれた、鉄鎖の残骸である。


 台上を見やれば、赤々と天を染める巨大な炎柱の真っ只中から、小さな人影が、一歩、前へと進み出てきた。

 燃え盛る紅蓮の炎を背に、火そのものと見紛うような真紅のドレスを熱風にはためかせ、両足には黒革ブーツ、小さな頭に、これも夜闇のように真っ黒い三角帽をすっぽり乗っけて、壇上から地上を睥睨する、金髪碧眼の少女。


 顔つきや背丈からして、それがレダであることは間違いないが、いかなるわけか容姿が変貌している。

 まるで炎の化身でもあるような服装格好に加え、全身の傷跡もきれいに消え去り、つい先ほどまでの、痛々しくも惨めな罪人の面影などは微塵もない。


 どころか、壇上にあって、その小さな身体が何倍にも大きく見えるほど、その姿は凛々たる威風をたたえていた。


「どいつもこいつも……」


 そのレダが、口を開いた。

 外見に似げず口調は粗暴だが、透き通る白貌は象牙のごとく、表情は険しく冷ややかに、群集を見下ろす蒼い双眸は、氷刃のように鋭い。


「おかしな誤解をしていやがる」


 言いつつ、右腕を天へ差し上げる。

 途端、壇上の炎柱が、さらに膨れ上がり、眩い閃光を放って、地上を白々と照らしつけた。


「本物の魔女が、火炙りごときで死ぬわけねーだろうが!」


 怒声雷喝、レダの叱声は、刑場の隅々にまで轟き渡った。

 それまで、ただ呆気に取られていた群集が、レダの一喝を浴びて、酩酊から醒めたように、一斉に立ち騒ぎはじめた。


 同時に、猛炎が空に真っ赤な螺旋を描き、刑檀を中心に四方へと拡散し、すべてを巻き込んでゆく。

 あれよと見る間に、群集らの頭上へ、赤竜の顎にも似た灼熱の業火が、うなりをあげて落ちかかってきた。



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