第三十一話 尾行します
雪花サマが尾行をします
「……というわけで、今日は首席の尾行をします」
次の日の街角。髪を下ろし、ラフな格好をした雪花は伊達眼鏡で返送をしたヘラナナミにそう告げた。この姿ならバレないだろう――と雪花サマは思い込んでいる。実際はその逆であるのだが。
「……お嬢、あなたって人は、本当に」
ヘラは伊達メガネを動かしながら、大きなため息をついた。この主人がさっさと告白すればこんな厄介な事に巻き込まれることはないはずなのに――彼女の気苦労は積もる一方であった。
「これ、ストーカーじゃないんですか? アウトでしょ。葉沼の後を追うなんて……」
ヘラは正論を飛ばして主人を牽制する。が、それくらいでへこたれるような雪花でもない。
「ち、違います! しゅ、首席として不埒な事をしていないのか、確認するだけです! そ、そのために、桧取沢氏にも協力してもらいますから!」
「そうです! 不純な交際は許しませんよ!」
雪花の後ろには、「風紀の鬼」こと、歓奈もついている。喋るたびにたわわと実った胸が揺れ、通行人が幾人も振り返っては顔を赤くする。
この厄介な同行者を目の当たりにしたヘラは、「この野郎……」と口にしかけたが、適当な愛想笑いと相槌を打って、歓奈の行動を封じる事にした。ヘラは、「どうしてうちの主人はここまで絶望的なんだろうか……」と、頭が痛くなるような気がしてならなかった。頭がよくて、金持ちで、美女で、三拍子揃っているにもかかわらず、大事な何かが完全に抜け落ちてしまっている。画竜点睛を欠く――とでも評するべきであろうか。完璧のように見えて、一番大切なものが足りていないのである。
「あ、来ましたよ!」
そうこうしているうちに、葉沼がいつものようにフードつきのパーカーとチノパン姿でヒョコヒョコと現れた。どう見ても金もセンスもない高校生スタイルであるが、雪花は葉沼の姿に見惚れている。相変わらずのメスフェルモン丸出しの、危ない顔である。ヘラがドン引きするのはいうまでもない。
「ああ、首席……今日も麗しい……」
(まぢかよ……いつものズボンがチノパンに変わっただけだろうが……)
「服装は良し……問題は無いようですね。はっぱ隊の格好とか横浜銀蝿の恰好してきたらお説教物でしたが」
歓奈も満足そうに頷いてみせる。
「……あんた、何食ったらそういう事考えられるの? 大体そんな格好するほうが金かかるだろ……」
ヘラは念の為に呑んできた胃腸薬の効能を心の中で祈るばかりである。
葉沼が到着してまもなく、リボンのカチューシャにプルオーバースウェット姿の飛鳥がちょこちょこと足音を立てながら、姿を現す。
「……あ、飛鳥も来ましたよ」
その姿はちっこい女子高生、という趣で普段の幼さは微塵にも感じられない。彼女も着こなし次第では、一応の女子高生になれるのである。
「…………ぐぬぬ、リボンのカチューシャなんかして卑しい女ですね」
「……お嬢も似合うんですからカチューシャしたらどうですか?」
「な?! そ、そんな事したら私が首席にこびてるようじゃない!」
(そんなんだから葉沼にドン引きされるんじゃないん……)
「あ、カチューシャが変わってますね! 赤のカチューシャとは、これはもしや女性のメタファー?」
「あんた、風紀委員よりもまず医者に行くことをおすすめするよ、本当に」
ヘラは予備用の胃薬を持ってくればよかった、と大きなため息をついた。
「よっしー! おまたせ!」
「お、アッス。おつかれ。それじゃ行くか。十時五十分からだっけ?」
「うん! 行こう、行こう! 手を繋いでいけばカップルっぽく見えるでしょ?」
「……俺からすれば迷子にならないようにする為だけど」
葉沼は苦笑いを浮かべながら、すっと飛鳥の手を取り、優しく包んでみせる。葉沼の手から零れ落ちてしまいそうなほど、飛鳥の手は小さかった。
「……!!!! 卑しい!!! あれが本当の卑しキャラですよ!! カッーーーー!!!! 卑しいーーー!!!」
雪花はヘラの胸ぐらをつかむと八つ当たりをする。自分だってまともに手を繋いでもらったことがないのに、飛鳥はさも当然のように繋いでもらっている。嫉妬するのは無理もなかった。
「お嬢! 苦しいですよ! てか、考え直してください! 葉沼から見ればあの小さい飛鳥とはぐれないように手を繋いでいるだけ、じゃないんですか?!」
「あ、そ、そうね……東海林さんは小さいから。そ、それなら仕方はないでしょう」
(ああ……チョロすぎて心配になる……)
ヘラは軽く咳き込むと、明日は部屋に籠もって寝ていようと心の底から決心した。
「移動してしまいますよ。お二人共。後を追いましょう」
歓奈は大きな双眼鏡を覗き込みながら、二人に指示を出す。
「なんであんたが仕切ってるんだよ! あんた、お嬢に勝手についてきただけじゃねえか!」
恋バカと風紀バカ二人の相手にするヘラの心労はお察しあるべきものだが、喧嘩しているわけにもいかず、大人しく三人で葉沼飛鳥カップルの尾行をはじめることにした。
はい。




