第二十六話 操られた雪花サマ
催眠プレイです。エロ要素はないです。
「ね、ねえ、鶴喰。風邪引くよ……」
突然居眠りをはじめた雪花の姿に驚いたのは葉沼の方であった。いつもは堅苦しく人を引き寄せない雰囲気を醸し出す彼女がうつらうつらと居眠りをしている。
その寝顔の意外性と可愛さにもう少し眺めていたい――と思っていた葉沼であるが、他人にこんな姿を見られたらさぞショックを受けてしまうだろう、意を決して起こすことにした。
「おーい、鶴喰さーん」
「……ん」
「あ、起きた起きた。よかった。風邪引くよ」
「……しゅ、首席〜」
雪花は意思とは関係なく、葉沼に抱きつき、頬ずりをはじめた。目は蜂蜜のように蕩け、顔は寒椿のように赤く染まっている。
「お、おい……鶴喰……」
「しゅ・せ・き♡」
「だ、大丈夫、か?」
『ふふふ……恥ぢよ、苦しめ、後悔しろ……! その力がワラワの血となり肉となるであろう!』
哀れ、雪花も心のなかにある負の感情を食い千切られ、八尺様の餌食となる――
「首席〜本当にカッコイイ〜」
「か、カッコイイ?! え、ちょ、ま」
「大好き〜!」
――筈であったが、当の雪花はデレデレする一方で負の感情を出す様子は微塵もなかった。
『な、なぜ、負の感情が出ないのだ? 嫌いな男に本能をむき出しにしているはずなのに……で、出ないはずがない!』
八尺様は大きな誤解をしていた。雪花の冷たい態度は、嫌悪ではなく、溺愛と不器用の裏返しであるということを――
その変化に戸惑っているのは八尺様だけではなかった。葉沼はそれ以上に当惑をするはめになった。無理もない、先程までつっけんどんとしていた雪花が急に甘え始めるようになれば、誰だって戸惑うより他はないだろう。
「つ、鶴喰。な、なんか悪いもの食べた?」
「食べてませんよ〜?」
「い、いや、そんな雪花をはじめてみたから……」
「むぅ、鈍感なんですから……」
「ど、鈍感?」
「首席大好き〜」
葉沼だって普通の男子高生である。たとえ嘘であっても雪花に迫られて悪い気はしない。
「な、なあ、鶴喰……本当に……大丈夫か?」
「大丈夫ですよ? ただ……首席がこんなに近いのが嬉しくて……」
「え、え?」
「首席〜雪花って……呼んでください?」
潤んだ雪花の目を覗き込んだ葉沼は思わず「ウッ」と感嘆の声をあげた。女の武器は目と涙――とは古い言葉であるが、愛嬌のある目で見つめられたらどうなるか、いうまでもない。
(か、可愛いな……改めて見ると鶴喰の顔は本当に可愛い……)
葉沼は優しく彼女を撫でながら、これで男嫌いがなければ――と考えたが、余計なお世話というところである。
「せ、雪花……」
普段の彼女を名前呼びできるのは女の友達の中でも限られた人しかいない。雪花が「雪花」呼びを許すのは、相手に心を開いた証拠でもあった。雪花本人は葉沼に「雪花」と呼んでもらいたい、と思っていたが、雪花の性格のことである。「呼んでくれ」とも頼めなかった。
「わ〜い、首席が名前を呼んでくれた……首席好き〜!」
雪花は相変わらず本能のままに葉沼の胸の中に顔をうずめ、「好き好き」と呟いている。
「つ、鶴喰は、お、俺のことが好きなの?」
「? 当然じゃないですか?」
その愛おしい振る舞いと口ぶりに、葉沼はギュッと雪花を抱き寄せる。シチュエーション的には完璧な流れ、あとは告白するばかりである。
(し、しかし好きなら、なんでそう言わないのだろうか……彼女が告白すれば俺だって嫌とは言わないのに……)
然し、そこは葉沼クオリティである。ここまで確信しているのなら、あとは一言「好きだよ」といえば、すべてが解決するのに(雪花が無事の保証はないが)、あと一歩のところで良心の呵責が重大な決断を引き止めてしまう。
もっとも、葉沼がそう思うのも無理はない、雪花の普段の行いと不器用さが見事に祟っている形となっている。
『ど、どうなっているのだ!』
八尺様は、雪花の頭に移動すると、彼女が溜め込んでいる欲望を探り始めた。
『どこかに一つくらいは、弱点が……』
外から聞こえる雪花の甘い声にイライラしながら、欲望をめくっていく。
『………こ、この女! 欲望が全部、相手の男に関することしかないぞ?!』
八尺様は雪花の欲望リストを見終えて愕然とした。
『葉沼と手をつなぎたい、葉沼と話したい、葉沼をずっと見てみたい、葉沼の隣に座りたい、葉沼とキスしたい……』
ここまで来ると完全なヤンデレであるが、当の雪花も葉沼もそれを認知している様子はない。これでは負の感情が出ないのも、当然である。
そして、ここは雪花の頭の中。普段正直になれない彼女が正直になった瞬間どうなるか。
溢れ出るのは負の感情ではなく、正直な感情と普段から考えている妄想である。
(首席……)
(鶴喰……)
(もう! 雪花って呼んでください!)
(ごめんごめん……怒る雪花の顔が見たくて……)
(むぅ……意地悪なんですから……)
(雪花が可愛いのが悪いんだよ)
(も、もう!)
『やめろ! ワラワにそのような妄想を見せつけてくるでない!』
これには流石の八尺様も呆れ果て、長い髪をギリギリと掻き毟った。心の中は負の感情どころか、幸福と高揚のエキスで満たされ始めている。八尺様は頭の中で暴れてみせるが、幸福感が満たされる一方であった。
「首席……」
すると、葉沼の胸に顔を埋めると、グスグスと嗚咽を始めた。葉沼の胸のあたりがしっとりと濡れ始める。
どうなる、雪花サマ?!




