第二十三話 葉沼の心
割かし奇麗なお話です(当社比)
突然の卜部先生の乱入に呆れた雪花は、これまで聞いていた話の猥雑さにも閉口したと見えて、
(穢らわしい……帰りましょう)
と、教室に戻ろうとした刹那、卜部先生が相手を締め上げた事によって、グループ内に隙間ができた。
その隙間によって露になった死角で一人佇む男が一人、不覚――それは紛れもなく葉沼吉暉であった。
(しゅ、首席?! 不覚……み、見えなかった……)
もっともこれは雪花のせいではない。男たちがあまりにも見事な立ち位置で葉沼を覆い隠していた事、葉沼がいつものフードを被っていて、目立たなかったのが原因である。
(しゅ、首席もあんな馬鹿話に交わるの……? で、でも、聞いてみたい……)
プライドと興味を比ぶれば、恥ずかしながら興味が勝つようである。雪花はうまく死角をついて葉沼の顔がしっかり拝めるような位置へと移動した。相変わらずパーカーの中で静かに微笑む葉沼は、慈愛に満ちた雰囲気を醸し出している。
(ああ……首席……麗しい……)
恋もここまで来ると完全に病気であり、盲目である。それだけ自覚しているのならば、さっさと告ればいいものを、恥ずかしさとプライドから行動に移せないせいで、話が拗れているのはいうまでもない。
「葉沼、黙ってないでお前もまじれよ〜」
「いや、別に好きで黙っていたわけでないんだけど……」
こういう時、特に指名されないのは、葉沼の空気感あっての事である。
「そういや、葉沼気になる人とかいる?」
「…………」
(な……! あの畜生は、畜生の分際で葉沼首席にそんなことをお尋ねになるなんて!)
雪花は心の中でヤキモキをはじめる。その半分は嫉妬、そして残り半分は「でも葉沼首席が好きな人は誰なのだろうか……」という不安であった。
「…………」
「黙ってないでなにか言えよぉ。お前、首席なんだから引く手あまただろ? 顔だって悪くないし……」
(しゅ、首席……)
葉沼は雪花の存在に気づいていない――葉沼がこれから口にする答えは、少し憚りはあっても、周囲に忖度しない本音という事となる。
「……いるよ」
「ほら、やっぱりいるじゃん。誰? 風紀委員あたりか? いや、案外東海林だったり!」
「バカ、首席がロリコンなはずなかろう」
実際、葉沼と飛鳥の中は水魚の交わり、兄妹のような所があるので、否定はできない所である。
葉沼はしばらく黙りこくっていたが、周りに囃されて、話さねばならないという決心がついたのか、
「……これが恋心かどうか、好きなのかどうか、そこまではわからないけど……、不思議と話す気になる、一緒にいて楽しい……という定義で行くならば……」
「お? 誰々?」
「……今気になっている人は……鶴喰……かな」
葉沼は淡々たる調子で、そう答えた。
(え…………?)
廊下で盗み聞きをしていた雪花は呆然と立ち尽くし、頬をつねった。夢ならばここで覚めるだろうが――残るのは、ひねったぶんだけやってくる鈍痛ばかり。
「鶴喰? あれか? 雪花サマか……? 学園きっての秀才で男嫌いの……」
「お、お前、またとんでもないものを好きになったな! だ、第一、鶴喰なんて呼び捨てできないよ……恐ろしくて……!」
「ど、同志よ! お前も雪花サマに罵られたいのか! ああ、あの麗しい瞳で!」
中には何人か危ない連中も混ざっているようであるが、葉沼は特に気にすることなく、少しだけ頬を赤くした。
「それが果たして本当の好きなのか……単なる友達としての感情なのか……俺にもわからない……でも、でも……一緒にいて楽しいんだ」
(…………!)
葉沼はぽっと顔を赤くした。その色艶はよく育て上げられた染井吉野桜のような趣があった。
この葉沼の言動と行動に、青春盛りの男子高校生たちも察する所があったとみえて、笑い声一つも挙げることもなく、葉沼のそばに近づくと、
「葉沼……俺たちは応援しているぜ」
「お前ならやれるさ」
と、保護者ヅラをして、ウンウンと頷くばかりであった。
「え? え……?」
笑いもせず、反応も薄い同級の姿を見た葉沼は、彼らの顔を見つめながら、ただただ狼狽するばかりであった。
それからしばらくして、主人がなかなか戻ってこないことを心配した従者のヘラは、どこに行ったのかしら、と「迷子の迷子のお嬢」と呼びながら、学苑中を探し回っていた。
「あら、ヘラさん。雪花サマをお探しですか?」
「ええ。どこかに行っちゃって……」
ヘラは雪花以外の他人には猫を被って対応をする。その仮面のお陰で、主人をもてあそび、トラブルを見物するのが大好きな裏の顔を知られる事はなかった。
「見かけました?」
「ええ。たずね人は、ここを曲がった先の廊下に佇んでいましたよ」
(葉沼の所へ行ったか……全く……)
ヘラは一礼すると、教えられた通りの道順を辿った。
「お嬢、お嬢! あ、お嬢! 探しましたよ。影狼の志乃サマから電話がありましたんで……ってお嬢?」
確かに雪花は廊下に佇んでいた。
その顔は安堵と幸福に満ち溢れており、口からは愛の言葉が漏れている。ただ、その愛があまりにも強く、許容範囲を超えたのであろう、雪花は真っ白な灰となっていた。
「お嬢? お嬢?」
「真っ白に……燃え尽きました……」
「お嬢ぅぅぅぅ!」
ヘラは知らなかった。雪花が葉沼の一言でオーバーヒートを起こしてしまった事を。雪花は迂闊であった。もう少ししっかり聞いておけば、葉沼に近づく話の口実ができたという事を――
閑話休題的な話をガンガン盛り込んでいきます(いうだけタダ)




