第二話 砂糖吐く人
百合です(大嘘)
「……というわけ」
ある日の放課後。雪花は河童懲罰倶楽部の部室で書類を捌きながら、親友の咲良井響子に胸の内を打ち明けた。
響子は黒猫の人形を撫でながら、静かに彼女の話を聞いていた。
何かとプライドを張り、仮面をかぶらなければ生きていけない雪花が、数少なく本当の自分を曝け出せる存在が、この響子であった。彼女と喋るときばかりは言葉も今どきの女子高生風に崩す事ができる。もっともこの信頼も、長年の交友関係と両親公認の友達、という複雑な事情の果に成り立っているわけであるが――
「……ねえ、おかしいかな?」
「え?」
「……だって、私。今まで男嫌いで生きてきた。男なんてろくなものがいないと思っていた。それなのに、好きになっちゃうなんて……なんかおかしいような気がする」
「んん。おかしくないよ……そうか雪花ちゃんがそんな恋心を……」
響子は思わず涙ぐんでしまった。中等部時代、彼女の冷血ぶりに多くの誤解を与える羽目になり、孤独の日々に耐えていた彼女の姿と比べると、大変な進歩であった。
(雪花ちゃん……これで孤独に涙する夜も、一人で我慢する夜もなくなるね……!)
何度彼女から相談を受けたであろう。何度仮面を外して泣いた彼女を慰めたことであろう。相手がどんな男であれ、雪花が異性に興味を持ってくれるのはとても嬉しいことであった。
「雪花ちゃん。私がどれだけ力になれるかわからないけど、私はあなたを応援するよ!」
「響子ちゃん……!」
雪花は響子に抱きつき、そっと「ありがとう」と呟いた。
「あなたも一人の女の子なんだから……好きになることはおかしくないよ……!」
響子は一度だけ話したことのある葉沼の顔を思い描きながら、(貴方なら彼女の心の氷を溶かしてくれるかもしれない……)と、嫉妬する事も軽蔑する事もなく、素直にその力量を認める事ができた。
実に微笑ましい二人だけの空間が部屋の中に広がっていき――葉沼ラブラブ作戦を口にしようとした、その瞬間。
「ほー、面白い話をしておるな」
二人の話の中に割り込んできたのは、八王萬学苑の講師で、河童懲罰倶楽部一期生担当の卜部凛であった。
彼女もかつては河童懲罰倶楽部の一員で、優秀な成績で飛び立っていったOBである。
卒業後、二十歳そこそこで、妖怪退治やらオカルトとの戦いで大きな成果を上げたものの、余りにも派手な破壊行為と大胆すぎる作戦が仇となって、多くの損害請求やら悪評をなすりつけられる羽目になってしまった。
その後も色々あった末に、この学校の相談員兼監視役に落ち着く事になった。安月給の身の上(実際の手取りは凄まじいのだが色々天引きされている)であるが、損害請求を肩代わりしてもらった手前、文句も言えず渋々と仕事に従事していた。
余談であるが、彼女たちが出入りする『河童懲罰倶楽部』は、河童と名前こそついているが、別に河童を退治するサークルではない。この学校ができた当初は、本当にカッパがいて、優秀な生徒たちがそれを狩りに行っていたようであるが、今ではその名前だけが残ったような形になっている。現在では運営委員のような扱いとして目されており、所謂学力トップ層と認められた数人のみが出入りのできる秘密の花園と化している。
八王萬学苑に入れるだけでも難しく、将来が確約されたようなものであるが、河童懲罰倶楽部の会員は更にその上の道を行く。そんな特権的な地位に居られるのにも関わらず、一切関与を求めようとしない葉沼の態度は前代未聞であった。
「……なんじゃ、鳩が鉄砲豆を食ったような顔してのぉ。棚から牡丹餅でも降ってきたかしらん?」
「あ、卜部先生」
「ほほー、青春は咲き誇る前の蕾かな……」
この卜部先生、どういうわけだか知らないが、やたら古風な、悪く言えば老婆のような喋り方をする。本人にそれを指摘すると「お↑ばァ↓さんじゃと?! 戯言もええかげんにせぇ!」とガチで叱られるため、タブーになっている(飛鳥を除く)。
雪花は面倒くさい人に絡まれた、と内心思いながらも、相手は一応OBで実家とも繋がりがある手前、「どうもこんにちは」と、社交辞令的な挨拶を口にした。
「どうしたんじゃ。鶴喰、顔の色が良くないようだが」
トラブルメーカーのくせに勘は人一倍鋭いのが、卜部先生の特徴である。大体この勘の鋭さが仇となって事態をこじらせる羽目になるのだが、当人はそれに気づいていない。
「ほー、もしや恋人か?」
二人は、ギクッと目を見開いた。
「図星のようじゃな?」
卜部先生は帯から扇子を取り出すとニコーっと悪い笑みを浮かべた。こうなったら話をするまで逃れられないのがオチである。
「誰が好きになったんじゃ? え? おねーさんにいってみなせえ」
「先生、それセクハラですよ」
思わず響子が嗜める。普通ならばしつこく聞き回るところであるが、なぜか卜部先生は響子の言う事だけはすんなりと聞くのであった。そこにはマジギレさせて死ぬほど怖い思いした、とかいう事情がある、というわけではない。
「そ、そうか。まあ、そこまでは問い尋ねんが、恋をしたようじゃな?」
「……まあ、それは事実です」
「何も恥ずかしがる事はない。恋の一つや二つを経験せぬものは闇じゃ」
かくいう卜部先生は未だに男性経験が、ない。
「しかしのぉ……あの男嫌いの鶴喰が恋をするなぞ、お主も成長したのぉ……!」
卜部先生は、中等部時代の雪花の姿を思い描いた。冷酷で、寂しそうで、ほんの少しの友人以外を惹きつけない孤高の女王。多くの男性を、蛇蝎の如くに嫌っていた雪花が、乙女の顔をしている。
ここで満足して帰ってくれるなら卜部先生はどれだけいい先生であろうか。しかし、それで帰らないのが彼女である。こういうお節介さというか、興味本位な所は、まさにトラブルメーカーの本領といったところ。
「しかし、そんな男嫌いで大丈夫なんじゃろか? お節介を言うようになるがの、お主、今のままでは絶対に傷つける事になるのでは?」
「せ、先生! せ、雪花ちゃん……」
卜部先生の容赦ない質問を前に、響子は先生の口を押さえ、親友の反応を伺った。もしかしたら機嫌を損ねて、前のようにひどい暴走に陥るかもしれない。
そんな響子とは裏腹に、雪花は見る見るうちに恋する乙女の顔になったかと思うと、ツンっと顔を背け、指をくるくる顔の前で回すと、
「しょ、しょうがないじゃん……す、好きになるのに、理由が必要?」
顔を赤らめてモジモジと答えてみせた。
この顔を目の当たりにした卜部先生は大ダメージを受けた。ロクに恋をしたことのない女性が、たった一年で恋する乙女の顔へと変貌している。
その顔といい、仕草といい、相手に相当惚れているのであろう。卜部先生は、素性のしれぬ相手とイチャイチャラブラブする雪花の姿を頭の中で思い描き、ゴールインする所までを妄想した。
『先生! 私幸せになります!』
そう考えた瞬間、頭の中の糖度が恐ろしいほど高くなり、何やら吐き出したくなるような気分になった。
プッツン、と何かが切れるような音が頭の中を谺すると同時。
「うえええええ…………」
口から豪快に砂糖を吐き出しはじめた。これが唾や吐瀉物ならば、人間の生理現象として片付けられないこともないが、砂糖を吐き出すとは、前代未聞の事態であった。
「先生…………! こ、これはなんですか!」
「す、す、すまぬ。お主らの甘〜い恋バナを聞いとったら頭の中が甘ったるくなってな……何か出てくる、と思って吐き出したら、さ、砂糖じゃ…………」
「…………」
不器用な親友に砂糖を吐き出す先生を前にした響子は目を回しそうになった。
砂糖を吐く卜部先生に加えて、あの問題児が登場?!