第十九話 葉沼の弱音
葉沼だって人間です。雪花だって人間です。
「だから…………」
葉沼は弱音を吐きながら、自分の心と向き合い、苦悶し続ける。
「失うのが怖い……っていったら、気味悪がられるかなあ。けど、そういうより他の言葉が見つからないというか……」
「そんなことないよ……」
「……高砂なんかは喧嘩することあっても、絶縁するような関係には陥らないという自信がある。俺の自惚れもあるかもしれないが、高砂の方もそう信じてくれているように思う。でも、鶴喰は違う。それよりもなんか、スケールが大きくて、それでいて、砂糖菓子のように、どこかすぐ簡単に崩れてしまいそうな、怖さがあるんだ……」
葉沼はフードの紐に手をかけると、そっと下におろした。フードは静かに引き締まると、葉沼の顔をすっぽりと隠した。
「……鶴喰はこの学苑に編入してきてくれた俺に居場所を与えてくれた。当初は驚いたが、懲罰倶楽部に誘ってくれたのも彼女だ。そのおかげで、住吉、一木、桧取沢なんかとも仲良くなれた。アッスや高砂なんかとはもっと仲良くなれた」
葉沼は倶楽部に入会して以来、明るくなった、人当たりがよくなった、と卜部先生に言われた事があった。当人はそこまで考えてなかったようであるが、人一倍勘の働く彼女の言うことだから間違いではないだろう。
「だから、鶴喰ともっとうまく接したいし、仲良くなりたい。でも、彼女の男嫌いを考えると、それもできない。俺は仲良くなりたいんだ……柊。君にこの相談を持ちかけたのは、君と俺が普通の家の出で、金持ちやエリートではない感性を持ってる、と信じているからだ。な、柊。この俺は一体どうすればいいんだろうか? 普段から明るくムードメーカーとして振る舞っている一人として……ぜひ教えてほしい」
「葉沼くん……」
葉沼に頼られた喜びとその過去を知った和穂は思わずホロリと一粒の涙を落とした。そして、胸にじんわりと残る温かみをずっと味わっていた。
(しゅ、首席! わ、私はいつでも待ってます! は、薄情な女じゃないです! 貴方に惚れてます!)
(お嬢! 落ち着いて! ください! ここで飛び出されたら! 葉沼が! 驚きますよ!)
これに感動したのは和穂だけではなかった。ずっと陰で様子をうかがっている雪花の方が感動してしまっている有様である。
「……葉沼くんは偉いね」
「……そう、でもない」
「謙遜しない。偉いよ。私なら絶対挫折しちゃっているよ。それだから首席にいるんじゃないの」
和穂は心の奥底で未だに刺さっている在りし日の棘――陸上を挫折してやめたことを思い出した。
「私なんか平凡な成績で、平凡な生徒だから、ムードメーカーになるくらいしか役がないからかも知れないけど……それでも葉沼くんは凄いと思っている。本来なら私なんか友達になるなんかおごがまじいんじゃないか、と思ったりもする」
それでも葉沼はエリートと一般人分け隔てることなく、平等に接している。
「葉沼くん。貴方が思っている感情は決して間違いじゃないよ。安心して」
今まで恩を受けてきた柊和穂ができるただ一つの方法――それは葉沼の心を肯定し、鶴喰雪花との距離を縮めるだけであった。
「……私は金持ちや秀才の世界はわからないけど、見る限り、鶴喰さんも葉沼くんなんかと同じ風に悩んでるんじゃないかなって思ったり……」
「同じ風……?」
「うん。男嫌いなのも、負けず嫌いなのも、それは一面的なものであって、一種の照れ隠し、というべきなのかな。本当の彼女はもっと優しいはずだし、そんな簡単に人を裏切らないと思うな……」
和穂はここまで喋って、物陰にいる雪花の存在をふと思い出し、真っ青になった。しかし、今更言葉を取り戻すわけにも行かず、ええいままよ、と言わんばかりに説得を続けることにした。
それを物陰で聞いていたヘラは「中々度胸と勘の優れた奴だ」と素直に感心してみせた。
「彼女が何を望んでるかまでは私なんかにはわからないけど……葉沼くん、もう少し鶴喰さんとむきあってみたらどう。今はまだ照れ隠しでもいつか、優しい心を見せてくれる日が来るよ。本当にあなたの事を嫌っているなら話なんかもしてくれないはずよ」
「……そうか」
「そうよ。なんだかんだで噛み付いてくるのは葉沼くんが気になるからじゃないの? ね、葉沼くん。葉沼くんは文武両道で雪花さんに唯一対抗できる存在なの。あなたでしか見られない景色や友人たちを大切にして。無理に気取る必要も、威張る必要もない。あなたはあなたのままでいれば、きっと鶴喰さんもわかってくれるはずだよ」
私なんか倶楽部とは無縁だから――と、和穂は寂しそうに笑った。
「おごがまじいかもしれないけど、私、影で応援しているから。いつでも相談に乗るから。だから、だから、葉沼くんも少しでいいから鶴喰さん向き合って……」
「…………」
「鶴喰さんだって、苦しんでいるはずだもの。ね? あれだけの家柄と学力のプレッシャーを耐え抜くには相当なポーズを作らなきゃいけない……素人考えだけど、なんとなく、そう感じる時がある。だから、鶴喰さんの心を開かせるかどうかは、葉沼君の行動にあるんじゃないかな」
「俺が、か……」
「別に急ぐ必要もない、慌てる必要もない。でも、鶴喰さんの仮面をはがすためには、行動に出なきゃダメ。葉沼くんならきっとできるだろうけど……だから、もう少し人に甘えることを、うわべだけではない本心に寄り掛かれる好意に頼るべきだと思う……」
いつしか和穂は、雪花サマの心の代弁者の如く、木陰に本人が居る事も忘れて、滔々としゃべってみせた。決して器用ではないが、奇をてらわない、純粋に本質へと向き合う心と言葉は、一矢となって、葉沼の心に命中した。
「……そうだよな。少しモヤモヤが解けたよ」
心のこもった和穂の言葉に納得したのであろう――そういうと葉沼はフードの紐を緩めて、再び顔を出した。こっそり泣いていたのだろうか、目が少し赤くなっていた。
「力になれたなら……」
「本当にありがと。悪かったね、長話になってしまって……。ありがとな、柊が友達でよかったよ」
「いやいや……こちらこそ。友達として役に立ったなら幸い」
二人は心の通じ合う友人として、互いに尊敬し、喜び、認め合い、静かに笑いあった。
「……あ、もうこんな時間か。今日は衛介からチャリんこ借りてるから、それで帰ろうよ。送っていくよ」
「え、いいの」
「なに、桧取沢は帰ったろうし、少しくらいなら怒られやしないよ」
「……じゃ、じゃあお言葉に甘えて」
ベンチから立ち上がった二人は仲良く雑談をしながら、学校脇の駐輪場へと消えていくのであった。
「お、お嬢……葉沼帰りましたよ」
いつの間にやら声を出さなくなった雪花の姿を心配したヘラは、そっと羽交い絞めを緩め、雪花の顔を見つめた。 一部始終を見続けていた当の雪花は、柊に対する嫉妬や怒りを忘れ、木の陰に寄り添うようにぼんやり佇んでいた。
しばらくすると、ヘラの羽交い絞めを振り払い、計算も媚も見栄もない、心の底からの笑顔を浮かべた。
「……あの子……立派……ね、心動かされたのは久々かもしれない……」
その言葉は、虚栄と見栄で本心で固め続ける雪花には珍しい本音であった。柊本人は気づいていなかったが、彼女の説得は、本音を隠したがる雪花の心を動かすことになった。
「ねえ、ヘラ」
ヘラはまた『面倒事に巻き込まれるな』と直感し、目を細めた。
「なんですか」
「頼み事があります」
当てつけるように大きなため息をついて、嫌そうなアピールをしてみせるヘラであるが、そんな小細工が雪花に通じるはずもなく、
「柊和穂の対象を変更します。彼女の全力サポートと配慮を。急いで」
「へいへい、分かりましたよ……あ、後、今、車呼びますから」
日ははや西に傾き、何処で鳴るか寺の鐘が、夕焼け空にこだまをして、陰鬱な音を奏でていた。
この後は雰囲気ぶち壊しの馬鹿回が続きます。




