クリスマスとか言う奴
この日は好きだが、罪な日でもあると思う。
いや別にカップルの幸せな景色が目に痛いとか、寂しげに揺れている俺の両手を見て、深々とそれが心に刺さるから、罪だと言っているわけではない。断じて。決して。
ただ、この日は自分に甘くなる気がするのだ。
“クリスマスだから”
この一言に何度も逃げてしまう気がする。
思わず、そんなに必要でもないのに、買い物をしてしまう。
普段一生懸命取り組んでいるものを、なあなあで処理してしまう。
いつもとは違って、どこか尊大な態度を取ってしまう。
“クリスマスだから”
それらはこの言葉に収束してしまう。
些細な事を気にかけずに、幸せな雰囲気を振りかざせる。それ自体は悪いことではないような気がするのだが、しかし、これは俺の性格だろうか。
その後に少しばかりの罪悪感のようなものが頭をよぎる。
それすらも“クリスマスだから”の一言で呑み込んでしまうのだが、その感情が居た事実は変わらないのだ。
全く、罪なものだ。
またこうしていつの間にか寒さを凌ぐという理由でコンビニに入り浸り、そこを出たと思ったら左手にレジ袋をぶら下げている。
だが、故に、“クリスマスなのに”何故、俺はコンビニなんかに入り浸っているのだという気にもなる。
コンビニを悪く言うつもりは毛頭もない。
ただ、俺の隣には誰もいない。無人なのだ。
言いたいことは、分かるだろう?
“クリスマスだから”、“クリスマスなのに”寂しい俺を客観視して、乾いた笑いが出る。乾燥し切ったこの季節特有の空気も相まって、カッピカピである。誰か、潤いを……。
オアシスを探すことは簡単ではない。
重々承知なのだが、“クリスマスだから”少しぐらいいいではないか。
罪だ。有罪だ。
禁固刑三年を要求する。
三年もあれば俺もましなクリスマスを送れているだろう。
そんな期待を込めて。
クリスマスにプレゼント・フォー・ユー。
寒風が鼻をつまむ。
それは“クリスマスだから”なのか。“クリスマスなのに”なのか。
答えは風のみが知るのだろうが、その風すら掴めない人間には、一生分からないことなのだろう。
罪には罰を与えなければいけないのだが、いかんせん、クリスマスに嫌われそうだから止めておく。
せこいやつだよ、ちくしょう。
過ぎ去った風に、人間を代表して文句を背中に表した。
そんな十二月二十五日。
メリークリスマス。
”クリスマスだから”、二本書きました。
”クリスマスなのに”、二本書きました。