婚約破棄と計画的逃亡及び強奪 16
ベルスレイアとミスティが衝突したのと同時に。サティウスとリーゼロッテの戦況にも変化が起きた。
まず動いたのはリーゼロッテ。武器も何も持たないが、ステータスには格差がある。大人が子供を殴り殺すような、そうした手段でサティウスを害することは可能である。
そこでリーゼロッテはまず近づいた。駆け寄って、ただ殴る。技も何も無い殴打。これをサティウスは辛うじて防御。両腕を交差し、受け止める。
力任せの殴打を受け、サティウスは数歩後退する。
「ぐ……ッ! 何故、君はこんなことをするんだ!?」
サティウスの問いに、リーゼロッテは答えない。理由など存在しないから。世界が存在するのと、ベルスレイアを肯定するのは同質の現象である。それが、リーゼロッテの価値観。故に、理由など有り得ない。ただ肯定する。
何故、と問われても答えようが無い。
何も答えないまま、リーゼロッテは殴打を繰り返す。これに、サティウスは防御をしながら耐える。腕の衝撃を、骨の軋みを感じながらも、どうにか対話を試みる。
「き、君はそもそも誰なんだ! 貴族でも無ければ、ベルスレイアの私兵でも無さそうだ。君は、どこの誰なんだ!?」
「私はリーゼロッテ。そこの塔に住んでました」
「塔に――!?」
その言葉は、サティウスに衝撃を与えた。
リーゼロッテが住んでいた、と示した尖塔。そこは、サティウスでさえ立ち入りを禁止された禁忌の塔であった。そこに何があるのか。なぜ禁忌なのか。そうした情報さえ、一切入ってこない。例え王位継承権を持つ者であっても、である。
咄嗟に、サティウスは蹴りを放つ。リーゼロッテはこれを回避し、後ろに飛び退く。
距離を開けて余裕の出来たサティウスは、さらに問いかける。
「君はあの塔で、何をしていたんだ?」
「最近は、ベルとお話していましたよ。他には、実験のお手伝い」
「実験……?」
「はい。私の身体に色々入れたり、逆に抜いたり、切り取ったり。それが終わったら、またあの塔でじっと待つんです。また何か起こるまでずっと、ずっと――」
リーゼロッテの言葉で、サティウスは凡そ状況を察した。恐らくこの少女は、何らかの特殊な体質、能力の持ち主。それを調べるための、人体実験を受けていたのだろう、と。
サティウスもまた、一人の良心ある人間である。この国――サンクトブルグが何らや不穏な活動をしていること自体は、知っていた。内容こそ分からずとも、決して陽の当たる場所で堂々と行うことの出来ない何かであるとは分かっていた。
そして――言わば国の暗部とも言うべきものを、いつかは是正せねば、と考えていた。
リーゼロッテがその犠牲者である、と察した途端。サティウスは複雑な感情に囚われ、戦う意思が薄れてしまう。
「……すまなかった。君のような人が居ることを知りながら、僕は助けることが出来なかった」
「何を謝っているんですか?」
突然の謝罪の意味が理解できず、リーゼロッテは眉を顰める。
これに答えるように、サティウスは語る。
「君を苦しめる原因を、僕はどうにも出来なかった。だから――」
「私は、苦しかったんですか?」
さらにリーゼロッテが問う。今度は、サティウスが眉を顰める番であった。
「それは、どういう意味だ?」
「いえ。私、苦しいとか、そういうのはよく分かりませんから。実験も好きでしたし。ただ、何もない時間は嫌で、嫌で……どうしようもなく嫌でしたけど。それも、ベルが壊してくれましたから」
リーゼロッテの感覚に、サティウスは共感出来ず困惑する。だが、リーゼロッテは構わず話し続ける。
「何もない時間の中で、時々あった実験は暇つぶしになりました。でも、実験は本当に時々しかありませんし。最近は、まるでありませんでしたし。嫌だなぁ、って思っていたところでベルが来てくれたんですよ。お話に来てくれて、私を嫌な時間から救い出してくれました。少し待てば、またすぐ来てくれました。ベルだけなんです。私がどうしようもなく嫌だった時間を、どうにかしてくれたのは」
その言葉に、サティウスは歯を噛み締め、拳を握る。反論したい、という気持ちとは裏腹に、何も言えなかった。根本から、前提から狂っている相手に掛けるべき言葉が見つからないのだ。
「君は……もっと色々なことを知るべきだ」
だから、苦し紛れにそう言い返すしか無かった。
「それも、ベルが教えてくれるんです。ベルだけが、全てなんです」
そしてやはり、リーゼロッテには通用しなかった。